「最新の安全保障理論」×「主戦論者」の主張で分析! 真珠湾から80年、なぜ日本は「無謀」な開戦へ至ったか?
記事:作品社
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今年12月、真珠湾攻撃から80年を迎えます。日本は無謀と言われる米国との戦争を、なぜ選択したのでしょうか。また軍部に責任があると言われることも多いですが、実際はどうだったのでしょうか。本書の究極の目的は、主戦論者たちの視点から見た日米開戦経緯を通じ、「二度と戦争を起こさないための教訓を得る」というものです。よって考察は軍事領域に軸足を置きました。そして成人の年齢が18歳からに引き下げられた今、若い世代を含む全ての主権者が安全保障についても責任を持つ、それを自覚するのに役立つ本を、という思いで執筆しました。
しかし軍に対する評価も定まらない上、史実を検討しようにも、大量の史資料に取り組まなくては軍のことを理解できないようでは、研究者以外(あるいは研究者でも)考察するのは困難だと感じました。つまり、どうにか一冊で一通りの史実が見渡せるような俯瞰図を描けないものか、という動機につながりました。しかも学校の授業や講義のように体系的にです。
そのため、試みの一つとして史実の羅列に終始するのではなく、開戦経緯を一連の流れ、つまり「物語」のように書きました。また対象や時期を区切ったコマ切れの考察ではなく、史実のメインストリームから本質を浮き彫りにしたいと着意しました。その分、内容が発散しないように取り上げるトピックは絞りました。上級者は知っていて初学者には道標となるものにです。山の中で周りが見えなくなり、今、どこにいるのか、自分の位置さえ判らなくなったら大変不安です。そうならないように既知点とコンパスにより、自己位置を確認しながら進んでいくのと同じ、そのコンパスのような本になれば良いなという願いもありました。
太平洋戦争の開戦経緯をテーマにした本は数えきれないほどあります。私は本書で、戦争は国家・民族の興亡を決する重要な契機であり、ゆえに現代でも国家意思の実行手段として認められていると書きました。そこで、より具体的に戦争について分析し、それを回避するため、当時の「正当な勝利者」だった主戦論者たちの主張に耳を傾けることにしたのです。必要と必然とは違うことを強調するためです。その他にも本書の特徴として、安全保障領域に属する著者が戦略的思考の視点から開戦経緯を考察したというものもあります。
本書でいう新たな安全保障理論とは、ただ単に新しい理論を用いる、ということではありません。本書では軍事領域で開戦経緯を考察するに当たり、戦略環境の認識、戦略環境の醸成、そして非軍事領域での解決が不可能な場合の最も効果的な抑止・対処とは何か、という視点から分析しました。果たして日本は理に適った選択をしてきたのか、と読者へ問いかけています。
なお、サブタイトルの「〈主戦論者たち〉から見た」について補足します。これを見誤ると、本書を理解することができないからです。第一部では著者自らが論を進めています。しかし第二部になると、主戦論者たちの名を挙げて論を進めています。ただし、その論考は既に彼らの主張に基づくものとなっているのです。つまり著者の言葉ではなく、彼らの考え方、物事の進め方を追体験できるように工夫しているのです。
執筆している時に悩んだことの一つに、開戦経緯は「いつ」から分析すればよいかという疑問がありました。いろいろなご意見があると思います。私は幕末からとしました。なぜなら一貫して外圧への反応を通じ、「日本」という国が形成されてきたと考えるからです。しかし、それは考察の範囲であり、分析の焦点ではありません。そのため焦点は第二次近衛内閣の時期からとしました。それまで日本は米国との距離を広狭していましたが、近衛内閣になり距離が広がっていったと結論付けました。
平和について考えるためには、戦争について考える必要があると思います。総力戦以降、戦争に勝つことが国家の最大の目的となりました。そこでは勝敗が国家の善悪を決めるようになった、つまり国力の総和で戦うために、学の領域でも軍事の「侵略」が進んだと考えました。そして戦後は、その反動で戦争に関する学は狭隘な領域に圧縮されたのではないかと感じました。これは正しいか、正しくないか、の単純な議論では明らかになりません。ただ多くの方に、「誰かがやれば良い」ではなく、しっかりと安全保障や戦争について関心を持って議論していただければ、と考えました。
別の言い方をすれば、平和を望むなら戦争のことを知らなくてはならない、です。現在、戦争のことを体験者から直接聞くことができた世代から、間接的に聞くことしかできない世代へと社会の中心が変化しているのも事実です。今こそ、なるべく多くのことを学ぶべきときだ、そのように感じています。
本書の「はじめに」にも記していることですが、戦争はとてつもなく恐ろしいものです。しかし、戦争をするのもしないのも人間が決める。このことを決して忘れてはいけません。