「女子供を学校に行かせる」ことをターリバーンが拒む理由 髙橋博史さん(元駐アフガン大使、拓殖大学客員教授)
記事:白水社
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パシュトゥーン族の部族慣習法パシュトゥーンワーリーとは「パシュトゥーン族らしさ」あるいは「パシュトゥーン族たること」「パシュトゥーン精神」といった意味である。そこにはパシュトゥーン族としてどうあるべきかが語られている。ターリバーンの「女子供を学校に行かせるか否かはアフガン人が決める問題だ。通学させろと主張して押しつけるのは内政干渉だろう」との主張をパシュトゥーンワーリーから読み解いてみると次のようになる。
パシュトゥーンワーリーのなかに「ノムース」という言葉がある。パシュトゥーン族にとって非常に重要な言葉で、「ノムース」はパシュトゥーン族として死を賭けるほど重要な守るべきことを意味する。「ノムース」という言葉を翻訳すると、「名誉」あるいは「誇り」といった言葉とよく似ている。その反対の言葉が「ベ・ノムース」である。「ベ」は否定の際に使用される助詞で、「ベ」が加わると「ノムース」を有していないという意味になる。「ベ・ノムース」とは、名誉や誇りを有していないといった意味になる。ただし、「ノムース」は活用範囲がたいへん広い。とくに相手の家族や一族の女性成員に関する事柄に触れることは、相手の「ノムース」を汚したこととされる。日本をはじめとする欧米諸国では通常の挨拶で「ご家族によろしく」あるいは「奥様によろしくお伝えください」といった挨拶は、礼儀正しい振る舞いとされる。だが、アフガニスタンにおいて相手の家族の女性成員について尋ねることは、相手の「ノムース」を汚したこととされる。当然、「ノムース」を汚された相手は恥辱を雪ぐ必要が生じる。恥辱を雪がなければ「ノムース」を有しない「ベ・ノムース(誇りのない)」な人間と言われ、人間として最低であるとのレッテルが貼られる。このようにパシュトゥーン人にとって「ノムース」はアフガン社会で生きていく上で非常に重要な言葉となっている。
ターリバーンの野戦指揮官たちにとって、国連機関あるいは国際社会による婦女子の教育のみならず、婦女子について云々することは「ノムース」の概念に抵触し、絶対に受け入れられない要求ということになる。もちろん、女性に教育を与える必要などないといった極端なことを唱える人びとがいることも事実である。この場合、ターリバーンにとって最も重要なのは、自分たちの女性が話題とされること自体「ノムース」の概念に抵触するということだ。守るべき対象である自分の「ノムース」が汚され「ベ・ノムース」の汚名を着せられることを最も恐れ、怒った。つまり、ターリバーンの野戦指揮官たちを憤慨させた大きな理由は「ノムース」にあった。
他方、国際社会は、婦女子に教育を受けさせることを拒否するターリバーンを女性の人権を無視した頑迷で無知な人びとであると非難する。ターリバーンは婦女子教育の是か非かを議論しているわけではなく、自分たちの「ノムース」が汚されることに憤っていたのである。つまり議論がまったくかみ合っていないのである。
[中略]
とくに女性に関し「ノムース」という概念が適用された場合、その適用範囲は通常より幅広く、われわれの理解を超えるものを持っている。ムジャーヒディーンがアフガニスタンにおいて対ソ連戦を戦っていたとき、日本政府は戦傷者治療プロジェクトを支援していた。イランやパキスタンといった近隣諸国では治療が困難な戦傷者を、日本で治療するというプロジェクトである。戦傷者の多くは男性が多かったが、空爆による女性の戦傷者もいた。そのため、女性だけの治療を実施するプロジェクトを国連機関が作成した。日本政府は彼女たちの治療のために、6カ月間の査証を発給することとした。ところが、女性の治療対象者だけを外国で治療させることは、アフガン人の男性にとって「ノムース」の概念が邪魔して希望者は1人もいなかった。この国連機関は、「ノムース」を汚されないための装置として、家族の男性成員が付き添い人として同行するという方法を考え出した。つまり、家族の男性が付き添うことによって家族以外の男性との接触をコントロールする。その結果、希望者が増え、プロジェクトの実施が可能となった。なかにはパキスタンやイランといった近隣諸国での治療なら許可するが、日本を含む欧米諸国での治療はたとえ家族が付き添っても治療は必要ないとして拒否した例もあった。このまま治療を受けなければ失明する少女に対し、少女の父親は付き添いを拒んだ。異教徒の国で治療を受けるなど言語道断。まして、娘を異教徒の医師にさらし、「ベ・ノムース」の汚名を着せられることを最も恐れたのである。
この「ノムース」の考え方は、パシュトゥーン族のみならず、多くのアフガニスタンに住む人びとの共通の考え方として存在している。
ターリバーンは1996年9月、首都カーブルを陥落させた。誰もがターリバーンによる全国制覇は時間の問題だと思った。米国は国務省高官を派遣してターリバーンの最高指導者ムッラー・ウマルと接触しようと試みた。その話を耳にしたムッラー・ナキブッラー師は、ムッラー・ウマルのところへ出かけた。米国は対ソ連との戦いで、ムジャーヒディーン勢力を支援し、米国の支援なしではムジャーヒディーンは勝利することができなかったと伝えた。さらに、米国政府の女性高官がターリバーンの最高指導者と面談したいと希望している意味は、ターリバーンを承認することにつながると述べ、ぜひ会見すべきであると助言した。ムッラー・ウマルはナキブッラー師の助言にうなずいた。彼は大幹部たちに米国政府女性高官との面談を指示した。ウマルの指示を受け、大幹部たちは協議した。当時、ムッラー・ウマルの顧問で、最も若かったワキール・アフマッド・ムタワキル師にこの役目が押しつけられた。女性高官はムタワキル師と面談した。これを聞いたナキブッラー師はターリバーン大幹部たちを再び訪れた。そこで「正統政府に認めてもらうチャンスを自ら放棄しているではないか」と苦言を呈した。押し黙る大幹部たちに、彼はその理由を問い質した。大幹部たちは「イスラームでは見知らぬ女性に会うことは禁じられている」と、ぼそぼそと異口同音に述べた。ナキブッラー師はこれを聞いてあきれ返り、「イスラームではそんなことを言っちゃいない。男性が女性より偉いなどと言うことはない。だいたい、男は女性の体から産まれるもの。何を寝ぼけたことを言っているんだ」と述べた。
笑い話のような話に、私はナキブッラー師にその事実を確認した。彼はにこにこしながら「本当の話だ」と述べた。「男は女性の体から産まれる」と言ったとき、彼らはどんな反応をしましたか」と私はナキブッラー師に尋ねた。彼は一言「頑固な連中だよ」とだけ述べた。
実はここでも「ノムース」の概念がターリバーン大幹部の心を支配していたことがわかる。見知らぬ女性に会って相手の「ノムース」を汚した場合、自分たちが「ベ・ノムース」という汚名を着せられることになる。彼らにとってこれは耐え難く、どうしても避けなければならないことであった。こうした行動から彼らを分析すると、自分たちの価値観に対し頑固なほど忠実であることが判明する。
【髙橋博史『破綻の戦略 私のアフガニスタン現代史』所収「第五章 ターリバーン考──アフガン人とは」(白水社)より抜粋紹介】