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いまこそデュボイスの声を聴け~『帝国のヴェール――人種・ジェンダー・ポストコロニアリズムから解く世界』より

記事:明石書店

荒木和華子・福本圭介編著『帝国のヴェール――人種・ジェンダー・ポストコロニアリズムから解く世界』(明石書店)
荒木和華子・福本圭介編著『帝国のヴェール――人種・ジェンダー・ポストコロニアリズムから解く世界』(明石書店)

BLM運動は何を問うていたのか

 私たちは、今、どのような世界に生きているのだろうか。あらためてそう尋ねられたら、皆さんはどう答えるだろうか。この問いに答えるのは思ったよりも難しい。というのも、「私たち」のなかにも複数性があり、自分が生きている世界と他者の世界は、異なっているかもしれないからである。したがって、「世界」をつかまえようと思えば、他者との対話が不可欠となる。また、今の世界を問うなら、人類が生きてきた長い歴史との関連で、「今」を捉え返さなければならない。これらは、大変な作業である。しかし、今、世界規模で誕生しつつあるのは、この世界そのものを問いに投げ込み、他者たちとの対話のなかで、再び新たに人間の針路を見定めようとする精神である。

 二〇二〇年五月末、ブラック・ライヴズ・マター運動(以下、BLM運動)と呼ばれる民衆蜂起が全米に広がり、さらには国境を越えて世界各地でそれに呼応する行動が展開されたのは記憶に新しい。米国ミネソタ州ミネアポリスでの白人警察官による黒人男性ジョージ・フロイドさん殺害の映像がSNSを通して拡散されたことをきっかけに、「黒人の命を軽く見るな」(Black Lives Matter)と主張する抗議行動が瞬く間に世界に広がったのである。

 もともとBLM運動は黒人に対する警察の蛮行に抗議するだけでなく、社会に内在する人種差別システムを変革しようとする運動として展開されていたが、アメリカ社会のメインストリームの運動にはなっていなかった。しかし、コロナ・パンデミックの渦中で「人種」による死亡率などの差が社会における「命の格差」を明白にするなかでの殺害事件は、社会に内在する構造的な差別と暴力を可視化させ、不公正で不平等な社会構造そのものに人々の目を向けさせた。そして、マジョリティの側にいる白人さえもが――特に若者たちが――自らの特権と足場を問い始めたのである。

 世界に広がったBLM運動が本質的に問うているのは、この世界がいまだに内蔵している植民地主義的な構造(制度的な差別)だと言っていいだろう。もちろんそのような構造は、私たちが生活する日本社会のなかにも根深く残っている。BLM運動に呼応する行動は、沖縄においては米軍基地問題に取り組む若者らによって主催されたし(その周辺からは、「オキナワン・ライヴズ・マター、命どぅ宝」という声も聞こえた)、日本の各地の都市でも、それぞれの場所の反差別の運動と結びつきながら展開された(我々編者も職場のある新潟市でデモに参加した)。これらのことが示しているのは、日本社会のなかにも植民地主義や制度的差別が根深くあること、さらには、それらの構造的問題を世界史的な文脈のなかで問い直そうとする新しい精神が生まれ始めていることだ。

 本書『帝国のヴェール――人種・ジェンダー・ポストコロニアリズムから解く世界』も、そのような時代状況のなか、この問題と正面から組み合うために編まれた論文集である。執筆者たちの専門分野は、歴史学、文学、文化研究、批評理論、メディア研究、国際関係論、ポストコロニアル研究と様々であり、国籍、居住地、性別、年齢も様々なのだが、論文の根底に流れる主題は共通している。ここでは、なぜ、この論文集に「帝国のヴェール――人種・ジェンダー・ポストコロニアリズムから解く世界」というタイトルがついているのかを説明することで、複数の執筆者によって成り立っている本書の根底にある主題を説明しておきたいと思う。

デュボイスはいかに現代を語るか

 「帝国のヴェール」という言葉の背後にある一つの重要な認識は、私たちは、いまだに「帝国」と呼ぶほかない国家と資本によるシステム、つまりは、国境を越えた(目には見えにくい)搾取と収奪のシステムのなかにいるのではないかということである。読者のなかには、「帝国」とは過去の遺物であり、人類は帝国主義や植民地主義をすでに乗り越えたと思い込んでいる人がいるかもしれない。しかし、グローバルな水準でも「中核(中心)」が「周辺」を搾取する世界システムや、その下での国家間のヘゲモニー争いは残っており、「中核」を構成する先進国の内部でも、富の偏在と貧困を生み出す経済システムや社会構造はなくなっていない。また、様々な少数民族や先住民に対する差別もあいかわらず続いている。人々を分断し、支配し、搾取する「帝国」は決して終焉していないのである。

 では、「帝国のヴェール」とは何なのか。この言葉を説明するにあたって、二〇世紀アメリカを代表する一人の思想家を紹介したい。奴隷解放後から公民権運動只中までの一世紀を生き、アメリカという「帝国」の形成と白人至上主義の関係について誰よりも深い洞察を持っていた黒人知識人、W・E・B・デュボイス(一八六八〜一九六三)である。デュボイスは、その主著『黒人のたましい(The Soul of the Black Folk)』(一九〇三)の冒頭において、二〇世紀初頭の「帝国」をつくり上げている肉眼では見えにくい「障壁」の存在を「ヴェール」という言葉で呼んだ。これが実際に意味するのは、国境を越えて広がる「カラーライン」(皮膚の色による境界線)なのだが、デュボイスは、「ヴェール」という言葉を使って、「帝国」の土台を形成する世界の分断と特定の人間への抑圧を比喩的に表現したのである。

 デュボイスによれば、黒人たちの生は、目には見えない何かによって、押し込められ、閉じ込められ、声を奪われている。目には見えない「障壁」が黒人たちの存在には貼りついており、その「ヴェール」がもう一つの世界から黒人たちを断絶させているのである。他方、マジョリティである白人側からは、そのような黒人たちの孤立や苦しみが見えない。黒人たちの生には、「ヴェール」がかかっており、白人の世界からは不可視化されているのである。デュボイスにとって「ヴェール」とは、このように、特定の人間の存在を抑圧しつつ、それを隠蔽するものである。人間を圧殺しつつ、その暴力を不可視化するのが「ヴェール」であり、「カラーライン」を引くこと(=人種化)なのである。

ジェンダーによるヴェールの機能とポストコロニアリズム

 また、このような「ヴェール」の機能が、実は、「ジェンダー」にもあるということを、二一世紀に生きる私たちは知っている。エジプト出身の著名なフェミニストであり、今年三月に八九歳でその生涯を閉じたナワル・エル・サーダウィもまた「ヴェール」という言葉を用いて、ジェンダーによる差別や障壁の不可視性を指摘していた。「人種」によって、人間が閉じ込められつつ、その暴力が不可視化されてきたように、「ジェンダー」によっても人間は閉じ込められ、そのような暴力が不可視化されてきたのである。そして、本書第一部の執筆者ルイーズ・M・ニューマンが長く研究してきたように、この二つの概念(規範)は相互補完的に絡み合いながら互いを形成し、アメリカ「帝国」の形成そのものを支えてきた。

 また、「ヴェール」とは、第Ⅰ部の第2章やコラム1で述べられているように、女性への覆いcovertureのことでもある。本書のカバー写真(マニフェスト・デスティニーを表している)の女神が纏っているのが白いヴェールであり、また多くの社会において花嫁が結婚式で纏うのも純白のヴェールである。このようなヴェールは魅力的で美しいものとして表象・認識されることが多く、このヴェールを纏うことは一部の女性の憧れであることも珍しくない。つまり、「ヴェール」がなぜ不可視化されているかといえば、第5章で明快に解説されているように、イデオロギーの機能においてわたしたちは無意識に、しかし自発的に、巧妙な権力に合意してしまうからである。権力、ヘゲモニーはニシャン・シャハニが述べるように、隠匿的であり、「覆い隠されており、潜伏しているのである」。

 つまり、「帝国のヴェール」とは、人間を抑圧しつつ、それを隠蔽する何ものかであり、それ自身見えづらい。「帝国」はそのような「ヴェール」(人種、ジェンダー)を土台にして自らを構成している。したがって、「帝国」も見えづらい。しかし、現代においても怪物的存在であることをやめない「帝国」の正体を捉えるためには、私たちは、人間の生を殺害可能なものにする「ヴェール」にこそ、あらためて目を凝らさねばならないだろう。人間を真に解放するには、その「ヴェール」を可視化する必要があるのだ。

 本書『帝国のヴェール――人種・ジェンダー・ポストコロニアリズムから解く世界』の背後には、以上のような問題意識がある。サブタイトルのなかにある「ポストコロニアリズム」は、いまだ継続する植民地主義を直視しながら、そこからの脱却を模索する人間たちの闘いを名指す言葉である。「ヴェール」を直視し、分析し、言語化するのは、私たちが、その向こうの世界を、その向こう側にいる人間との出会い直しを求めるがゆえである。そして、向こう側にいる人間とは、あなた自身かもしれない。私たちは、殺したくないし、殺されたくない。この倫理を抱きしめて、「ヴェール」に両手を伸ばしたい。「ヴェール」の向こうからは小さな叫びが聞こえているだろう。あるいは、その小さな叫びは、私たちの心の奥底から聞こえているのかもしれない。私たちは、その「叫び」への応答のなかで対話を開始し、自分の答えと新しい世界をきっと見つけることができるだろう。

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