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文学批評が面白い! 深い読解の先に見える世界 紀伊國屋書店員さんおすすめの本

記事:じんぶん堂企画室

文学研究者による様々な批評本

 シェイクスピア研究を専門とする北村紗衣による2019年の批評集『お砂糖とスパイスと爆発的な何か 不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門』(書肆侃侃房)が話題になったのはまだ記憶に新しい。この本には、書店の店頭ではあまり目立たない批評というジャンルを、アクチュアルかつ楽しいものとして再提示したかのような印象があった。ふだん批評というジャンルに馴染みのない読者も多く手に取ることになったと思う。

 私もこの本を読んだためなのかどうか、その後に刊行された、文学研究を専門とする著者による本をいくつか読んだので紹介してみよう。

現代の英米文化の中の「喪失」を読む

 まずは高村峰生による『接続された身体のメランコリー 〈フェイク〉と〈喪失〉の21世紀英米文化』(青土社)。英米文学・文化、比較文学と表象文化論を専門とする著者による、小説・映画・音楽などを含む英米文化の批評集である。ドン・デリーロの小説、クリストファー・ノーランの映画、デヴィッド・ボウイの音楽など幅広い分野の作品が俎上に載せられているが、全体を貫くコンセプトが題名にもなっている「接続された身体のメランコリー」である。

 ネットワークが世界を覆い尽くし、様々なことがヴァーチャルに実現されるようになった時に失われたものがあるとして、著者はそれを「メランコリー」の対象、つまり「何を喪失したか意識化できないもの」とする。この本では現代の英米文化の分析の中からその「喪失」の内実を探り、またそれに対応してに現れるものとしての「フェイク」という概念を取り上げる。様々な作品を参照しながら、私たちをとりまく「喪失」と「フェイク」のあり方から現代の世界の姿を考えるのが著者の試みだ。

 本書に収められた十一本の文章はバラバラに書かれたもので、厳密にこのテーマを共有しているわけではないが、しかしそれは著者の問題意識として、それぞれの批評をさりげなく貫いている。ある「喪失」を前提としながら様々な表現について語っていくことで、全体からひとつの視点が浮かび上がるのが本書の醍醐味だ。

「ケア」という視点で文学を読む

 次に紹介するのは、小川公代による『ケアの倫理とエンパワメント』(講談社)。英文学ほか近代小説を専門とする著者による、様々な文学作品を「ケア」という観点で読み解いていく論集だ。

 キャロル・ギリガンは1980年代に「ケアの倫理」という概念を提唱し、フェミニズムの歴史の中では女性の自立を阻むものとして軽視されがちだったケアの価値の復権を目指したという。著者はそのケアの価値を、専門であるヴァージニア・ウルフやトーマス・マン、オスカー・ワイルドなどの近代文学、さらに多和田葉子や平野啓一郎などの現代の小説までを参照しつつ、いくつかの鍵概念を挙げながら探っていく。その概念とは、問題が解決しないままの宙吊り状態に身を置き続ける「ネガティブ・ケイパビリティ」、定量的な時間の長さではなく、短い時間の中に膨大な経験が含まれうる「カイロス的時間」、両性具有的な視点を備えた「多孔的な自己」などだ。

 この本では数多くの小説が著者の問題意識に引き付けられ、考える手がかりとして示される。著者がぶつかったケアという問いについて、手探りで考えていくような本である。現在の社会においては、多くの場合性差に根差した労働問題としての側面も強いケアの問題だが、この本ではケアをする者の内側にあるものにひとまず目が向けられる。

「歴史叙述」としてモダニズム文学を読む

 最後に取り上げるのは中井亜佐子による『〈わたしたち〉の到来 英語圏モダニズムにおける歴史叙述とマニフェスト』(月曜社)だ。英文学と批評理論を専門とする著者は、先の本にも登場したヴァージニア・ウルフや、ジョセフ・コンラッド、そしてハイチ革命に関する戯曲『ブラック・ジャコバン』を著したC・L・R・ジェームズを取り上げる。

 著者は二十世紀初頭に起こったモダニズムの運動にぴたりと照準を合わせながら、そこで行われた歴史叙述の試みを詳細に分析していく。歴史を歴史として記述するのではなく、小説や戯曲の形で歴史を書き残すことに対する挑戦、そしてそのことによって一体何が実現されたのかを、著者は丁寧な手捌きで拾い上げる。

 そしてこの本のもう一人の主役が、C・L・R・ジェームズの配偶者であり、ヴァージニア・ウルフに影響を受けていたセルマ・ジェームズである。1970年代に「家事労働に賃金を」運動を先導していたセルマがウルフの文学にいかなる影響を受けていたかを辿ることによって、著者は文学による歴史叙述の試みがいかに後世の人々の運動へと継承されたかを語っていく。

 二十世紀初頭のモダニズム文学という限定された分野の研究から、「歴史」という大きな概念について考える手がかりを導き出し、さらにそれを現在の社会へと繋げていく様には、批評という行為の射程の長さを思い知らされる。

 これらいずれの本も、小説などの作品がどのような経験を読者にもたらすかということを、作品に深く入り込むことで引き出している。また、それは作品内容を何か単一の要素に還元するような読み方ではなく、分析することによって作品の楽しみ方がより増えていくような読み方だと思う。小説や映画などの作品そのものだけでなく、このような批評の楽しみもぜひ味わってみてほしい。

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