隠されていた「永遠の化学物質」PFASによる水汚染
記事:平凡社
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戦前か戦後のことかはわからないが、昭和一桁生まれの母からよく聞かされた話がある。
幼かったころ、母の父親、私にとっての祖父が、これからはだれもが簡単に水を飲める時代になると言い、まだ世の中に広まっていなかった水道をこう呼んだという。
「ひねると、ジャー」
魔法のように、 蛇口の取手をひねればどこでも水が出てくるようになる、と。 井戸から地下水を汲み上げるのが当たり前だったころのエピソードだ。
もしかしたら、それは大人であれば簡単に見通せる未来だったのかもしれない。それでも、母にとってあの言葉は、早くに死別した父親の偉大さをなぞることのできる数少ない記憶のひとつだったのだろう。
その後、祖父の“予言”どおり、水道は全国に広がった。
しばらくして、蛇口の取手はレバーに替わり、ひねらなくても水は出るようになった。 いつしか、浄水器をとおすことが当たり前となり、気がつけば、安全でおいしい水は給水サーバーやペットボトルで購入する贅沢品になっていた。
そんな飲み水をめぐる情報を耳にしたのは、3年ほど前のことだ。
発がん性が疑われる物質によって汚染されているかもしれない――。 そう聞いて、新聞記者の私は思った。
台所に届く前の飲み水がどこからくるのか、その源をたどってみよう。 当初、「汚染はない」と言われ、飲み水は「安心安全」と聞かされた。
でも、浮かんだ疑問を一つひとつつぶし、真相を探るうち、隠れていた事実が少しずつ見えてきた。
それが、有機フッ素化合物という耳慣れない化学物質による汚染だった。
この物質は焦げつき防止加工のフライパンやハンバーガーなどの包装紙、化粧品、レインコート、カーペットなど、さまざまな生活用品に含まれている。
水も油もはじく便利さは替えがきかないため、半世紀以上にわたって使われてきた。 だが、棄てられた後、地面に染み込み、地下水が汚された。
一部は飲み水として、人々の体内にも取り込まれた。
有機フッ素化合物はたがいにくっついて離れず、壊れにくいため、いつまでも消えない。 その結果、環境や人体に蓄積されていく。
ただ、健康に影響があるかどうかについて、確たることはわかっていない。 わからないことを理由に、国は水質管理の基準を長く設けてこなかった。
基準がないから調べず、調べないから実態をつかめず、つかめないから動かない。あるいは、調べても公表しない。
そのため、一部をのぞき、汚染はないものとされてきた。
作為と不作為の積み重ねによって、問題そのものが事実上、消されていたのだ。 取材を重ねるうちに、「消された汚染」の実態が明らかになってきた。
同時に浮かび上がったのは、この国が抱える危機の深層とでもいうべきものだった。
これは、いのちにつながる水の汚染をめぐる報告であり、無縁ではいられない化学物質についての考察であり、暮らしにかかわる情報隠しの記録でもある。また、機能不全を起こしかけている国のかたちについての論考として読むこともできるかもしれない。
(平凡社新書『消された水汚染――「永遠の化学物質」PFOS・PFOAの死角』「まえがき」を抜粋)
〈『消された水汚染』目次〉
第1章「永遠の化学物質」
第2章 隠されていた地下水汚染
第3章 取水停止の衝撃
第4章 水質調査はされていた
第6章 汚染源を追う
第7章 連鎖する無責任
第8章 日米地位協定の壁
第9章 日米合同委員会の闇
第10章「空白」の舞台裏
第11章 バイオモニタリング
第12章 広がる汚染地図
終 章 汚染と隠蔽