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水道 金と権力に流れていないか

群馬と新潟の県境の大水上山。首都圏に水道水を供給する利根川の水源地であることを示す碑=2016年

 昨年、改正水道法が成立した。注目されたのが、自治体が浄水施設の所有権を保持しながら、運営権を民間企業に譲渡できるというコンセッション(民営化の一形態)だ。
 議論が白熱する中、国会で民営化の失敗事例として南米ボリビアのコチャバンバ水紛争が示されていた。2000年、外国企業に水を握られた市民が蜂起し、水道の再公営化を勝ち取った。指導者だったパブロ・ソロン氏に一昨年話を聞くと、自国の再公営化を評価しながらも「もっと視野を広げて考えるべきだった」と悔やんでいた。同国は現在、森林伐採、山火事、地球温暖化などによる水資源への影響が新たな問題になっている。
 安全な水を当たり前と考える私たちだが、歴史的、地理的に水を考えることで、その有難(ありがた)さに気づくのかもしれない。『渇きの考古学』は人類の水管理の歴史を考古学者が語る。シュメール文明の興亡と水管理の関係、ローマのぜいたくな水道システムと大浴場、中国・戦国時代の都江堰(とこうえん)の見事な設計思想と執念の土木工事などを示し、過去からの教訓として「自分の水供給は自分でコントロールするように。さもなければ少なくとも、あなたの水供給をコントロールする者たちには責任を取らせるように」「歴史を通じて、水供給が権威を持つ者たちによって、その権威をさらに強化するために操作されたことはまったく明らか」と結んでいる。

不十分な防衛策

 水についての言及が多い『老子』には「上善若水」という一節があり、「水の美点の一つは低きに流れること」と説いているが、現実的には水が、金と権力に向かって流れることがある。水道法改正による運営権売買はその一例かもしれない。土地所有権の移動に伴う地下水利用権の移動も同様だろう。民法に「土地の所有権はその上下に及ぶ」と規定され、土地所有者は自由に地下水を利用できる。
 そうしたなか『領土消失』は、日本の土地取引ルールの甘さを指摘する。日本の土地は外国人であっても目的を問わず「買収」「利用」「転売」できる。諸外国は外国人の土地所有に対し防衛策を尽くし、国益を損なう土地は売らないという視点で法律ができている。一方、日本は自由貿易、規制緩和に重きをおき、森林、水源地、農地が安価で売られるケースがある。政府発表によれば、外国資本が買収した国土は、森林が累計299件、総面積5789ヘクタール(林野庁:2006~17年累計)だが、著者によると氷山の一角で、届け出しなかった買収、外資法人の子会社(日本法人)の買収などは数字として表れない。土地取得の目的は居住、リゾート開発、農業などと推測され、いずれも大量の地下水利用が考えられる。

自治を守るには

 水道法改正、土地買収など、グローバル企業の進出によって、水の将来を心配する声が高まるが、大切なのは足元。『「流域地図」の作り方』は、家庭に来る水がどこから来るかを示してくれる。山に降った雨は、尾根で分かれ、低い所へと流れ、川に集約され、海へ出る。この流域という視点で自分の住む土地を見直すと、様々なものが見える。森林が荒廃すれば貯水機能は弱まり、渇水や水害のリスクは高まる。水田の減少が地下水の減少につながる。同じ流域に住む人は同じ水を使い、ときには洪水や渇水、水質汚染などの影響をともに受ける。
 前述の『老子』は理想の国家像として「小国寡民(しょうこくかみん)」と説く。小さな国、少ない市民ということで、グローバルではなくローカルな暮らし、地域コミュニティーを大切にする暮らしということ。自分の住む流域の歴史に学び、今を点検することで水への思いは変わり、自治は守られる。=朝日新聞2019年2月2日掲載