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いまを生きる私たちに響く、日蓮のことば

記事:平凡社

日蓮が題目を唱え、立教開宗した清澄寺(千葉県鴨川市)に建つ「日蓮聖人銅像」。
写真=土間拳 / PIXTA(ピクスタ)
日蓮が題目を唱え、立教開宗した清澄寺(千葉県鴨川市)に建つ「日蓮聖人銅像」。 写真=土間拳 / PIXTA(ピクスタ)

『ことのは 日蓮の手紙――生きるとは想い、悩み、許すこと』(木村中一著・平凡社)
『ことのは 日蓮の手紙――生きるとは想い、悩み、許すこと』(木村中一著・平凡社)

なぜ日蓮のことばに惹きつけられるのか

 日蓮は貞応元年(1222)年2月26日、安房国長狭郡東条郷(現在の千葉県鴨川市から天津小湊のあたり)の海辺で生まれたと伝わっている。幼少期から非常に聡明で、近くの寺で修業を終えたのち、鎌倉や比叡山へ遊学、のちに帰郷し、立教開宗をした。日蓮を慕う者は少しずつ増えていくが、一方で地元有力者や時の幕府、その関係者や他の宗派からの執拗な迫害はとどまることがなかった。

「普通の人間だと、あまりにも酷い嫌がらせを受けると諦めてしまいますよね。でも日蓮はそんな彼らを含めた日本の人々全てを救済しようと、信仰を通じて社会のあり方を根底から直そうとするんです。「法華経」がお釈迦様の本当の教えであり、人々の救済は「法華経」による、と。でもなかなか幕府や人びとは理解してくれない。逆境にあればあるほど、さらに激しく法華経を弘めよう、と信念を燃やされるんですよね」『ことのは 日蓮の手紙』著者の木村中一氏

 なぜ社会はこうなってしまったのか、その根源から変えようとしていたほど壮大な願いを常に抱いていた日蓮。だからこそ日蓮がしたためた言葉は相当なエネルギーを持ち、それらの言葉に接する人びとを覚醒させるのである。「そこまでやらなくてもいいのではないか」という声が聞こえても動じず、ひたすら釈尊の言葉を信じ、人びとを信じ、世界を信じる。そこには無限の「慈悲」があるのではなかろうか。

昔も今も人びとの悩みは変わらない!?

 日蓮の手紙は、手紙以外に書き残した物と総じて「遺文」と呼ばれている。現在確認されている遺文の数は約450点を数え、贈り物への御礼や信者らの悩みへのアドバイスなど、気軽に読むことができるものから深刻な内容までさまざまだ。ただ、いずれの日蓮の言葉も深いところまでみていくと、人の心が抱える苦悩は、その原因に多少の違いはあるものの、あまり変わらず、おおよそは日々抱える苦悩に関係しているということがわかってくる。また、鎌倉時代に生きた人が抱えていた悩みやトラブルは現代を生きるわれわれの苦悩とさほど変わらないようにも感じられる。つまり、時代が変わっても、人びとは日々悩み、苦しみ、そして悲しんでいるのである。ここでは本書に収録されている悩み、その悩みへ答えにふさわしい日蓮の言葉を3つ挙げてみよう。

悩み
「死んだほうが楽になるのではないか」、「いつになったら平穏な日々を送ることができるのか」、「明日、学校・会社があると思うと死にたくなる」

日蓮のことば
【原文】
「命と申す物は一身第一の珍宝なり。一日なるともこれをのぶるならば千万両の こがねにもすぎたり。法華経の一代の聖教に超過していみじきと申すは 寿量品じゅりょうほんのゆへぞかし。閻浮第一の太子なれども短命なれば草よりもかろし。日輪のごとくなる智者なれども 夭死わかじにあれば 生犬いけるいぬに劣る。」
【訳】
「命というものは、人間にとって最も大切な、第一の宝である。一日でもこれ(命)を延ばすことができるならば、千万両の こがねよりも大変な価値のあるものである。法華経がすべての経典の中で優れているのも、妙法蓮華経如来寿量品によって釈尊の命が久遠(永遠)であることを説き示されているからである。
 世界中において最もすばらしい王子であったとしても、短命であったならば、その価値は草よりも軽い。また太陽のように光り輝くような智慧を持つ者であったとしても、若死にしたのではその価値は犬よりも劣るものである。

悩み
「なぜ自分だけが悩むのか」、「自分だけが損している気がする」、「周りの人だけ幸せになっている」

日蓮のことば
【原文】
「かかる 浮世うきよには互につねにいいあわせて、ひま(間)もなく 後世ごせねがわせ給ひ候へ。
【訳】
「このような浮き世(現世)の出来事に一喜一憂するのではなく、常に互いに人としての正しい生き方や、素直な気持ちを持つことができるように励まし合いながら、感謝を忘れることなく後の世の救いを願うことが重要である。

悩み
「太っている自分が嫌でたまらない」、「食べないで痩せようとしたが失敗した」

日蓮のことば
【原文】
「人にも二つの たからあり。一には衣、二には食なり。経に云く、「 有情うじょうは食によって住す」と云云。 もんの心は、生ある者は衣と食とによつて世のすむと申す心也。魚は水にすむ、水を宝とす。木は地の上をい(生)て候、地を たからとす。人は食によて生あり。食を財とす。
 いのちと申す物は一切の財の中に第一の財なり。遍満三千界無有直身命ととかれて、三千大千世界にみてゝ候財をいのちにはかへぬ事に候なり。さればいのちはともしび(灯)のごとし。食はあぶら(油)のごとし。あぶらつくればともしびきへぬ。食なければいのちたへぬ。」
【訳】
 人間は生きる上で、二つの財産が必要である。一つは衣類であり、二つには食物である。経文には「形あり、生きるものは食物によって、その命を存続させることができる」とある。この部分の意味するところは、全て生あるものは衣類と食物とにより、この世界に存在することができるということである。魚は水中にあって、水は宝(財)とする。また木は大地に生い茂り、大地を財(宝)とする。これらと同様に人間は食物によって生かされているのであって、食物を第一の財とするのである。
 命というものは全ての財宝の中の第一に大切、重要な財産である。経文にも、あまねく三千世界の中において身命に値するものはないと説かれていることから、まさしく三千大千世界の全ての財産をもってしても命に代えることはできないと理解できよう。命は灯火のようなものであり、食物は油のようなものである。油が尽きると灯火は消えてしまうように、食物がなければ命も絶たれてしまうのであるから、食は欠かせない重要なものである。

日蓮の手紙から見えてくるもの

 「え、日蓮ってこんなに親身になって手紙を書いたのか!」と思う人が多いかもしれない。たしかに、さきほども述べたようにどんな逆境に遭ってもめげない日蓮のその強そうなイメージからすると人に寄り添う、やさしげな雰囲気はなかなか伝わりにくい。しかし、実際、日蓮はことあるごとに筆をとって、配流の地であった伊豆や佐渡、そして身延山から弟子たちや知り合いを通じて方々に手紙を書き送ったのであった。とりわけ注目されるのが女性に宛てた手紙の多さやその書法だ。

「平安時代より書の作法として女性には柔らかい和文体を、男性には格調高い漢文体を使用するのが「ならい」であったといいます。日蓮はこれに倣って多くの女性信者に対しひらがなで書いたり、表現を少しやさしい感じにしたりというように男性への手紙とは書法を変えて書状を書いたのです。これからも日蓮の細やかな、宛所に対し配慮をするという「人となり」を読み取ることができます」木村中一氏

 当時、紙は非常に貴重なものであり、筆や墨もそうたやすく手に入るわけではなかった。また手紙を届けるにも何日もかけて届ける必要があったうえ、時の政府から睨まれていたので途中で没収される危険性も高かったとも考えられる。そういう状況を抱えながらも日蓮は筆をとったのだ。そこには自らの考え、教えをいち早く、正しいかたちで、ひとりでも多くの人に伝えたいという必死な想いが伝わってくるようである。

 日蓮が机に向かい合いながら手紙を書いていた時代から800年後の時が経った。新型コロナの感染状況はますます先が読めない。また自然災害はいつ起きるかわからない、そして第二次世界大戦後から突っ走ってきた日本の中ではさまざまな構造的なひずみが現れ、社会の分断が生まれ、いろんな人が苦しみながら毎日を過ごしている。

「もし日蓮がいまのわれわれに手紙を書くならば『いまこそ自分と向き合いなさい。今抱える苦しみや悲しみの解決の糸口は、自分が一番わかっているであろう』と記されるでしょうね。」木村中一氏

文=平井瑛子(平凡社編集部)

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