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「歴史認識」はなぜ他国と食い違うのか? キース・ロウ『戦争記念碑は物語る 第二次世界大戦の記憶に囚われて』

記事:白水社

キース・ロウ著『戦争記念碑は物語る 第二次世界大戦の記憶に囚われて』(白水社刊)は、世界各地にある25の戦争記念碑を「英雄」「犠牲者」「モンスター」「破壊」「再生」に分類して、歴史の表象とその変化や議論を考察する。【地図・写真多数収録】
キース・ロウ著『戦争記念碑は物語る 第二次世界大戦の記憶に囚われて』(白水社刊)は、世界各地にある25の戦争記念碑を「英雄」「犠牲者」「モンスター」「破壊」「再生」に分類して、歴史の表象とその変化や議論を考察する。【地図・写真多数収録】

【著者動画「Keith Lowe: Prisoners of History」】

 

 2017年の夏、アメリカの州議会議員たちは、公共施設の外の通りや広場から、南軍の英雄像を撤去し始めた。黒人奴隷を維持する権利を求めて戦ったロバート・E・リーやジェファーソン・デイヴィスのような19世紀の人物は、もはや21世紀のアメリカ人にとって適切な模範とは見なされなくなったのだ。こうして彼らの名誉は失墜し、彼らに対するアメリカ全土での抗議と反発の大合唱の中、このような記念碑は次々と撤去されていった。

 アメリカで起こったことは、何も特別なことではない。他の場所でも、様々な記念碑が次々と取り壊されている。2015年には、ケープタウン大学からセシル・ローズの像が撤去され、その後、南アフリカ全土においてすべての植民地主義的シンボルを撤廃するよう求める声があがった。この「ローズ・マスト・フォール(Rhodes Must Fall)」と呼ばれるキャンペーンは、イギリス、ドイツ、カナダなど、世界中の国々に瞬く間に広がった。同じ年、イスラム原理主義者たちは、偶像崇拝を理由に、シリアとイラクにおいて何百もの古代の像を破壊し始めた。また、ポーランドとウクライナの政府は、共産主義を顕彰する記念碑の全面撤去を発表するなど、偶像破壊の波は世界を席巻していたのである。

ケープタウン大学から撤去されるセシル・ローズの像(2015年4月、南アフリカ)
ケープタウン大学から撤去されるセシル・ローズの像(2015年4月、南アフリカ)

 私はこれらの出来事を非常に魅力的なものと見ると同時に、何か、とても信じられないような気持ちでいる。私が育った1970年代、80年代には、このような状況考えられないことであった。当時、いたるところにある記念碑は、ただの街路設備としてしか認識されておらず、そこは確かに、待ち合わせや、たむろするのに便利な場所ではあったが、それ自体に注意を払う人などほとんどいなかった。中には奇妙な帽子を被り、口ひげを生やし、もはや誰だか忘れられてしまった老人の像や、コンクリートやスチールなどで作られた抽象的な造形物もあったが、どちらにしても、私たちはそれらの持つ意味を本当に理解することはできなかった。このように多くの人々は街中の像のことなど気にも留めておらず、それらの撤去を求めることに何の意味も見出さなかったのである。しかし、ここ数年で、これまで目に見えていなかったものが、突然注目の的となった。どうやら何か重要なことに大きな変化が起こったようである。 

 私たちは古い記念碑を撤去すると同時に、新しいものも作り続けている。2003年のバクダッド中心部でのサダム・フセイン像の破壊と撤去は、イラク戦争の決定的なイメージの1つとなった。しかし、この像が撤去されてから2年の内に、ここにはイラク人家族が太陽と月を抱く姿の新しい記念碑が設置された。これを制作した芸術家たちにとってこの像は、平和と自由を特徴とする新しい社会へのイラクの希望──それは汚職、過激主義、暴力の再燃に直面し、すぐに打ち砕かれたが──を表していた。

 今や、同じような変化が世界中で起きている。アメリカでは、ロバート・E・リーの像がローザ・パークスやマーティン・ルーサー・キングの像に置き換えられているし、南アフリカではセシル・ローズの像が撤去され、ネルソン・マンデラの像が建てられた。東ヨーロッパでは、レーニンとマルクスの像がトマーシュ・マサリクやヨゼフ・ピウスツキ、そしてその他の民族主義的な英雄の顕彰に道を譲っている。

 最新のモニュメントの中には、特にアジアの一部の地域において、本当に規模の大きなものも見られる。例えば2018年の末、インドは1930年代から40年代にかけての独立運動において重要な役割を果たした、サルダール・ヴァッラブバーイー・パテルの新しい像をお披露目した。182メートルの高さを有するこの像は、現在、世界で最も高い像となっている。このような巨大な建造物を莫大な費用をかけて建設するという行為は、彼らの持つ驚くほどの自信の表れを意味している。これらは一時的な建造物としてではなく、今後、何百年も維持されるように設計されている。しかし、このような像が、レーニンやローズ、そしてその他のかつては恒久的な存在だと思われていた人物たちの像よりも、これから上手く存続していけるだろうと、いったい誰がいえるのだろうか。

サルダール・ヴァッラブバーイー・パテルの像(2021年10月、インド)
サルダール・ヴァッラブバーイー・パテルの像(2021年10月、インド)

 ここでは一度にいくつかのことが起こっているように思える。記念碑は私たちの持つ価値を反映しており、一応どの社会もその価値が永遠のものであると胡麻化しながらも信じようとしている。だからこそ、私たちはそれらの価値を石に刻み、台座の上に設置するのだ。しかし、世界が変化しても、私たちの記念碑は、そして、それらが表象する価値観は、時の中で凍り付いたままなのである。今日の世界は、かつてない速さで変化しており、数十年、あるいは数百年前に建てられた記念碑は、もはや私たちが大切にしている価値観を表してはいない。

 現在、私たちの記念碑を巡って行われている議論は、そのほとんどがアイデンティティに関するものである。世界がまだ、いわゆる年老いた白人に支配されていた時代には、彼らの名誉を称える銅像を建てることには意味があった。しかし、多文化主義や男女平等が進む今日の世界では、人々がそれらの像の存在に疑問を持ち始めても何ら不思議ではない。女性の像はいったいどこにあるのか。黒人が多数派を占める南アフリカのような国で、なぜ、白人の像がこんなにも多いのか。地球上、どの国にも負けず劣らず多様な人々を有するアメリカで、どうして公共空間にもっと多様性が見られないのか、といった具合にである。

 しかし、これらの議論の下には、さらに根本的な何かが存在する。私たちは、自分たちの共同体の歴史が、自らの生活の中でどのような役割を果たすべきなのかということについて、未だ考えがまとまらずにいる。一方で、私たちは歴史を私たちの世界を構築するための強固な基盤であると考えている。そして、それを良心的な力として想像し、過去から学び、未来へと前進する機会を得ているのだ。歴史は、私たちのアイデンティティの根幹をなすものなのである。

 しかしその一方で、私たちはそれを、何世紀にもわたる時代遅れの伝統への人質として私たちを無意味なものにする力であるとも考えている。歴史は私たちをかつてと同じ道に導き、同じ過ちを何度も繰り返させる。歴史に挑まず放っておくと、それは私たちを陥れてしまう。それは罠となり、そこから逃れることは不可能となるのだ。

 これは私たちの社会の中に存在するパラドクスである。どの世代も歴史の圧制からの解放を望んではいるが、歴史とアイデンティティは非常に複雑に絡み合っているがゆえに、私たちは歴史なしでは、何者でもありえないということを本能的に知っているのだ。

【キース・ロウ『戦争記念碑は物語る 第二次世界大戦の記憶に囚われて』「序章」より】

キース・ロウ『戦争記念碑は物語る 第二次世界大戦の記憶に囚われて』目次
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