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「広島 復興の戦後史」書評 立ち退きめぐる住民感情を解読

評者: 戸邉秀明 / 朝⽇新聞掲載:2020年05月30日
広島復興の戦後史 廃墟からの「声」と都市 著者:西井 麻里奈 出版社:人文書院 ジャンル:歴史・地理・民俗

ISBN: 9784409241295
発売⽇: 2020/04/10
サイズ: 20cm/378p

広島 復興の戦後史 廃墟からの「声」と都市 [著]西井麻里奈

 読後も忘れられない光景がある。1952年8月、広島平和記念公園の慰霊碑の除幕式を写した一枚。遠景の原爆ドームと慰霊碑の狭間で、幔幕(まんまく)に隠されながらも、バラックとよばれた簡易住宅がひしめきあう。戦前そこにあった繁華街は最近も映画「この世界の片隅に」で、よく知られている。だが戦後のある時期だけ存在した街の方は、そこに暮らした人々の営みも含めて、記憶されていない。
 戦後の広島では、平和都市の建設をかけ声に大規模な都市計画が進行した。区画整理で立ち退きを迫られた住民は、変更や猶予を求めて訴えを繰り返した。公文書に残るその陳情書の束は、被爆の瞬間で途切れようのない「私」や家族と土地との来歴を語り出す。哀訴や便乗など、策をこらして行政に交渉を挑む切実な声には、生活の再建をかえって復興に脅かされ、仮住まいのまま幾度も移動を強いられる寄る辺なさがにじむ。わずかな痕跡から陳情者のその後をたどり、行政担当者の感情さえ読みとる史料の解読も興味深い。
 ただし本書の主眼は、路傍に埋もれた人間ドラマの発掘にはない。陳情書には同じ立ち退きの境遇ゆえに隣人を妬み、街の美観や公益の理念をふりかざして、「不法建築」の撤去を焚きつける匿名の投書が多数見られた。差別感情まで噴出する住民同士の複雑な利害対立や、「誠意」の有無で市民の選別を始める行政側の変化に着目することで、達成を自己目的化した復興のあり方に著者は疑義を突きつける。圧倒的な物量で進む計画と、陳情書に谺(こだま)する声との衝突が作り出す戦後の都市空間の力学こそ、本書の真の主役と言える。
 東日本大震災と福島原発災害、さらには東京五輪の決定へと、広島の復興は年を経るごとに、その成功経験の「活用」が謳(うた)われるようになった。新たな都市史を提示した本書は、私たちのこの無際限の欲望に対する、若い世代の厳しい問いかけを起点としている。
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にしい・まりな 1988年生まれ。日本学術振興会特別研究員PD。大阪大大学院博士後期課程修了(博士・文学)。