1. じんぶん堂TOP
  2. 歴史・社会
  3. ソヴィエトで最も安全で進んだ原発と言われたチェルノブイリは、なぜ事故を起こしたのか?[後篇]

ソヴィエトで最も安全で進んだ原発と言われたチェルノブイリは、なぜ事故を起こしたのか?[後篇]

記事:白水社

『ニューヨーク・タイムズ』『タイム』『カーカス・レビュー』の「年間最優秀書籍」に選出! アダム・ヒギンボタム著『チェルノブイリ 「平和の原子力」の闇』(白水社刊)は、欠陥をはらんだ原発の誕生から、1986年4月の事故の経緯、未曾有の放射能汚染、心身に残した傷にいたるまで、災厄の全体像に迫り、体制そのものに悲劇の深層を探る。著者渾身の傑作ノンフィクション。【カラー口絵写真16頁、地図・図版多数収録】
『ニューヨーク・タイムズ』『タイム』『カーカス・レビュー』の「年間最優秀書籍」に選出! アダム・ヒギンボタム著『チェルノブイリ 「平和の原子力」の闇』(白水社刊)は、欠陥をはらんだ原発の誕生から、1986年4月の事故の経緯、未曾有の放射能汚染、心身に残した傷にいたるまで、災厄の全体像に迫り、体制そのものに悲劇の深層を探る。著者渾身の傑作ノンフィクション。【カラー口絵写真16頁、地図・図版多数収録】

[前篇はこちら]

【著者動画:Life Before the Chernobyl Disaster】

アダム・ヒギンボタム『チェルノブイリ──「平和の原子力」の闇』登場人物
アダム・ヒギンボタム『チェルノブイリ──「平和の原子力」の闇』登場人物

 

チェルノブイリ原発・原子炉運転担当副技師長、
アナトーリー・ジャートロフ

 午前1時25分をわずかに過ぎた時のことだ。キャンディケイン〔杖の形をした縞模様のあるキャンディ〕のような3、4号機の排気筒の周辺から、暗い紫色を虹状に帯びた炎の奔流が上空へ噴き出し、150メートルの高さにまで達した。チェルノブイリ原発の防火を担当する第2消防隊の本部で警報音が鳴り響いた。管制機能を担う電話司令室では、数百もの赤い警告ランプが計器パネルの上から下まで一斉に灯った。発電所のありとあらゆる場所で異変が生じたことを示していた。

Chernobyl Nuclear Power Plant in Chernobyl Exclusion Zone[original photo: sarymsakov.com – stock.adobe.com]
Chernobyl Nuclear Power Plant in Chernobyl Exclusion Zone[original photo: sarymsakov.com – stock.adobe.com]

 第3分隊14人のうち多くは、宿直室のベッドでまどろんでいたが、大音響で床や窓ガラスが震えたので飛び起きた。非常サイレンを聞きながら、すぐに靴を履き外へ出た。コンクリートの敷地に、3台の消防車が既にエンジンをかけて待機していた。管制官が叫び、原子炉で火災が起きたことを知らせていた。見上げると、3号機と4号機の上空を、巨大なきのこ雲のように煙が覆っていた。現場までの距離は500メートルに満たない。2分もあれば着く。

Chernobyl Pripyat nuclear disaster 1986[original photo: Ronny – stock.adobe.com]
Chernobyl Pripyat nuclear disaster 1986[original photo: Ronny – stock.adobe.com]

 プラーヴィク中尉が命令を出し、赤と白の塗装を施した3台のZIL消防車が現場へ向かった。24歳の軍曹アレクサンドル・ペトロフスキーは当直の中で2番目に若かった。彼は自分のヘルメットがすぐに見つからなかったので、プラーヴィクの作業帽を借用した。時刻は午前1時28分である。先頭車両のハンドルを握っているのは、33歳のアナトーリー・ザハーロフだ。体格ががっしりしていて、人付き合いが良く、消防隊にあっては共産党の書記を務めている。プリーピャチ市の救助隊員も兼務している。双眼鏡とモーターボートを駆使して、川で溺れかけた酔っぱらいを助けるのも彼の仕事だ。ザハーロフはハンドルを右へ切り、発電所の壁に沿って全速力で車を走らせ、入り口を目指した。左へ急ハンドルを切って敷地に進入した。ずんぐりと長く横たわるディーゼル発電棟のシルエットが後ろへ遠ざかってゆく。無線で質問や指示が飛び交っている。何が起きたのか? 損害はどの程度か? 2台のタンクローリーが後を追ってくる。プリーピャチ市の消防隊からも車両が出発した。プラーヴィク中尉は第三緊急警報の発令を要請した。キエフ周辺で待機する全ての消防隊に出動を求める最高度の対応措置である。

 原発の巨大な上部構造が車のフロントガラスを圧するように、ザハーロフの眼前に立ち現れた。彼は進路を右に取り、3号機建屋の北壁へ車首を向け、高架通路を支えるコンクリート脚の間を抜けた。わずか30メートル先に見えた4号炉は、既に残骸と化していた。

 その時、4号機の制御室では、副技師長アナトーリー・ジャートロフが種々の計器をにらみつつ、何が起きたのか懸命に考えを巡らせていた。室内の面々が口々に意見を述べた。タービン、原子炉、ポンプの異常を示す赤や黄色のランプが、操作デスクのあちらこちらで星座のように光を放っていた。ブザーの電子音も鳴りやまなかった。事態は明らかに深刻だ。

Cooling tower of Chernobyl Nuclear Power Station, Chernobyl Exclusion Zone, Ukraine[original photo: Fotokon – stock.adobe.com]
Cooling tower of Chernobyl Nuclear Power Station, Chernobyl Exclusion Zone, Ukraine[original photo: Fotokon – stock.adobe.com]

 ユニット制御上級技師ボリース・ストリャルチュクの目前にある表示は、主要な8つの安全弁が全て開いたままで、気水分離器には水がない状態を示している。それはアトムシキーの悪夢である「最大設計基準事故」が起きたことを意味する。核分裂が続く活性領域で数千ガロンの冷却水が失われ、炉心の溶融が予想される。

 原子炉運転上級技師トプトゥノーフの前の計器パネルでは、制御棒の状態を示すセルシン表示計の針が、目盛り盤の上で3メートルを示す位置で停止している。必要な深さの半分も降りていないことになる。トプトゥノーフは制御棒が自重で炉心に落ちてゆくように、電磁式の連結部から制御棒を切り離した。しかし制御棒は、それ以上は下へ動かなかった。炉心の反応度を示す青白い電光数字は増減を繰り返している。炉心では核分裂が続いているのだ。だがジャートロフにも周囲の面々にも、それを鎮める手段が既になかった。

 追い詰められたジャートロフは、試験を見学していた研修生のヴィクトル・プロスクリャコフとアレクサンドル・クドリャフツェフを振り返った。そして2人に、中央ホールへ行って、制御棒を手動操作で落とし込むよう命じた。

原発事故の責任を追及するためチェルノブイリ市の文化会館に開設された法廷。2人の警官の間に座る3人の被告。左からチェルノブイリ原発所長ヴィクトル・ブリュハーノフ、運転担当の副技師長アナトーリー・ジャートロフ、技師長ニコライ・フォミーン[アダム・ヒギンボタム『チェルノブイリ 「平和の原子力」の闇』口絵より]
原発事故の責任を追及するためチェルノブイリ市の文化会館に開設された法廷。2人の警官の間に座る3人の被告。左からチェルノブイリ原発所長ヴィクトル・ブリュハーノフ、運転担当の副技師長アナトーリー・ジャートロフ、技師長ニコライ・フォミーン[アダム・ヒギンボタム『チェルノブイリ 「平和の原子力」の闇』口絵より]

 2人は指示に従って制御室を出た。ジャートロフはすぐに自分が過ちを犯したことに気づいた。制御棒が自重で落ちない以上、手動操作も効くはずがない。ジャートロフは2人を呼び戻そうと廊下に飛び出した。だが彼らの姿は、階段や踊り場に蔓延する煙と蒸気の彼方に消えていた。

 ジャートロフは制御室に戻ると矢継ぎ早に指示を飛ばした。運転当直班長アキーモフに、この期に及んでは不要となった所員を退避させるよう命じた。AZスクラム・ボタンを押した原子炉運転係のアレクサンドル・トプトゥノーフでさえも既に無用の存在だった。ジャートロフはアキーモフに、緊急炉心冷却ポンプと煙を排する換気扇の起動を命じた。さらに冷却水が循環する配管の弁を開くよう指示した。「野郎ども」とジャートロフは呼びかけた。「原子炉に水を入れなきゃならねえ」

【アダム・ヒギンボタム『チェルノブイリ 「平和の原子力」の闇』第1部「第6章 四月二六日土曜、午前一時二八分、第二消防隊本部」より】

 

Fun fair in abandoned Pripyat city of Chernobyl Exclusion Zone, Ukraine[original photo: Fotokon – stock.adobe.com]
Fun fair in abandoned Pripyat city of Chernobyl Exclusion Zone, Ukraine[original photo: Fotokon – stock.adobe.com]

 

クルチャートフ原子力研究所・第一副所長、
ワレーリー・レガーソフ

 レガーソフはソヴィエト原子力産業の安全性について、表向きは党の立場を支持していた。原子炉のあら探しなどした覚えはない、設計段階で考慮されなかったのは予見不可能としか言いようがない事態だけだ、と言い張った。原子力発電は原子力研究の頂点を成す成果であり、文明の未来のために不可欠である、とも述べた。だが本当は、1年以上前にゴルバチョフと政治局員がルイシコフ首相から報告を受ける場に立ち会った時の衝撃から解放されずにいた。ルイシコフによれば、チェルノブイリ原発で起きた爆発は不可避だった。チェルノブイリでなくても、ソヴィエトのどこかで、遅かれ早かれ事故は起きたに違いない、というのだった。レガーソフはそれを聞いて初めて、原子力国家の心臓部を蝕む腐敗の元凶を垣間見たような気がした。秘密主義とうぬぼれ、傲慢と怠惰、設計と建造のずさんな基準が、その正体だった。RBMKも加圧水型のVVERも、そもそも本質的に危険な原子炉ではないか。レガーソフはソヴィエトの原子炉に潜む問題を詳細に調べ、融解塩で冷却する新世代原子炉の開発を中型機械製作省に働きかけた。この提案は怒りといらだちを招いた。当時まだ中型機械製作省の頂点に君臨していたエフィーム・スラフスキーはレガーソフに、君は技術を知らない、余計なおせっかいはやめたまえ、と言い渡した。

現地政府委員会初代議長の副首相ボリース・シチェルビーナ(左から2人目)、科学アカデミーのワレーリー・レガーソフ(右から2人目)。1986年9月、チェルノブイリに向かう途中で撮影。一帯の除染作業が急務となっていた[アダム・ヒギンボタム『チェルノブイリ 「平和の原子力」の闇』口絵より]
現地政府委員会初代議長の副首相ボリース・シチェルビーナ(左から2人目)、科学アカデミーのワレーリー・レガーソフ(右から2人目)。1986年9月、チェルノブイリに向かう途中で撮影。一帯の除染作業が急務となっていた[アダム・ヒギンボタム『チェルノブイリ 「平和の原子力」の闇』口絵より]

 レガーソフの健康は既に著しく悪化していた。翌年を通じて、彼は第六病院を繰り返し訪れ、神経症、白血球数の異常、心臓と骨髄の問題で治療を受けた。医師団は急性放射線症の診断は下さなかったが、レガーソフの妻は夫の身体に何が起きているのか明確に理解していた。レガーソフは、ソヴィエト科学界の凝り固まった一枚岩の構造を近代化するために、さまざまな提案をした。折から吹き始めたペレストロイカの風にも励まされていた。彼が科学アカデミーに提出した報告書は、この国において最も強力な勢力の一部が享受している覇権を脅かす内容だった。政治的なリスクを伴うことは、誰の目にも明らかだった。レガーソフの意見では、中型機械製作省を分割して、それぞれが国内市場で競争するべきだった。クルチャートフ原子力研究所の予算は、成果主義の新たな基準で厳しく審査する。予算と終身雇用の人事を支配している老人たちに代わり、若くて活力のある研究者を登用する。これらの提案は好意的に受け入れられるだろう、とレガーソフが考えても無理はなかった。彼はチェルノブイリの事故処理で傑出した役割を果たしたし、ウィーンの国際原子力機関を中心とする世界の原子力界でも名声を博す存在だった。クルチャートフ原子力研究所ではアレクサンドロフを継いで、次期所長になると目されていた。政治局にも強力な後ろ盾があった。

 しかし、レガーソフの提案は無視された。保守的な権力者たちは、レガーソフの提案が自分たちの地位を脅かすと恐れた。改革に前向きな同僚たちは、レガーソフについて、停滞の時代の遺物であり、特権に恵まれて楽々と最上の地位にまで上り詰めた男とみなしていた。自分が新旧双方の勢力に疎まれていることに、レガーソフは気がつかなかった。彼がチェルノブイリで上げた功績にも、疑問を呈する科学者が現れはじめていた。燃焼している原子炉を砂や鉛で封じ込めようとしたレガーソフの判断には異論があった。1987年春、共産党中央委員会はクルチャートフ原子力研究所を改革するために、所員を選抜して科学技術評議会を設けるよう命じた。レガーソフは健康不安を理由に評議員に立候補しなかった。反対票が多ければ、アレクサンドロフを継いで所長になる道が絶たれると危惧したからだ。しかし、アレクサンドロフがレガーソフに立候補を強要した。投票の結果を見たレガーソフは、同僚が自分をどのように思っているのかを、ようやく理解した。投票総数229のうち、レガーソフ支持は100、反対は129だった。彼は衝撃に打ちのめされた。50歳にして初めて、自分の地位と評価が虚ろなものであった事実を思い知った。

【アダム・ヒギンボタム『チェルノブイリ 「平和の原子力」の闇』第2部「第18章 裁き」より】

 

アダム・ヒギンボタム『チェルノブイリ──「平和の原子力」の闇』目次
アダム・ヒギンボタム『チェルノブイリ──「平和の原子力」の闇』目次

 

ページトップに戻る

じんぶん堂は、「人文書」の魅力を伝える
出版社と朝日新聞社の共同プロジェクトです。
「じんぶん堂」とは 加盟社一覧へ