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自然に従い、自分の存在を享受すること 『モンテーニュ入門講義』より

記事:筑摩書房

最上の幸福とは何か。よりよく生きるための知恵の宝庫『エセー』主要テーマからモンテーニュの思想を読み解く
最上の幸福とは何か。よりよく生きるための知恵の宝庫『エセー』主要テーマからモンテーニュの思想を読み解く

『エセー』にふれたことがない人に向けて

 私は本書を、モンテーニュの『エセー』にふれたことのない人、あるいは一度は読みかけたけれど途中でやめてしまった人に向けて書きました。そのような方々にぜひ『エセー』の魅力を伝えたいと思っています。

 『エセー』を手に取る人は多くても、最後まで読み通す人は少ないと思います。著者の個人的な経験や、題名さえ聞いたこともない古典作品の引用や、それに関する著者の感想が、脈絡もなく書き連ねられているだけ、という印象を抱いてしまいかねないからです。私が20歳のころ、大学の授業で『エセー』に初めて接したときがそうでした。

 しかし、それから十数年後、研究上の必要があって再び手に取り、今度は前から順番にではなく、比較的長い章がならぶ第3巻を中心に読み始めると、印象は一変しました。

 モンテーニュは、宗教戦争のさなか、持病の結石に苦しみながら、通念や世間の道徳に懐疑の目を向けつつ、自然に従って自己の存在を享受することの喜びを、珠玉の文章によって説いていたのです。

 しかもそこには説教臭さはみじんもなく、異国や異文化への関心と共感を表明し、戦時における人々の狂気や暴力を冷静に告発し、性の歓びについて陽気に放言し、みずからもボルドー市長として携わった政治に関しては正解を見つけられず逡巡を露わにし、旅と読書の楽しみについて熱弁するのでした。

人生を朗らかに楽しもうとする姿勢

 『エセー』とは、ひとりの人間が、自分の判断力を鍛え、よき生きかたを探究する試行錯誤の過程そのものです(『エセー』の原語essais は、「試すこと」という意味があります)。読者は、モンテーニュという人物の思考や行動を目にして、自分ならどうするかという思索に誘われ、自分自身のよき生きかたの探究に導かれます。

 『エセー』の魅力は、著者が偉人だという点にあるのではありません。反対に、著者が多くの人間と同じく誤りや欠点に満ちている点に、そして何よりも、本人がそのことを自覚し、それでも次々にふりかかる艱難になんとか対処し、人生を朗らかに楽しもうと心がけている点にあるのです。われわれは、彼の考えのすべてに同意するわけではありませんが、そのような生の姿勢そのものに共感し、憧れるのです。

 本書では、そのようなモンテーニュの文章や考えを、七章に分けて紹介します。

 第一章では導入としてモンテーニュの生涯や思想の概略を示し、以後、第二章~第七章のそれぞれで、モンテーニュにおける「死」、「教育」、「他者」、「友愛」、「政治」、「身体」に関する思索について考察します。どの章から読み始めていただいてもかまいません。『エセー』には、宗教、懐疑主義、修辞論・文体論など、ほかにも取り上げるべき興味深いテーマがいくつも含まれているのですが、今回は扱いきれませんでした。

 なお、息ぬきのために、三つのコラムを付し、それぞれで、モンテーニュが晩年に交流をもった女性マリー・ド・グルネー、彼の死と墓、彼の城館にまつわる話題を取り上げたほか、モンテーニュと同時代の有名な西洋絵画の紹介ページを七つ設けました。

『モンテーニュ入門講義』(ちくま学芸文庫)書影
『モンテーニュ入門講義』(ちくま学芸文庫)書影

大学での講義を忠実に再現

 本書は題名のとおり、私の大阪大学での講義をもとにしています。ここ十年ほどの間に継続して行ってきたモンテーニュについての授業で話した内容をまとめたものです。

 2020年春、新型コロナウイルスの感染拡大により教室での対面授業が実施困難になりました。そこで、急遽オンライン視聴用の講義動画を作成することになり、それまで簡単なメモをもとに口頭で説明していた内容を文章化して台本を作りました。本書はその台本に加筆修正を施したものです。

 したがって、本書の大部分は、私の授業の忠実な再現です。そのため、ときおり話題がそれたり重複したりすることがありますが、どうかご容赦ください。

 いずれの章も、それぞれの主題に関する『エセー』からの主要な引用文を中心に構成しており、解説は最小限にとどめています。文体や表現も含めて、ぜひモンテーニュの文章そのものをじっくり味わってください。

 本書における『エセー』からの引用はすべて拙訳ですが、一部は授業での講読を通じて学生たちと共同で練り上げたものです。可能なかぎり平明な表現を用い、複雑な構文は思い切って単純化するなど、一読して理解できる訳文を目指しました。既訳(とくに原二郎訳、宮下志朗訳)も大いに参考にさせていただきました。先人の苦心の訳業に敬意と感謝を捧げます。

  それでは、講義を始めましょう。

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