難しい評論文が大学入試で出題されるワケとは? 出題者の意図を探ってみる
記事:晶文社
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これから大学入試を迎える人も、すでに大学に通っている方も、あるいは僕のように、大学受験などはるか昔の思い出となってしまった人も、大学入試の評論文を読んでみて、
……難しい。いったいこの文章は何を言っているのだろう……
と感じられたことは、きっとあるのではないでしょうか。
いえ、僕は予備校講師として大学受験の指導に携わっていますので、ついついこうして“入試問題”に即してお話をしてしまいましたが、もちろん、評論文というものに触れる機会は、大学進学を選択した人だけに限られるものではありません。中学校、高校の国語の授業でも、それは学習の中心となります。あるいは、新聞やネットにも、研究者や専門家たちの著した評論文が掲載されています。大学を目指そうが目指すまいが、そんなことは関係ありません。すべての人々の目の前に、評論文は“ある”のです。
けれども、おそらく少なからぬ人にとって、それはただ、そこに“ある”だけのもの――読んではみたけれども何を言っているのかわからない、とりあえず冒頭だけは目を通してみたけれどもすぐに放り出してしまった、あるいはそもそも、定期テストのために仕方なく読んでいるだけで、願わくは避けて通りたい――そんな文章なのではないでしょうか。
実際に、大学入試に出題される文章であろうと現代文の教科書に載っている文章であろうと新聞に寄稿された文章であろうと、評論文は、とても難解なものが多い。
正直に告白すれば、文章を“わかりやすく”解説することを仕事としているはずの僕とて、「難しい…」と口をゆがめてしまうことはしょっちゅうあります。
ではその難解さは、いったい何に由来するのか?
もちろん原因は、一つではありません。
ただ、はっきりと言えるのは、
一定レベルの専門的な用語(=術語)やテーマについての前提的な知識がないと読み取れないような内容が多い
という点は、間違いなく大きいということです。
例えば、国民国家、資本主義、グローバリゼーション、新自由主義、ポピュリズム……。入試問題でも現代文の教科書でも、はたまた新聞に寄せられた学者の文章でも、こうした語句は当たり前のように登場します。
もしかしたら皆さんは、
いや、そんな高度なテーマは、研究者や専門家たちのあいだでやりとりされる文章(=学術論文)のなかだけで論じていればいい。逆に言えば、中高生の教科書や入試問題や新聞記事などにこんなことを扱う文章が選ばれていることが、そもそもおかしいのだ。
などと思うかもしれません。確かに、例えば僕の専門である大学入試などでは、「さすがにこの文章を18歳に読ませるのは無理でしょう……」というような問題が時折見られるのも事実です。あまりにも“やりすぎ”な出題については、僕にも言いたいことはある。でも、と同時に、そうした“やりすぎ”なものはともかく、入試や教科書やメディアに見られる“難解”な文章の多くについて、僕は、
この社会の未来を担う僕たち一般の人間こそが、こういった文章を読まねばならないのだ!
とも思うのですね。おそらく、いや、間違いなく、試験の作成者である大学の先生も、教科書を編集した先生方も、あるいは、その研究者に記事の寄稿を依頼した新聞の編集者も、同じような思い、信念から、そういった文章や書き手を選んだのではないでしょうか。
では、どうしてそうした人々は、こういった“難解”な文章を、「一般の人間にも読んでほしい!」と願うのか。
繰り返しますが、多くの評論文に認められる難解さは、往々にして、その文章が扱うテーマや語彙の専門性に由来します。そして、ここにおける“専門性”とは、その多くが、“現代社会や世界に山積される数多くの課題”に取り組む上で要求されるものなのですね。
そう。
要するに、大学の先生や、教科書の編集をした先生や、新聞の編集者の方々は、「これからの時代をより良きものへと変えていくには、たとえ難解でも、社会を生きる一般の人々がこうした問題と真正面から取り組むことが大切なのだ!」という、強い強いメッセージを、その文章や書き手のチョイスに込めているのではないでしょうか。
で、あるならば、僕はこう思うのです。
もちろん、そうした専門性の高い書物を、僕たちのような一般の人間が独力で読み解くのは難しい。である以上、僕たちに今必要なのは、そうした文章を読むための前提知識、あるいはそれを手に入れるのにふさわしい、良質な入門書を知ること――すなわち“評論文読解のための読書案内”であるはずだ……と。
もちろん本書は、それを意図して著したものになります。各章で、皆さんにぜひとも読んでほしい良書と、それを読むうえで知っておいてほしい知識とを紹介しています。まずは本書を最後まで読み通し、そして、その中で気になった一冊を手に入れ、じっくりと読んでみてください。もちろん、読み終えたら次の一冊、さらにその次の一冊へ……。
その一歩ずつの歩みは、必ずや皆さんを、評論文のより良き読み手としてくれるでしょう。
しかし、それだけではありません。
本書で紹介する書物に扱われるテーマが“現代社会や世界に山積される数多くの課題”である以上、そうした一歩一歩の先に開けてくるのは、この社会、そして世界を理解するための視座――そしてそれをより良きものへと導くための回路であるはずです。
つまり、評論文のより良き読み手となることは、僕たち自身が、この社会や時代を未来へと切り拓いてゆく一個の主体となることに等しいのです……!
小池陽慈『世界のいまを知り未来をつくる評論文読書案内』「はじめに」より