世界の裏で暗躍する「工作活動」の実態 ロシア・アメリカ情報戦争の100年
記事:作品社
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積極工作 (アクティブ・メジャーズ)とは、フェイクニュースなどによる情報操作を用いた攻撃のことである。本書では、ソビエトの諜報機関であるKGBやアメリカの諜報機関であるCIAなどの行った工作について、100年のスパンで様々な事例を紹介してくれる(厳密には別の組織名になっていることがあるのだが、煩雑なのでこの書評ではKGB、CIAと呼ぶことにする)。著者は国際関係論の名門校であるジョンズ・ホプキンス大学教授のトマス・リッド。普段は垣間見ることの出来ない世界について、エビデンスに基づいて論じてくれる本書は、様々な驚きに我々を誘ってくれる。
現在の情報工作で目立つのはSNSやニュースサイトを使ったものだが、ネット以前は偽の政治文章を流したり、自国の良い部分だけを見せてそれを宣伝する本を書かせたりと、アナログなやり方であった。とはいえ、その被害は甚大であったようである。たとえば1926年、中国・日本・ロシアが衝突していた東アジアにおいて「田中上奏文」という偽文章が広められた。この偽文章は、様々なメディアによって日本の本当の政治文章だと取り上げられた結果、「日本の軍国主義と政府の攻撃的対外政策」(p.50)という印象を世界に広めた。それは戦争の行方に少なからぬ影響を与えただろうと推測される。
偽情報を使うのはソビエトやロシアだけではなく、アメリカを中心とする西側陣営も行ってきたことでもあると、本書は述べている。たとえば、CIAは数々の情報工作を行っているし、国内の共産主義勢力に対抗しようとする警察関係者が様々な捏造の文章をメディアに流すこともあった。とはいえ、アメリカなどの自由民主主義の国では、それが国内的に問題化されるため、ソビエトやロシアと比べて相対的に下火になっていったという違いがあるようである。
偽情報による戦争が熾烈化したのは、冷戦時代のベルリンにおいてであった。CIAは、東ベルリンに自分たちの「自由」の思想を広めるために、ゴシップや、占いやジャズなどの、ライフスタイルやエンターテインメントを扱う雑誌を創刊し、「モスクワ共産主義に対する攻撃のために西側が使える効果的な力」(p.100)として使った。その手法は「個人が過去の経験や希望と、日常生活の厳しい現実との折り合いがつけにくいような――それゆえにこの現実から『迷信やファンタジー』に逃げ込む誘惑がある」(p.100)社会体制に生きる人々を狙ったものだった。
KGBも色々な作戦を行っている。1959年には、ケルンにおける焼け落ちたシナゴーグ跡の聖地に、「ユダヤ人は出ていけ」という文字と鉤十字の落書きがペンキで書かれた。それからヘイトクライムが国内外に広まっていき、それに対する反撥も激化していくのだが、イギリスの諜報機関が傍受した内容によると、それは東ベルリンとモスクワが関与した工作だったという。その暗号通信の内容は「ナチを使えば階級の敵の信用を落とせる」(p.137)というものだった。ソビエトとしては西独や、今で言うNATO諸国に軍備をしてほしくなかったので、この工作が行われた。別の暗号には、ナチスが今でもいるように見せかけることで、軍備に反対する世論を喚起して妨害するという狙いが述べられている。
このように人種、民族、宗教などの社会的な緊張を用いて、対立や分断を煽り、信用を落とし、世論を変える工作をソビエトは繰り返してきた。ニューヨークでは黒人やユダヤ人の活動家とKGBが接触した。たとえば国連総会が植民地主義を論じようとするときに、アフリカやアジアの代表団宛に「KKK」名義の冊子が郵送された。CIAはそれを東ドイツで製造されたと結論付けている。
平和運動や反核運動も利用されている。NATOのミサイル配備を邪魔するために、シュタージ(東ドイツの諜報機関)は「平和戦争(フリーデンスカンプ)」と呼ばれる作戦を行った。それは、フロント組織を使った、平和運動や反核運動の偽装である。これが厄介なのは、東側の工作と純粋に行っている西側の平和活動の区別が付きにくく、かつ、純然たる善意や使命感に基づいた運動が利用されてしまうことである。
エイズが流行した際には、それがアメリカの開発した生物兵器であるという陰謀論がバラ撒かれた。それは、1979年にソ連軍が化学兵器を使ったことに対する国際的な批難を逸らす目的の延長線上で行われたという。ゲイの雑誌には、エイズは米軍が作った「人種的兵器」であるという見解が載った。偽情報は、偽のリークなどを通じて広がっていくのだが、それは裸のピンナップが表紙にある雑誌から、権威のある大手の出版社の雑誌まで掲載されてきた(信用性を精査して偽情報や工作だと見抜く場合も多いようだが)。
冷戦とは、東側陣営と、西側陣営における、どっちの体制がより良いのかを宣伝し合う戦争という側面がある。核兵器による抑止力により、直接的な軍事衝突がしにくくなったので、それぞれの陣営が相手の陣営のネガティヴな部分を誇張し、自分の陣営の良いところを宣伝し、それに共感する人々を増やすという戦略を採る必要があったのだ。
だから情報工作は、冷戦終結とともに、下火になった時期があった。それが息を吹き返すのは1999年頃のことで、「不正工作」を復活させたのはプーチンであった。プーチンは、KGBの若手幹部として、「積極工作が最も狡猾だった時代に、とくに西独に対する積極工作を行うために設置されたドレスデン支局に勤務したこともある」(p.343)人物である。そして、エリツィン大統領の汚職と権力濫用疑惑について捜査していた検事総長に対して、娼婦と遊んでいる映像を公開しスキャンダルを起こし、検事総長を停職にし、検察庁を封鎖した。
インターネット時代になって、そのような「リーク」作戦がさらに激しくなる。文章の時代から、偽のリーク作戦は、本当のことの中に、嘘を交えるという方法を用いて行われていた。
ネット時代においても、純粋な動機による活動と、ロシアの情報工作が重なり合ってきて、見分けが付かなくなるという厄介な現象が続く。ネットの初期は、政府などからの自由を謳うサイバーリバタリアニズムの思想が流行ったが、その楽観的な理想が利用されたと言ってもいいだろう。ウィキリークスを創設したアサンジや、NSAから情報を持ち出しリークしたスノーデンは、当初は純粋にリバタリアンの理想主義者としてそれを行ったかもしれないと著者は分析している。しかし、後述するように、ウィキリークスなどはロシアの工作に利用され、スノーデンは後にモスクワに行くことになる。
アメリカでカウンターインテリジェンス活動をしていた人々も、元々はヒッピー精神に基づく反権威・反権力志向、アナキズム志向であったと思われるが、それもソビエトの情報工作に利用されていくようになっていった。ネット時代にも同じことが起こったのである。
映画『V フォー・ヴェンデッタ』や『マトリックス』に影響された、ネットにおける匿名の義賊集団であるアノニマスたちもまた、「工作のための強力な隠れ蓑」(p.360)にされた。アノニマスのメンバーは「アノン」と互いを呼び合うが、それが後にトランプ大統領を支持する陰謀論集団の「Qアノン」に繋がっていく。アノニマスたちは、政府や大企業の支配や専制に対する解放を求めているリバタリアニズムの信奉者たちだったが、それがより強烈な専制、独裁、権威主義の体制であるロシアに奉仕させられるというのは皮肉な話である。
2013年、プーチンが大統領になったあとに、アノニマスによるフォーラムに「ウクライナ外務省資料大量リーク」という匿名の書き込みがなされた。そこには「ウクライナ政府はいかれていて、ヨーロッパ民主主義原理を追及するEUに加盟するという与太話でヨーロッパを騙している」(p.361)と書かれていた。
2014年、ユーロマイダン革命後、ロシアがウクライナに侵略した後に、GRU(ロシア連邦軍参謀本部情報総局)の74455部隊は、フェイスブックなどのSNSに偽造アカウントを大量に作り、クリミア独立のための情報工作をした。同じころに、アノニマスを名乗る者たちからのリークがたくさん行われ、ウクライナの革命はCIAの陰謀だと主張する偽造メールがリークされた。このリークの内容を翌日にロシアの国営放送は流した。その放送では、「NATOを介した西側の干渉からウクライナの自由を守る」、キエフは「ファシスト」である、というリーク主からの音声ファイルがそのまま流された。この偽造は英語の文法も間違っており、発音も訛っているというあまりにも質が悪いものだったので、キエフの米大使館にいた陸軍武官補は「コメディみたいだった」(p.375)という感想を残している。「深刻ではあったが、同時にとても滑稽だった」。
2016年、GRUの26165部隊は、ヒラリー・クリントンの選挙対策本部を狙ったハッキングを仕掛け、選対委員長ジョン・ポデスタのメールボックスのデータを盗み出すことに成功し、それをウィキリークスのアサンジに提供した。
これは著者のトマス・リッドは詳しくは触れていないが、そのリークは、後にピザゲート事件と呼ばれる、滑稽なデマに発展する。ポデスタからリークしたレシートに書いてあった「チーズピザ Cheese pizza」が、イニシャルが同じ「チャイルドポルノ child porno」の隠語だとされ、ヒラリー陣営は世界的な児童買春ネットワークに加担しているという陰謀論に広がったのだ。それは、多くの有権者に影響を与え、トランプ当選に影響したと推測されている。この陰謀論は、後に「Qアノン」らに繋がり、ディープステイトと呼ばれる闇の組織が世界を支配しているという「物語」を主張するようになる。現在では、ウクライナがディープステイトに支配されているという「物語」が流布している。トマス・リッドはそう断言はしないが、2016年のアメリカ大統領選前後のアメリカでの陰謀論やフェイクニュースの跋扈、そこから発展したポストトゥルースと呼ばれる状況も、ロシアからの民主主義陣営への攻撃の側面があると理解した方が良さそうである。
これらの攻撃が巧みなのは、自由民主主義の弱点を見事に突いていることにある。「自由という『武器』を、当の自由に向けさせることにした。オープンであることは、強みであるのと同様、弱点でもあることを、ソ連側は理解していた」(p.284)。ネットでの工作やフェイクニュースが可能なのは、権威主義国家のように書き込みが統制されていないからである。
もう一つ、対抗しようとすることが、自由民主主義の首を締めてしまう攻撃である点も巧妙な点である。偽情報に対抗するために偽情報を使った工作を仕掛けてしまうならば、今度はその政府が信頼できないものになってしまうので、自由民主主義陣営はハンディを負っている。さらに、それを防ごうと規制をすることが、自らの理念を毀損してしまう。「積極工作に過剰に反応することは、開かれた社会を閉ざされた社会にするということだ。開かれた社会を守る反応と、閉ざされた社会を助長する反応とをどう区別するかというのはさらに難しい問題だった。それを教えてくれるのは未来だけだろう」(pp.271-272)。
たとえば、トランプ現象が起こったので、「民主主義」や「自由」に問題があると感じるようになる。それこそが、権威主義体制と民主主義体制の「共感」集めゲームにおける権威主義側の目的の達成になってしまうのである。「表現の自由」があるからこそ、権威主義陣営が工作できるし、様々な差別発言などで分断や対立を煽り混乱を巻き起こせるのだが、そこで「表現の自由」を規制すれば、自由民主主義はそれ自体でダメージを負う。平和運動などを利用したり、様々なイメージを用いた攻撃が存在するのは事実でも、たとえば自衛隊などがそれに睨みを利かせていることを表明してしまうと、思想信条の自由に基づく政治行動を委縮させてしまい、結果として民主主義を後退させてしまう。このようなジレンマに相手を追い込むような種類の攻撃が「積極工作」であり、偽情報なのである。我々はこの攻撃の中で、難しい立場の選択を迫られている。
トマス・リッドは、自身が社会構築(認識論、科学史、ポストモダン哲学、構築主義)にはまっていた学生だったことを認めつつ、このように内省する。
「偽情報の目標は分析よりも情緒、統一よりも分割、合意よりも対立、普遍よりも個別を上位に置くことによって、分断を操ることだ。(…)客観性の前にイデオロギーを置くことは、社会を閉じ、その閉鎖を維持することに貢献した。したがって、イデオロギー的に引き裂かれた二〇世紀には、客観性がほぼ恒常的に攻撃に晒されていたのは偶然ではない」(pp.452-453)
「積極(アクティブ)工作を起動(アクティブ)状態にしていたのは、ある構築が現実と響き合うかどうかではなく、感情や狙ったコミュニティで集団的に抱かれている見方と響き合うかどうかであり、それが既存の緊張関係を悪化させることができるかどうか――あるいは冷戦期の工作員の用語で言えば、既存の矛盾を強化できるかどうかだった」(p.454)
「一九七〇年代には、ポストモダンの思考は大学でさらに広まったが、おおむね人文科学、美術、映画、文学、あるいは建築の範囲内に収まっていた。(…)影の部分では、諜報機関が自分たちの戦術的あるいは戦略的な目的――世界を変える――に利用するために、実際に知識を生み出し、新たな人工物を構築し、言説を形成していた」(p.454)
「フーコーは、分析的真実とイデオロギー的真実の間の壁を崩そうとしていた。〔KGBとシュタージの諜報部員である〕アガヤンツとヴァーゲンブレットもそうだった。/この東側のスパイ業と西側の思想との奇妙な合致がただの偶然だなどということが本当にありうるのだろうか。」(p.455)
偶然なのか、否か。偶然ではないとしたら、どのような関係があるのだろうか。現在は、ポストクリティークと呼ばれる「暴く」批評が好まれない時代であるが、それとこのトマス・リッドの内省は通じ合っているように思われる。ポストモダン思想がポストトゥルースに影響したのではないかという疑惑、サブカルチャーやカウンターカルチャーがフェイクニュースや陰謀論に満ちた狂気の世界の誕生に寄与したのではないかという議論がなされているが、その議論に、本書の「国際政治」「諜報戦」「情報工作」の観点を追加してみたら、何が見えるだろうか。私たちの現在が、どう照り返されるだろうか。
評者自身も、ポストモダン思想にかぶれ、カウンターカルチャーや、サイバーリバタリアニズムを信じ、様々な活動を行ってきた。よって、本書の内容や、著者の内省は他人事ではなく、反省と認識の更新を迫られる一冊であった。