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謎の調査集団「ベリングキャット」は “ふつうの人のための情報機関 ” 創設者みずから語る【後編】

記事:筑摩書房

ベリングキャットが「オンライン・オープンソース調査」によって世界中の”ふつうの人たち”に公開し共有してきた数々の情報
ベリングキャットが「オンライン・オープンソース調査」によって世界中の”ふつうの人たち”に公開し共有してきた数々の情報

【前編はこちら】

 というわけで、話は10年前にさかのぼる。当時はスマートフォンが世界じゅうに普及しはじめたころで、個人的な親交を深め、意見や映像を発表する場(プラットフォーム)としてソーシャルメディアが台頭しつつあった。人類はそれと意図せずに、すさまじく赤裸々な自己像をだれにでも見られる形で公表するようになったのだ。こんなことは歴史上、世界のどこを見てもかつてなかったことだ。人々は、自分の個人情報がどれだけ公開されているか気づいていなかった──罪のない人々も、罪のある連中もそれは同じだ。

 当時のぼくは30代前半、よくいるパソコンが趣味の会社員だった。仕事が面白くなくて、関心があるのはニュースだった。そんなある日、とつぜんひらめいた。ネットで検索すれば、マスコミも専門家もまだ知らない事実を発見できるのではなかろうか。同じことを思いつく人間はほかにもいて、ネットのコミュニティが自然に形成されていった。〈ユーチューブ〉や〈フェイスブック〉、〈ツイッター〉などなどに手がかりが残っている、そんな事件や事故に引き寄せられて集まってきたわけだ。経験を積むにつれ、手法は洗練されていった。最新の調査手法を教えあい、ああでもないこうでもないとやっているうちに、しだいに形が整ってきてひとつの新しい分野が生まれ、ジャーナリズムと人権活動と犯罪捜査が結びつくことになったのだ。

シリアのダマスカスに貼られたバッシャール・アル・アサド大統領のポスター=2010年6月15日
シリアのダマスカスに貼られたバッシャール・アル・アサド大統領のポスター=2010年6月15日

 ぼくたちはこれまで、シリアの独裁者バッシャール・アル・アサドが自国民に化学兵器を使用したという証拠を発見した。〈マレーシア航空17便〉撃墜の黒幕をあばいた。ヨーロッパに潜む〈ISIS〉シンパの居所を突き止めた。ヴァージニア州シャーロッツヴィルじゅうを荒らしまわっていた、ネオナチ集団の身元を明らかにした。新型コロナウイルスとともに広がった、偽情報の洪水を食い止めるのに手を貸した。そして、クレムリンの「暗殺班」の正体も暴露したというわけだ。

 これはまったく新しい分野だから、決まった名称がまだない。いちばん一般的なのは「OSINT(オシント)」、open-source intelligence(オープンソース諜報活動)の略だ。ただ、この略語は政府の諜報活動に由来するものであり、とうぜん秘密主義的な活動だから、公開と共有を重視する〈べリングキャット〉のやりかたとはそぐわない。「オンライン・オープンソース調査」のほうがもっと近い、もっと正確な表現だ。とはいえ、ぼくたちのやっていることはたんなるインターネットの調査ではなく、もっとさまざまなことをやっている。偽情報で社会を歪めようとする勢力と闘い、あくまで証拠にこだわり、そしてふつうの市民がどうやって悪事を暴露し、権力者に説明責任を果たさせるにはどうしたらいいか、身をもって実例を示している。

 民間の調査員マイケル・バゼル──オープンソース調査法の導師だ──は、かつてはFBIで犯罪者を追うためにデータベースをあさっていたが、当時それにはたいへん経費がかかったため、しろうとには手が出せなかった。「しかし今日のOSINTなら、ある人物について知りたいことがあれば、おそらく98パーセント以上の情報は無料で手に入るでしょう。わたしがOSINTの側に本気で飛び込んだのはそのためです」と彼は言っている。「これならだれにでもできると、はたと気がついたので」と。

元米大統領補佐官のマイケル・フリン氏=2017年12月、ワシントン(朝日新聞社)
元米大統領補佐官のマイケル・フリン氏=2017年12月、ワシントン(朝日新聞社)

 マイケル・フリン将軍は、アメリカ国防情報局の局長だったとき(トランプ政権に入って体面を失う前の話)、かつて貴重な情報の90パーセントは秘密の情報源から得ていたが、ソーシャルメディアの登場以後はそれが逆になったと言っている。価値ある情報の90パーセントは、だれでも見られるオープンソースから得られるようになったというのだ。

 諜報機関は、以前からオープンソースの情報を収集していた。新聞をなめるように読んだり、ラジオ放送を聴いたり。しかし、そういう情報は軽視されがちで、秘密の情報源が好まれた。そのほうが莫大な予算と影響力を確保できるからだ。ぼくたち一般市民から見れば、そんな秘密情報には問題がある。検証しようもないから、それを押さえている人々を信用する以外にしかたがない。しかしイラク戦争以来、その信頼はぐらつきはじめた。アメリカ率いる多国籍軍は、サダム・フセインの大量破壊兵器を理由として侵攻を正当化していたのに、それが結局発見されなかったからだ。

イラク軍から移動中に突然襲撃を受け、無線で近隣の部隊の状況を確認する米海兵隊員=2003年4月、イラク中部ナーシリヤ(朝日新聞社)
イラク軍から移動中に突然襲撃を受け、無線で近隣の部隊の状況を確認する米海兵隊員=2003年4月、イラク中部ナーシリヤ(朝日新聞社)

 今日の社会にはびこる不信感は、大衆が指導層(エリート)を疑っているというだけでなく、もっと広範な問題になってきている。市民どうしが互いに根深い猜疑心を抱き、政治的な党派はそれぞれの小宇宙に引きこもり、外部の情報に耳をふさぐ。人はだれしも、自分はちがう、偽情報や陰謀論にだまされるような人種ではない、と思いたがるものだ(こんな本を手にとる読者は、きっと情報操作に反対している人だろうし)。しかし、人が信じていることの多くは、たんに以前だれかから聞いたことでしかない。だから専門家が不可欠になるわけだ。しかし、もうそれだけではじゅうぶんではない。あることを事実と信じるかどうかが、集団への忠誠心の問題になってしまったら大変なことになる。今日では、なにかを主張するなら、だれにでも調べられる形で論を展開しなくてはならない。だから〈べリングキャット〉の方針はこうだ──リンクをクリックして、ぼくたちの結論が正しいか自分で検証してみてね。

『ベリングキャット――デジタルハンター、国家の嘘を暴く』(筑摩書房)書影
『ベリングキャット――デジタルハンター、国家の嘘を暴く』(筑摩書房)書影

 もう何年も前のことだが、インターネットがこのまま発展していけば、まもなくサイバー世界のユートピアが実現すると大宣伝されていたものだ。しかし最近では、世論は完全に反対方向に振れていて、デジタル時代は建物解体用の鉄球(レッキング・ボール)も同然と見なされるようになっている。つまり、ジャーナリズムも礼儀も政治も、すべて粉砕していくというのだ。〈べリングキャット〉としては、こういうサイバー悲観論を受け入れるつもりはない。インターネットという驚異には、人類によい影響を与える力がいまもあると思う。ただ、社会を守り、真実を擁護するのは、もう体制側の専売特許ではない。ぼくたちみんなにその責任がある。

 つまり、「極秘」情報の取り扱い許可とか、秘密会員のみ閲覧可能な情報とか、そういう話ではないということだ。〈べリングキャット〉はこれまでになかったもの──ふつうの人のための情報機関なのだ。

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