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性奴隷たちの声なき声を、青年は世界を旅して拾い集めた。 この理不尽な現実に、どう立ち向かうのか

記事:明石書店

『性的人身取引――現代奴隷制というビジネスの内側』(明石書店)
『性的人身取引――現代奴隷制というビジネスの内側』(明石書店)

潜入ルポと証言で綴る、世界の性的人身取引

 路地裏の“マッサージ店”に入る。受付で足のマッサージを頼むと、「足のマッサージはやってない」と言われる。表の看板に書いてあるがと伝えれば、そのまま10代とおぼしき少女たちの1人を選ぶよう指示される。

 連れていかれた個室で、ここで足のマッサージをするのかと問うと、店の男が現れて「足のマッサージなんかない、お湯もない」と逆ギレし、「手でもファックでも構わないが、他のことがしたければ追加料金を払ってもらう」とスゴむ。ここの少女たちは、やはり売春をさせられているのだ。

 滑稽にすら聞こえるやり取り。だが実際は、恐ろしい人身取引の現場である。ネパールのカトマンズ、タイのチェンマイ、イタリアのメストレ、アメリカのロサンゼルス……世界各地で似たような押し問答を経て、シドハース・カーラ青年はマッサージ店を装う売春宿へと潜入し、性奴隷を探し出して取材する。

 潜入調査は常に危険と隣り合わせだ。少女から聴き取りを試みていると屈強な男たちが部屋に押し入ってきて、カメラの入ったリュックを奪われそうになる。大事な取材ノートを失いかけたこと、刃物を向けられたこともある。

 取材の現場は売春宿にとどまらない。アドリア海に面するアルバニアの港での不穏な動きを探るべく闇夜に潜んで張り込んだり、モルドヴァ国内の謎多き“独立”共和国、沿ドニエストルへの入国を試みたりといった冒険もある。

 そんな体当たりの取材でもぎ取った闇の実態、そして膨大な数の元被害者や支援者のインタビュー証言を積み上げ、世界中の性の奴隷制の現実を白日の下にさらしたのが、本書『性的人身取引――現代奴隷制というビジネスの内側』である。

 様々な形態の売春宿に囚われた被害女性たちの多くは、近隣住人、親戚、恋人(と思っていた相手)、就職斡旋業者などに騙され、気づけば多額の借金を負わされ、ありとあらゆる暴力を受けて心身共にぼろぼろになりながら、来る日も来る日も年長の男たちに性を貪られる。本書には、それらの少女・女性たちの話に共に涙し、冷徹で強欲な人身取引業者と買春客に吐き気を催し、絶望に嘆き苦しみながらも希望を模索する、著者の赤裸々な体験が収められている。

人身取引とは、「人間の売り買い」のことではない

 私は、人身取引に関するある1冊の本(*1)の翻訳を通してこの問題を知り、その著者の勧めで人身取引の根絶を目指す団体を立ち上げ、主に啓発活動を続けてきた。ときどき大学や高校、企業や団体などで講演するのだが、実は「人身取引」の説明が難しい。言葉として知っていても、具体的に何を指しているのか、ぴんと来ていない人が多いようだ。

 「人身取引は日本でも起きている」と伝えると、聴衆の多くがとても驚く。なぜなら、人身取引(人身売買)とは「金銭で人間を売買すること」だと思っているからだ。

 でも「人身取引」の原語である「trafficking in persons (human trafficking)」には国連による定義があり、そこでは「その人を支配している人に金を払う」というのは、数ある手段の1つに過ぎない。搾取を「目的」に、暴力や脅迫、詐欺や誘拐、借金による束縛や洗脳、弱い立場につけこむなどの「手段」を使い、人を受け渡したり移動させたり留め置いたりなどの「行為」を行ったら、たとえ金銭の授受を伴わなくても (*2)、それは人身取引である。

 そう説明した上で、日本でも、たとえば多額の前借金に縛られ、在留資格上転職が許されない状況で、暴力を受けながら長時間労働や賃金不払いに苦しむ外国人技能実習生、あるいは半ば騙されてサインした契約書を盾に、アダルトビデオへの出演を迫られ泣く泣く応じた女子大生のケースなどは、人身取引に当たる可能性があると説明すると、ああ~!という顔になる。そういう酷い話――人が人を物理的・心理的に支配して、弱い立場につけこみ利益をむしり取ろうとすること――は、残念ながら社会のいたるところに転がっていて、ほとんどの人が見聞きしたことがあるからだ。

 この本に登場する性奴隷たちの悲痛な物語は、著者シドハース・カーラが直接その耳で聞き、その目で見てきた現実であり、とても生々しい。けれどもそれらは私たちの多くが、既にどこかで見聞きしたことのある話ではないだろうか。世界のあらゆる場所で今日も起きている、とてつもなく多くの理不尽な搾取、それが「人身取引」なのだ。

NFSJ作成の性的人身取引啓発パネル『少女は闇に住んでいる』。売春する女性の笑顔の裏には人身取引が潜んでいる可能性があると警告している。撮影者:Donald Kramer II ©ノット・フォー・セール・ジャパン
NFSJ作成の性的人身取引啓発パネル『少女は闇に住んでいる』。売春する女性の笑顔の裏には人身取引が潜んでいる可能性があると警告している。撮影者:Donald Kramer II ©ノット・フォー・セール・ジャパン

性的人身取引根絶の鍵――需要側への働きかけ

 本書『性的人身取引』が書かれた最終的な目的は、しかし、そうした「かわいそうな女の子たちの話」を綴ることではない。そのような悲惨な状況を根絶することだ。

 カーラは、強制売春などの性的人身取引「ビジネス」は、そもそも需要側、つまり性を買う客がいなければ成り立たない、と指摘。つまり顧客を減らすにはどうすればいいかを考察する必要がある。投資銀行にしばらく身を置いていた著者ならではの経済論的な緻密なアプローチについては、ぜひ本編を参照していただきたいが、要は性売買の単価を上げ需要が減るように仕向けるべき、という非常にプラクティカルな主張である。

 なぜなら、とカーラは言う。少女の性を買うような男たちに、いくら道徳をふりかざしても無駄なのだから、と。

 たしかに、そうかもしれない。いや、そのとおりだ。

 でも……と私は思う。もしも買春男性たちが「本当のこと」、すなわち女性たちが実は人身取引被害者の可能性があるということを知らなかったとしたら? 全くの自由意志でその仕事を選び、喜んでやっているのだと(おめでたくも)信じているとしたら? そして仮に女性たちが困っていたとしても、自分が相手の性を貪る対価として金を払ってやることが“支援”になるのだ、と本気で思いこんでいるとしたら?

 ひょっとしたら、実態を知って良心の呵責を感じ、性を買うのを辞める人がいるかもしれない。同じ金額を支援団体に寄付すれば、まわりまわって被害者を助けられることを、理解してくれるかもしれない。そういう可能性を、私は否定しきれないでいる。

実態を知ることの意味――未来への希望

 日本の人身取引の問題について十数年来共に活動してきた、ある男性Sさんの話を紹介したい。彼は以前民間企業に勤めていたが、その頃から性的搾取の被害女性たちのことに心を痛め、支援団体でボランティアをしていた。そして会社の同僚や部下の男性たちに、この問題に関する本や映画のDVDを渡しては、性を売らざるをえない女性たちの被害の実態を話していたという。

 ある日、そうした部下の一人が彼のところに来て、人身取引の問題について教わってからは買春するのを辞めました、と告げたそうだ。私にそのことを話してくれたSさんの、嬉しそうな顔を思い出す。

 そうなのだ、性を買う男性たちも、決して悪い人ばかりではない。実態を知らないだけ、あるいは、この社会構造を変えるために自分にもできる貢献があるということに、気づいていないだけの人もいるはずだ。

 願わくば、そんな男性たちにも本書が届いてほしいと思う。そして、自らは買春などしない大多数の読者が、この本によって人身取引の問題に触れ、現代社会に巣食う不条理に憤りを感じ、この状況をなんとか変えなくては、と思ってもらえることを願う。

 既にこの問題に取り組んでいるNGOはいくつもあり、そのほとんどは人手不足・資金不足で、世間のサポートを必要としている。ぜひ、ほんの少しでいいから、そういった動きに関わりをもってほしい。あるいは本書を読んだ後に、できる範囲で構わない、この問題を家族や友人と話題にし、SNSなどを通じて伝えていっていただければ、と願っている。

*1 『告発・現代の人身売買――奴隷にされる女性と子ども』デイヴィッド・バットストーン/朝日新聞出版/2010年(Not For Sale: The Return of the Global Slave Trade---and How We Can Fight It)

*2 金銭の授受を伴う人身取引が日本でも行われていないわけではない。数十万~数百万円で外国籍女性が日本人男性に売られ、強制結婚や性的搾取の被害を受ける事件も時々起きている。ちなみに刑法226条2にある「人身売買罪」はこのような金銭の授受を伴う人身取引を取り締まる法律であり、国連の定義する「人身取引」の範囲とイコールではない。

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