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奴隷制を終焉に導いたのはリンカン大統領だけではない――『アメリカの奴隷解放と黒人――百年越しの闘争』

記事:明石書店

黒人兵募集のポスター(1863~65年頃) Supervisory Committee for Recruiting Colored Regiments, “Come and Join Us Brothers” (ca. 1863-65, National Museum of American History)
黒人兵募集のポスター(1863~65年頃) Supervisory Committee for Recruiting Colored Regiments, “Come and Join Us Brothers” (ca. 1863-65, National Museum of American History)

「偉大なる解放者」リンカンへの挑戦

 アメリカ合衆国の独立革命期から南北戦争期に至る奴隷制廃止の歴史をつづった本書は、スティーヴン・スピルバーグ監督の映画『リンカーン』(2012年公開)への言及から始まる。それは、奴隷制廃止に対するアメリカ人の関心の高さだけではなく、「偉大なる解放者」リンカン礼賛の根強さを、著者アイラ・バーリンが強調したかったからだろう。

 エイブラハム・リンカンは1863年に奴隷解放宣言を発布し、奴隷制の廃止をうたった合衆国憲法修正第13条の成立に尽力しながらも、非業の死を遂げた。そのリンカンを崇める風潮は、今に始まったことではない。当時から既にみられたことは、以下に掲載した図像からも窺える。

 リンカンなどの権力者の貢献を過大評価する傾向は歴史学界にもあるが、バーリン自身は、奴隷による「自己解放」を過去半世紀にわたって主張し続けてきた。そうした研究姿勢を貫いたバーリンの最後の著作となった本書は、「永遠に続くかのように思われる論争、すなわち社会の頂点に立つ者が法に基づいて行使した権力の所産として歴史を理解すべきか、それとも社会の底辺から民衆が起こした運動の所産として歴史を理解すべきかという二元論――の陥穽(かんせい)から脱する試み」(13頁)である。

自由の到来を告げる「偉大な解放者」リンカン(1865年)J. L. Magee, “Emancipation” (1865, Library of Congress)
自由の到来を告げる「偉大な解放者」リンカン(1865年)J. L. Magee, “Emancipation” (1865, Library of Congress)

100年越しの闘争

 奴隷制廃止運動を巡る従来の研究は、白人の間で運動が活発化した独立革命期と南北戦争前の数十年間に集中していた。加えて、奴隷解放宣言が南北戦争中に発布されたことから、戦争が奴隷制を一気に廃止に追い込んだとする解釈が主流であった。

 そのような潮流に対して、本書は黒人を中心とした奴隷制に反対した市井の人々こそが、1世紀にも及ぶ運動を結実させて、奴隷制を廃止に導いたことを提示している。しかもその道のりは平坦でも、直線的でもなく、しばしば低迷し、ときには逆戻りをしたという。そのため、バーリンは奴隷制廃止に至る歩みを、土砂や流木で迂回したり逆流したりする川の流れにたとえる。

 奴隷所有者の勢力に押されて運動が低迷し、白人の奴隷制廃止論者が活動を諦めてしまった時期ですら、黒人たちは自由の到来を信じ、運動の火を絶やさなかった。言い換えれば、そうした黒人たちによる数多の行為が積み重なった結果として、奴隷制の廃止が実現したのである。奴隷制の廃止は、本書の副題のように、「百年越しの闘争」であった。

「奴隷解放宣言」発布当時の雑誌に描かれた黒人の過去と未来(1863年)“The Emancipation of the Negroes, January 1863: The Past and the Future” (Harper’s Weekly, January 24, 1863)
「奴隷解放宣言」発布当時の雑誌に描かれた黒人の過去と未来(1863年)“The Emancipation of the Negroes, January 1863: The Past and the Future” (Harper’s Weekly, January 24, 1863)

名もなき黒人たちの雄々しき抵抗と貢献

 以上のようなバーリンの解釈は、奴隷制廃止運動を段階ごとに分け、徐々に前進してきたかのように捉える、いわゆる社会発展段階説的な解釈とは一線を画す。また、時代や担い手による差異に注目するあまり、俯瞰的な視野を欠いた20世紀後半の細分化した研究とも異なる。

 バーリンが闘争の歴史を語る上で軸としているのが、1世紀に及ぶ変遷に偏在した4つの特徴である。それらは、1. 奴隷制廃止運動を「下から」推進した黒人の重要性、2. 奴隷制廃止と不可分であった黒人の市民権問題、3. 奴隷制廃止の根拠となった独立宣言とキリスト教、4. 奴隷制の破壊に伴った暴力であった。

 2つめと4つめの特徴について述べると、肌の黒さゆえに従属を暴力的に強いられた人々の法的な解放を求める運動は、奴隷制廃止後の未来の人種関係を巡る闘争の様相も帯び、それを阻む者との武力衝突は不可避になったということである。

 とはいえ、本書で最も強調されているのは1つめの特徴であり、人間性を否定する力にひるむことなく抗した黒人たちの姿が、生き生きと描かれている。奴隷反乱首謀者や著名な黒人奴隷廃止論者の活動のみならず、名もなき黒人たちが、いかに奴隷捕獲人たちと命をかけて対峙したのか、南北戦争時、北軍(連邦軍)側に逃亡した奴隷たちが危険を顧みず、どれほど野営地で貢献をなしたのかを詳述するとき、バーリンの筆は、ことさら冴える。

BLM運動に引き継がれる未完の闘い

 アメリカの奴隷制は、凄惨な内戦を経て廃止された。しかしながら、奴隷制の根幹にあった人種主義の撲滅にまでは至らず、20世紀転換期に人種関係はむしろ悪化した。その結果、人種主義は社会体制にいっそう組み込まれ、その構造は、州および連邦による分離主義の正当化によって複雑化した。しかもその後、20世紀半ばに大きな社会変革を起こし、法的な人種平等を達成したはずの市民権運動ですら、構造的人種主義を崩すことはできなかった。まさに、歴史家エドワード・バプティストが、『ニューヨーク・タイムズ・ブック・レヴュー』紙上で本書を次のように評した所以がここにある。「奴隷制とその終焉は、決して遠い過去の歴史なのではない。それは、こんにちのアメリカ合衆国において国家の変革を問う論議と結びついている。BLM運動の参加者と同様、バーリンが提示しているのは、現代にまで連なる奴隷制の歴史なのだ」

 根深い人種主義の残滓(ざんし)が、21世紀に至ってなお散見されるこんにち、バーリンの書を改めてひも解く意義は、よりいっそう、強まることになるだろう。

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