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クーデターに揺れるミャンマーの不条理な現実を読み解く『ミャンマーの矛盾――ロヒンギャ問題とスーチーの苦難』

記事:明石書店

『ミャンマーの矛盾――ロヒンギャ問題とスーチーの苦難』(明石書店)。写真はロヒンギャの大規模避難が始まって1年あまりがたったバングラデシュ南東部コックスバザール県の難民キャンプ(2018年11月)
『ミャンマーの矛盾――ロヒンギャ問題とスーチーの苦難』(明石書店)。写真はロヒンギャの大規模避難が始まって1年あまりがたったバングラデシュ南東部コックスバザール県の難民キャンプ(2018年11月)

 昨年2月のクーデター後、ミャンマーで何人が国軍に殺され、家を追われただろう。

 地元人権団体や国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、2000人以上が殺され、今年5月下旬時点の推計で70万人近くが国内避難民になり、4万人が隣国に逃れた。

 では、ロヒンギャは? 2017年8月、ミャンマー西部ラカイン州で、ロヒンギャの武装勢力が警察や国軍の拠点を襲撃。反撃に出た国軍など治安部隊による殺人や放火、性暴力が広がり、UNHCRによると、70万人以上が隣接するバングラデシュへの難民となった。

 死者はと言うと、国連人権理事会の国際調査団は控えめに見て1万人と推計。一方、クーデター前のミャンマー政府の独立調査委員会が出した報告書の中の数字を足すと約2000人。難民キャンプでの聞き取りから2万4800人と見積もった調査もある。つまり、被害の全体像がはっきりしないままなのだ。

 そして、正式な手続きでミャンマーに戻った難民は1人もいない。

 こうした数字を意識している人が、日本でどれだけいるだろうか。

 ウクライナ危機に隠れ、ミャンマーのクーデターに関するニュースはすっかり少なくなった。その前に起きたロヒンギャ問題については、何をか言わんやだ。

 本書には、重大な人権問題が風化している実態への危機感が込められている。

 筆者がバングラデシュの難民キャンプを最初に訪れたのは2017年10月から11月、ロヒンギャの大規模流出が始まって2カ月後だった。

 ミャンマーからの避難は止まっていなかった。雨の中、キャンプから少し離れた海岸近くの小屋に身を寄せるロヒンギャたちに遭遇した。生後8カ月から80代まで63人。前夜、ボートでベンガル湾に乗り出し、国境を越えてきた人たちだった。

 頭に裂傷、手足に火傷の痕が残る10代の少女にも出会った。少女は住んでいた村が治安部隊による苛烈な武装勢力掃討作戦の舞台となった。焼き打ちに遭い、殴打された上、銃撃などで両親やきょうだいら家族全員を失った。今後、少女はどう生きていけばいいのか。伏し目がちに語る姿が頭を離れない。

 他にも、性暴力を含む被害の証言が次々と耳に入ってくる。親を亡くしたという子どもたちが、あちこちにいる。むごたらしさに胸が痛んだ。

「多民族」と「国軍」

 こうした不条理な現実を読み解くため、本書はミャンマーという国の成り立ちから振り返った。

 1つのキーワードは「多民族」だ。ミャンマーには100以上の民族が存在すると言われる。古来の民族の多様性に加え、ミャンマーと同様に英国植民地になったインドやバングラデシュからの人の移動が、軋轢を生んだ。

 もう1つの重大な要素が「国軍」だ。反英闘争をした「ビルマ独立義勇軍(BIA)」を源流とする組織は、1948年のミャンマー独立後も、少数民族やビルマ共産党の武装闘争を抑え込むため存在感を保ち、1962年の1回目のクーデター以降、政治の前面に居続けている。

 多数派民族ビルマ人を主体とする国軍の統治の中、ロヒンギャは国籍法上、国民の枠外に置かれた。バングラデシュなどベンガル地方から来た移民であり、固有の民族ではないとの主張だ。

 実際には英国の植民地になる前から、ラカイン州にはベンガル系イスラム教徒がいたと思われるが、考慮されなかった。

 かくしてロヒンギャはミャンマー社会から排除されていくが、不法移民と位置付ける見方は、国軍だけでなく国民の間にもあった。

 ロヒンギャ問題は、長く民主化運動を指導し、人権や自由の象徴として半ば偶像化されたスーチーの世界的な名声を深く傷つけた。

 だが、本書でも触れているが、ロヒンギャ問題でスーチーが何もしなかったわけではない。難民の大規模発生前、解決に向け、諮問委員会も設置した。

 ただ、難民発生後の対応は遅く、治安部隊による迫害の責任追及には甘さがみられた。ロヒンギャへの国籍付与の議論に、積極的に踏み込むほどではなかった。

 やはり、そこには根深い反ロヒンギャ感情がある世論や強大な権限を持つ国軍への配慮を感じずにはいられなかった。

 軍政期に制定された現行憲法は、国会の議席の25%を軍人枠とし、国防、内務、国境の3大臣の人事権を国軍総司令官に与える。2011年に民政移管されたものの、国軍には文民統制が効かず、いびつで矛盾のはらんだ統治構造だった。

 その国軍の執拗なまでの権力欲は昨年、クーデターという形で表れ、国民的人気の高いスーチーを拘束し、実権を奪った。

 「問題の解決は遠のいた」。クーデター後、ロヒンギャから先行きに悲観的な意見が聞こえてきた。

 ロヒンギャ排除の考え方を持つ国軍が、難民の帰還を受け入れ、国籍を付与するとは考えられない。ましてやコロナ禍で。

 事実、バングラデシュでも、進んでいるのは帰還準備ではなく、過密な難民キャンプからロヒンギャをベンガル湾の離島バシャンチャールに移す作業だ。国連機関も島での人道支援活動を始めている。

 クーデターから1年以上。国軍は国際社会の非難を浴びても、強硬姿勢を崩さない。重苦しい空気の中、少しだけ希望を感じさせる動きもある。

 「敵とは国軍で、私たちお互いではない」。本書は冒頭、ロヒンギャとビルマ人らの和解を漂わせる場面で始まる。

 ロヒンギャを含む少数民族や民主活動家に対する弾圧など、ミャンマーで数多くの人権侵害を犯してきたのは国軍である。その事実をクーデター以降の国軍の振る舞いは、民族の違いを越えてミャンマー人らに痛感させた。

 国軍に対抗するため民主派が樹立した「挙国一致政府(NUG)」は、ロヒンギャに国籍を与えるとの声明を出している。

 ただし、和解を定着させるのは、簡単ではない。国軍の実効支配を終わらせ、多民族共生と人権尊重の意識を社会に行き渡らせなければならないからだ。

ここで生まれる子も多数いる。ロヒンギャの大規模避難から2年が過ぎたバングラデシュ南東部コックスバザール県の難民キャンプ(2019年9月)
ここで生まれる子も多数いる。ロヒンギャの大規模避難から2年が過ぎたバングラデシュ南東部コックスバザール県の難民キャンプ(2019年9月)

ロヒンギャ問題と日本

 ロヒンギャ問題は日本とも無関係ではない。

 ロヒンギャ迫害やクーデターの主体となった国軍の源であるBIAは、第二次世界大戦中、英国をミャンマーから追い出す狙いを持った旧日本軍が結成に関わった。

 ラカイン州の支配権争いでは、旧日本軍は仏教徒のラカイン人、英国はイスラム教徒(ロヒンギャ)を武装させた。当時の両者の衝突は、現在も続く対立の一因になっている。

 では、日本は今、ロヒンギャ問題にどう向き合っているだろうか。

 ミャンマー政府は公式に「ロヒンギャ」という単語を使ってこなかった。もちろん、クーデター後の国軍も同様だ。だから、NUGが「ロヒンギャ」の存在を認めたのは画期的なのだ。

 日本政府は現在も「ロヒンギャ」という言葉は使わない。この点はまるで、国軍と同じだ。

 また、日本政府はバシャンチャールでの国連機関の人道支援に、ODA(政府開発援助)で200万ドル(約2億7000万円)を拠出した。

 離島への移住が自発的になされているか。ミャンマーへの帰還を長引かせるだけにならないか。実態に目を光らせる責任が、日本にも生じている。

 クーデターと日本の向き合い方についても、付言しておきたい。

 日本政府は外相談話などでクーデターを非難している。だが、今年2月にウクライナに侵攻したロシアに対するような制裁は、ミャンマーに発動していない。

 それどころか、クーデター後も防衛省は、留学名目で国軍の軍人を受け入れ、教育訓練を施している。

 また、国会議員が役員に名を連ね、大手を含め進出企業がメンバーになっている「一般社団法人 日本ミャンマー協会」会長の渡辺秀央元郵政相は、クーデター後も度々ミャンマーを訪れ、国軍が任命した「閣僚」とVIP待遇で面談。国軍に融和的な行動と発言が、在日ミャンマー人らの怒りと批判を引き起こしている。

クーデター後もミャンマー国軍の軍人に教育訓練を施すなど、曖昧な日本の対応に抗議するミャンマー人ら。東京・外務省前(2022年5月24日)
クーデター後もミャンマー国軍の軍人に教育訓練を施すなど、曖昧な日本の対応に抗議するミャンマー人ら。東京・外務省前(2022年5月24日)

 日本政府や経済界は結局のところ、どこを向いているのだろう。支配者がだれであろうと、ミャンマーへの影響力を強める中国に対抗し、長年の政府開発援助(ODA)などを通じて得た権益と存在感を確保しておきたい。そんな利己的な腹の内が見え隠れする。

 日本はウクライナからの避難民受け入れを表明。既に1400人超が入国している。一方、ミャンマーについては、避難民を受け入れる仕組みは特に設けられていない。

 他国からの侵略か、国内での政権転覆に伴う武力行使か、という違いがあるにせよ、膨大な数の市民が苦しんでいる状況は変わらない。なのに、対応には差がある。

 近年、「多様性」や「多文化共生」といった言葉を目にする機会が増えた。だが、日本人の人権意識は本当に高まっているのか、疑問が沸々と湧いてくる。

 ロヒンギャ問題やクーデターを取り上げた本書が、私たち自身の姿を見直す機会にもなればと願っている。

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