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多文化社会アメリカの歴史を多様な視点から描き出す――『アメリカの歴史を知るための65章【第4版】』

記事:明石書店

ショショーニ・バノック族の祭りにて(撮影:佐藤円)
ショショーニ・バノック族の祭りにて(撮影:佐藤円)

進むアメリカの多人種・多民族化

 アメリカ人と聞いて、金髪碧眼の「白人」をイメージしていては、現在のアメリカを理解することはできない。確かにかつてのアメリカは、白人が人口の絶対的多数派を占め、その富や権力を独占していた。そのような時代なら、白人をアメリカ人の代表と捉えてしまってもしかたがないとも言えるが、いまや状況は大きく変わった。スポーツ、エンターテインメント、経済、学術など、社会のあらゆる分野に非白人が進出し、その活躍が目立っている。この流れは政治の世界にもおよび、ついに2008年の大統領選挙ではバラク・オバマが当選し、初の黒人大統領も誕生した。

 このような非白人の社会進出と同時に進行しているのが、アメリカの多文化社会化だ。例えば言語を見ると、相変わらず英語が主流ではあるが、ヒスパニック系の増加にともないスペイン語の使用が拡大している。メキシコ国境に近いアメリカ南西部などに行くと、英語とスペイン語を流暢に使い分けるヒスパニック系のバイリンガルによく出会う。また世界各地から流入する様々な外来語がアメリカ英語に取り入れられ、しばしば日常会話にも登場する。筆者も、友人からビーチサンダルのことを「何語かは知らないけれどゾーリと呼ぶこともある」と言われ、驚かされたことがある。

多様な人種や民族を背景とする人びとが行き交うニューヨークのチャイナタウン
多様な人種や民族を背景とする人びとが行き交うニューヨークのチャイナタウン

 このアメリカの多人種・多民族化と多文化社会化がなぜ起こっているのか、その背景を知りたければ、まずアメリカの人口動態を歴史的に振りかえってみることが肝要だ。

 そもそもヨーロッパ人が到来する以前、現在アメリカになった地域に居住していたのはアメリカ先住民だけだった。しかし17世紀以降ヨーロッパ人の植民活動が本格化すると、建設された植民地には主にイギリス系を中心とする西ヨーロッパからやって来た入植者と、アフリカから連行されてきた奴隷が暮らすようになった。その後18世紀末にアメリカが独立し、さらに19世紀に入って経済発展がはじまると、各地から多くの移民が到来するようになった。当初そのような移民は、先住のイギリス系と文化的に同化しやすいプロテスタントのドイツ系などが多かったが、やがてカトリックのアイルランド系が加わり、19世紀の半ば以降の西部開拓の時代には、人種的にも文化的に異なる中国系、日本系などのアジア系も到来しはじめた。さらに南北戦争から20世紀初めにかけての急速な工業化の時代には、やはりイギリス系との同化が難しいとされたポーランド系やユダヤ系をはじめとする東ヨーロッパや、イタリア系などの南ヨーロッパからの移民が大量に流入した。このような人種的・文化的他者の急増に反対する移民排斥論の高まりによって、1920年代には移民の入国が厳しく制限されるようになったが、それも第二次世界大戦後には再び緩和され、1960年代以降はヒスパニック系とアジア系を中心とする移民が急増して現在にいたっている。この間アメリカにおける白人の人口比率は年々減り続け、現在約6割となったそれは2040年代には5割を切ると言われている。

多文化社会への道は1960年代から

 現在のアメリカの多人種・多民族化は、上記のようなアメリカ人の質的変化によって引き起こされたのであるが、多文化社会化については、もう一つ別の重要な歴史的背景に目を向けなければならない。それは、1950年代から活発化した公民権運動を起点とする社会改革運動の影響である。

 南北戦争後の奴隷解放から1世紀近く経とうとしているにもかかわらず、1950年代のアメリカにおいて黒人たちは、依然として二級市民の扱いを受け、厳しい人種差別に晒されていた。第二次世界大戦の結果を民主主義の勝利と喧伝し、その守護者として自由世界のリーダーを自認するようになっていたアメリカにとって、黒人たちはまさにその矛盾を象徴する存在であった。そのような黒人たちが、アメリカ人としての平等な権利の保障を求めて公民権運動を展開しはじめたのである。

公民権運動のハイライト、1963年のワシントン大行進(アメリカ議会図書館蔵)
公民権運動のハイライト、1963年のワシントン大行進(アメリカ議会図書館蔵)

 およそ10年におよぶこの社会改革運動は、多くの犠牲を払いながら、1964年の公民権法による法的人種差別の撤廃という輝かしい成果を勝ち取った。そしてその影響は黒人に留まらず、広くアメリカ社会全体におよんでいった。黒人たちの切実な訴えは、同じような境遇にあった他のマイノリティの心を揺り動かし、1960年代以降アメリカ先住民やアジア系アメリカ人など多くの非白人が社会的平等を求めて声を上げるようになった。さらにこの社会改革のうねりは人種や民族といった枠組みを越えていき、自らの社会的マイノリティ性を自覚した女性たちは、性差別とそれに基づく男性支配の解消を求める女性解放運動に身を投じ、「大人」による支配がつくりだす矛盾に反発した若者たちは、ヴェトナム反戦運動やカウンター・カルチャー・ムーブメントをはじめた。

 このようにして1960年代以降のアメリカでは、あらゆる人びとの社会的平等を追求する気運が高まったが、それを実現させるには、白人男性をアメリカの代表と見なし、その社会的優位性を当然とする既存の価値観や秩序の見直しが不可欠となった。それは同時に、アメリカとはどのような国家であり、またアメリカ人とはどのような人びとであるのかという自己像の見直しを求めることも意味していた。そして、その自己像がしばしば歴史を通して語られるものであったため、歴史研究や歴史教育においても、それまでのアメリカ史の見方や語り方が問い直されるようになった。

タペストリーとしてのアメリカ史

 本書『アメリカの歴史を知るための65章』は、以上のような経緯ではじまった歴史研究や歴史教育の改革が生みだした成果を積極的に採り入れたアメリカ史の概説書である。執筆者の専門は、政治史、外交史、社会史、アメリカ帝国史、黒人史、先住民史、移民史、労働民衆史、ジェンダー史など多様で、それぞれが担当した各章の内容や視点もバラエティに富んでいる。その一方で執筆者の間には、従来のアメリカ史は著しく白人男性の視点に偏ったものも多く、しばしばアメリカ史を担ってきたマイノリティ集団や女性たち、そして一般民衆が果たしてきた主体的な役割を軽視したり切り捨てたりしてきた、それゆえにこれからの歴史研究は、それら軽視され切り捨てられてきた諸集団の歴史的役割と相互関係を明らかにし、それを反映させた新しいアメリカ史を構築していかなければならないとする共通の認識がある。

 以上のような問題意識のもとに編まれた本書は、アメリカ史を理解する上で欠かせない奴隷制度、独立革命、南北戦争などといったことがらを時代順に説明しながら、同時にアメリカ史を担ってきた多様な集団の歩みと彼らが他集団と切り結んできた相互関係についても光を多くあてている。「アメリカの歴史とは、多様な集団が紡いできた縦糸とそれぞれの集団の間にある関係という横糸で織りなされたタペストリーである」と『多文化社会アメリカの歴史』(明石書店、1995年)の著者ロナルド・タカキ氏はかつて述べていた。本書が読者に色鮮やかなアメリカ史のタペストリーを提示するものであること、そして読者がそれに触れることで新しいアメリカ認識を得られることを筆者は心より願っている。

歴史の語り直しは社会教育でも進んでいる――復原・展示されている第二次世界大戦時の日系人強制収容所(ワイオミング州ハートマウンテン)
歴史の語り直しは社会教育でも進んでいる――復原・展示されている第二次世界大戦時の日系人強制収容所(ワイオミング州ハートマウンテン)

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