ウエルベックと聴くニール・ヤング 冷笑よりも、素朴だが重要なメッセージ
記事:白水社
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今日までの30年にわたるキャリアのなかで、ニール・ヤングはほぼ完璧に迷走していた。それでいて彼は、あたかも事故に遭遇するかのように何度かの流行に出会えたのだった。1970年代半ばには、ババ〔baba:ヒンディー語の「父」に由来する表現で、ヒッピーに代わって1970年代に登場した自然志向の反体制的若者〕たちのところに行けば必ず『ハーヴェスト』〔1972年リリース、4枚目のアルバム〕が見つかった。
80年代にはこのあまりに高くつく成功の代償を払わされたものの、〔90年代初頭の〕グランジ世代は気がついたのだ。彼がエレキ・ギターの奇妙なうめき声が染み渡った、暴力的で、苦悶にみちたレコードの製作者でもあることに。何年かのあいだ先駆者として評価され、再び流行に返り咲いたのである。不思議なことだが、これらの成功のいずれも彼の行く道を逸らすには至らなかった。とはいえ本当のことを言うと、道を逸脱するためには、最初からひとつ方向を定めてなければならないのだが。
『この人を見よ』の結びの箇所でニーチェは書いている。「あらゆる文体の目的は、記号──記号が生むリズムも含め──を用いて、ひとつの心理状態、感情の緊張を伝えることにある。私には無数の心理状態が存在するので、可能なだけ数多くの文体を有しているということになる」。ニール・ヤングの音楽の道程(一貫性を欠き、コントロール不可能であるにもかかわらず、いつも息を呑むほど真摯な歩み)は、躁鬱病者の伝記に比較することができるだろう。あるいは、渓谷や山岳を吹き抜ける、擾乱した大気の進路に。彼はいちばん手近な楽器を手に取り、魂を突き抜ける感情をシンプルかつダイレクトに表現しているのではないか、と私たちは感じてしまう。ほとんどの場合、その楽器とはギターだ。だが偉大なギタリストなら他にもいる。しかし、音符の一音一音、声の震えの細部に至るまで己を率直に表現し、その身を露わにするアーティストはめったにいない。数本の指をピアノに這わせ不器用に作曲された「瞳の輝き」(Soldier)はもっとも神秘的で、もっとも美しい曲のひとつだ。「小さな翼」(Little wing)のハーモニカは物悲しい激しさ、歳月を横切る絶望に満ちた吐息をものにしている。そしてまったく不躾にもジャズの文脈から「トワイライト」(Twilight)が誕生するのだが、これぞもっとも感動的な逸脱のひとつだ。ニール・ヤングにおける傑作とは壊れやすいもので、混沌の渦中から生まれてくる。彼のアルバムのどれひとつとして完璧な成功を収めてはいない。だが私の知るかぎり、どのアルバムも名曲を少なくとも1曲は収録している。
哀しみ、孤独、醒めて見る夢、穏やかな幸福──彼の最良のレコード群はおそらくこういった観念のあいだを揺れ動いている。そこに彼の理想的リスナー、見えない分身を思い描くこともできる。ニール・ヤングの曲は、しばしば不幸で、孤独で、絶望の扉に手を触れかけた人たちのために作られている。だが彼らは、それでも幸福は可能だと信じることをやめない。それはまた、いつでも幸福な愛を生きられているわけではないが、それでも再び恋に落ちる人たちのための曲でもある。冷笑主義の誘惑を身に受けながら、その誘惑に長いあいだ屈してはいられない人たちのための曲でもある。友人の死に接して、怒りで涙を流すことができる人たちのための曲でもある(「今宵その夜」(Tonight’s the night))。イエス・キリストは私たちを救いにきてくれるのかと本気で自問する人たちのための曲でもある。この地上で幸福に生きることは可能だと真剣に考えつづける人たちのための曲でもある。本当に偉大なアーティストでなければ、感傷的になる勇気をもち、甘ったるい言葉だと受け取られる危険を冒すことはできない。だが、ひとりの男が身を低くし、小さく寂しげな声で、ある女に振られたと嘆くのを耳にするのは、時として実に素晴らしいものだ。「男は女が必要」(A man needs a maid)や「人生の地点」(What did you do to my life)といった曲は、だからこそ色あせない。それに、ジャック・ニッチェとの共同制作期に製作された、煌々と輝く魔術のごとき愛の讃歌、「サッチ・ア・ウーマン」(Such a woman)や、とくにあの傑作「ウィー・ネヴァー・ダンスト」(We never danced)のような曲に身を浸すのも、実に素晴らしい。
だが思うに、シューベルトと同様に、幸福について語ろうとするときにこそニール・ヤングはさらに感動的になる。「シュガー・マウンテン」(Sugar mauntain)、「アイ・アム・ア・チャイルド」(I am a child)のような曲は、胸が締めつけられるほど純粋で、ナイーヴな曲だ。こんな幸福は、ここ、私たちの国フランスでは不可能だ。幼年時代をしっかりと保存しえた者でなければ。幼年時代の淵をもう抜け出ようとしている息子を哀しく眺める中年男性の、おぼろげで悲痛な情感を表現しようとした「マイ・ボーイ」(My boy)のような作品は、楽曲にかぎらず他のどんな芸術作品を探してみても見当たらない。息子よ、お前に残された時間はほとんどないだろう。私たち2人に残された時間はほとんどないだろう。「ああ そんなにあわてなくったっていいんだよ ぼくの息子よ ぼくら一緒に歩き始めたばかりだと思っていたのに」。ニール・ヤングの歌詞のいくつかは、激しい恋愛感情によって思春期を表現している。だがそれはロックに共通のやり口であって、私が思うにもっとも独創的で美しいのは彼が子供に戻りえた曲だ。この男は時々、空や池の水面のさざめきに奇妙なものを見出すことができた。「アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ」(After the gold rush)は私たちをじかに夢のなかへ導く。親しみやすいがひどく困惑もさせる曲「ヒア・ウィー・アー」(Here we are in the years)は、クリフォード・シマックの小説に現われる、あの煌めく午後を思い起こさせる。
ひとはどのようにしてニール・ヤングになるのか。彼はそのことを自伝的色彩の強い曲「ドント・ビー・ディナイド」(Don’t be denied)で物語る。引き裂かれた子供時代、学校での喧嘩、スティーヴン・スティルスとの出会い、スター願望。そしてそれらすべてに一貫する、耐え抜こうとする意志。世界に壊されてしまってはいけない。「ああ、僕の友達、どうか折れないで」。誰のために彼は歌うのか。自分のためか、それとも全世界のためか。正直に告白しよう。彼は私のためにこそ歌っているのだ、と感じることが私にはしばしばある。彼の作品に散在する、構造もなければ真実らしくも思われない、あの壮大な逸脱の群に耳を傾けると(「タルサへの最後の旅」(Last trip to Tulsa)、「トワイライト」(Twilight)、「インカ・クイーン」(Inca queen)、「コルテス・ザ・キラー」(Cortez the killer)……)、いつも同じイメージが心に浮かぶ。それはひとりの男の姿だ。困難でごつごつとした道を前に進む男。ときには転び、ひざは血だらけになる。再び立ち上がり、また歩き続ける(それは〔シューベルトの〕「冬の旅」が掻き立てるのとほとんど同じイメージだ。ただしシューベルトにおいては、天候は寒く、道は雪に覆われ、ひとは死と雪の優しさに身を丸めたいという激しい誘惑を感じる)。エレキ・ギターは奇妙な、恐ろしい、あるいは崇高な景色を通過してゆく。時々、すべてが静まり、世界は激しく揺れるようなリズムで脈打つ。時々、暴力と恐怖が世界を覆い尽くす。声は執念深く、儚く続いている。声が私たちを導いてくれる。その声は遠くから、魂のはるか遠くからやってくる。その声はけっして諦めることがないだろう。さほど男性的な声ではない。むしろ女性、老人、子供に似ている。それはひとりの人間の声、素朴だが重要なことを私たちに伝えようとする人間の声だ。それが伝えるメッセージとは、世界は本当の姿でありうるということ、それが世界の重要事だということ、世界をよりよくしようという考えを私たちが諦める理由はどこにもないということだ。「あふれる愛」(Lotta love)のシンプルなメッセージはこうだ。「決められたものごとを変えるには 愛がいっぱい必要」。
瞬く間に不滅の名曲となった「孤独の旅路」(Heart of gold)のメッセージはこうだ。「俺はいまでも黄金の心臓を探している そして俺は老いてゆく」。ニール・ヤングを私が聴くようになってから今日まで、ほとんど20年の歳月が経つ。苦しみや猜疑心に苛まれていたとき、彼はしばしば私に付き添ってくれた。時代が私たちを打ち負かすことはないだろう。今の私はそれを知っている。
*本稿はミシュカ・アサヤス監修『ロック事典』(ロベール・ラフォン社、2000年)に発表され、『発言集2』に収録された。
【ミシェル・ウエルベック『ウエルベック発言集』所収「ニール・ヤング」より】
【Neil Young - Heart of Gold (Live) [Harvest 50th Anniversary Edition] (Official Music Video)】