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「セロトニン」書評 現代における愛とは何かを問う

評者: 出口治明 / 朝⽇新聞掲載:2019年11月09日
セロトニン 著者:ミシェル・ウエルベック 出版社:河出書房新社 ジャンル:欧米の小説・文学

ISBN: 9784309207810
発売⽇: 2019/09/27
サイズ: 20cm/300p

巨大化学企業を退社し、農業関係の仕事に携わる43歳のフロランは、恋人の日本人女性ユズの秘密をきっかけに〈蒸発者〉となる…。過去に愛した女性の記憶と呪詛を交えて、現代社会の…

セロトニン [著]ミシェル・ウエルベック

 経済学者、猪木武徳が指摘するように、民主政治と技術革新は社会の連携を弱める性質を持っている。では、現代に生きる人々が連携を取り戻すには何が必要か。一つの答えは、究極の対面の付き合いである愛だ。鬼才ミシェル・ウエルベックが愛の物語に挑む。
 本書は込み入ったコラージュだ。訳者によれば、描かれているホテルやレストランは実在するという。詳細なメニューの記述も彼の流儀なのだろう。また、欧州統合のもとで苦悩する酪農家など今日のフランスが直面する課題もきちんと取り上げられている。もちろんネット社会も。主人公はパソコンで恋人の不実を知るのだ。そうしたリアルな枠組みの中で物語が紡がれる。主人公は、高い教育を受けた裕福なインテリの白人だ。そして愛の対象は、それぞれに魅力的な若い女性だ。作中の言葉を借りれば、マルセル・プルーストの『「花咲く乙女たち」を「濡れた若いヴァギナ」と言い換えることを強く主張したい』ということになる。このような古典的、紋切り型の恋愛の設定自体が、例えばLGBTの人々を不必要に挑発していると見られなくもないが、著者は百も承知の上だろう。
 物語は不実な恋人と別れるために主人公が蒸発を決意する場面から始まる。主人公は抗鬱剤を常用しているがその副作用の一つが不能だ。この時点で物語の結末が明らかになる。愛が現世での存在を耐えられるものにしてくれると主人公は考えているが、その愛はセックスがコアとなっているのだから。主人公は、映画「舞踏会の手帖」のように過去に愛した女性を追憶しながら緩慢な死に向かって引きこもっていく。いくつかの回想の愛の場面は純粋で瑞々しく美しい。「言葉は愛を生み出すためではなく人々を分裂させ憎悪を掻き立てるためにあり」など著者ならではの箴言も随所にちりばめられている。現代における愛とは何か、著者は読者に問うているのだ。
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Michel Houellebecq 1958年生まれ。フランスの作家。著書に『素粒子』『地図と領土』『服従』など。