ウエルベックがコロナ禍に発したメッセージ 友人たちへの手紙
記事:白水社
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【朗読動画:Je ne crois pas aux déclarations du genre « rien ne sera plus jamais comme avant » - M. Houellebecq】
正直に告白せねばならない。ここ数週間に交わしたメールの大半は、連絡相手が死んでいないこと、または死にかけていないことを確かめることを第一目的にしていた。だが、その手の確認が済むと、それでも何か面白いことを言おうと試みたものだ。それとて容易なことではない。なぜならこの感染症は、不安であると同時に退屈でもあるという快挙を成し遂げたのだから。凡庸なウイルス、無名のインフルエンザ・ウイルスと不名誉な仕方で類似し、残存条件もあまり知られておらず、その特徴も不確かで、軽症の場合もあれば死に至る場合もあり、セックスで伝染するわけでもない。要するに、特性のないウイルスなのだ。この感染症がいかに毎日世界中で多数の死者をもたらしても、それでも出来事など起こらなかったという奇妙な印象を産んでいた。それに、尊敬に値する同業者たち(何人かはなんといっても尊敬に値するのだ)はウイルスの話はあまりせず、ロックダウンの話題を扱うことを好んだ。私はここで、彼らの所見のいくつかに自分なりの貢献ができればと思う。
フレデリック・ベグベデ(ゲタリー市、ピレネー・アトランティック県)。なんにせよ作家はあまり人に会わず、書物と一緒に隠者生活を送っており、ロックダウンでもたいして変わらない。まったくもって同意だよ、フレデリック、社会生活の問題はほとんど何も変わっていない。ただ、君が考慮していない点がある(たぶん田舎に住んでいるからあまり禁制の犠牲になっていないのだろう)。作家には、散歩の必要があるという点だ。
このロックダウンは、古くからあるフローベールとニーチェのあいだの論争に決着をつける理想的な機会だと私は思う。どこかで(どこか忘れたが)フローベールは、ひとは座りながらしか上手に考えられず、書くことができないと言っていた。ニーチェはこれに抗議し、嘲弄する(これもどこでか忘れた)。フローベールのことをニヒリストとして扱いさえする(それは彼がすでに言葉をでたらめに使い始めていた時期のことだ)。私自身、散歩しながら全作品を構想した、散歩のなかで構想されないものは無価値である、そもそも私はつねにディオニソス的な踊り手だった、云々。ニーチェに過剰なシンパシーを抱いているとは疑われない私も、今回ばかりは彼のほうが正しいと認めざるを得ない。日中、数時間変わらぬリズムで散歩ができないなら、書くことはまったくお薦めできない。蓄積された神経の緊張は解消に至らず、思考やイメージは作家の哀れな頭のなかを苦しげに回転しつづけ、彼はすぐにいらいらし、はては発狂してしまう。
本当に大切な唯一のことは、散歩における機械的なリズム、マシンのようなリズムである。散歩の第一目的は新しい考えを生じさせることにはなく(第二段階になればそれも生じうるのだが)、デスクワークで生まれたたくさんのアイデアが衝突することで起きる葛藤を鎮めることにある(そしてこの点ではフローベールが完全に間違っていたわけではない)。ニーチェがニース周辺地域の岩の多い斜面やエンガディン地方〔スイス〕の平原などで練り上げられた概念について語るとき、彼は少しうわごとを言っている。旅行ガイドの執筆時を除けば、通過した風景は内面の風景に比べて重要ということはない。
カトリーヌ・ミエ(普段はどちらかというとパリ在住だが、移動禁止令が下されたときにはたまたまピレネー・オリエンタル県のエスタジェルにいた)。現状は私の著書の1冊『ある島の可能性』の未来予測的な箇所を残念ながら思わせるという。
これについてはやはり私も、読者がいてくれて光栄なことだと思う。私はそれを結びつけようなどと考えてはいなかったが、たしかにまったく明白なことだからだ。それに、いざ考えてみると、まさしくそれは人類の消滅に関して当時私が念頭に置いていたことだった。大観客向け映画のようなところは何もない。何かちょっと陰気なやつだ。同胞たちと身体的な接触をもたず、たまにコンピュータでやりとりをする程度。独房のなかにひとりで生き、衰退に向かう人々。
エマニュエル・カレール(パリからロワイヤンへ。彼は移動に適当な理由を見つけたようだ)。この時期に影響された興味深い書籍は生まれてくるだろうか。彼はそう自問している。
私も気になるところだ。本気でこの問題を考えてみたが、どうやらありそうにないと奥底では思う。ペストなら、何世紀にもわたり多くのことがあった。ペストは作家をたいそう面白がらせた。この点で私には疑問がある。「何ひとつとして以前と同じではいられまい」という類いの言説からして、私は片時たりとも信じたことがない。反対に、何もかもがまったく同じかたちで残ることだろう。この感染症の経過は驚くほど普通なのだ。西洋は永遠の地、神聖権を付与された地、世界でもっとも豊かで発展した地域ではない。もうしばらく前から、そうしたものすべてが終わりを告げた。この報せにスクープめいたところは皆無だ。もしあえて詳細を検討してみるなら、フランスはスペインやイタリアよりは少しうまく切り抜けているが、ドイツほどうまくいっていない。この点でも、とくに何も驚きはない。
反対に、コロナウイルスがもたらすはずの主要な結果は、現在進行中のいくつかの変化を加速させる点にある。かなり以前から、技術の進歩全体は、マイナーなものであれ(オンデマンドビデオ、非接触型決済)メジャーなもの(テレワーク、ネットショッピング、ソーシャルネットワーク)であれ、その主要な帰結として(その主要な目的として?)物質的接触、とくに人間的接触を減らすものだった。コロナウイルスの流行は、この大がかりな傾向にまたとない存在理由を提供した。一種の老朽化が、人間関係に襲いかかったように思われるのだ。それで思い出したのは、「未来のチンパンジー」という活動家団体が起草した生殖補助医療に反対する文章を読んでいて見つけた、明快な比較である(彼らを発見したのはインターネットでだ。ネットには不利益しかないなどと私が言ったことは一度としてない)。では、引用してみよう。「近い将来、自力で、お金を払わず、僥倖によって子をなすのは、ウェブのプラットフォームなしでヒッチハイクをするのと同じくらい非常識なことになるだろう」。共同乗車にシェアハウス。人は自分にふさわしいユートピアをもつものだ。まあいい、次に行こう。
私たちは〔感染症によって〕悲劇的なもの、死、有限性などを再発見した、と主張するのも同じくらい間違ったことだろう。半世紀以上前から現在まで、フィリップ・アリエスが明快に記述したように、一般的傾向として死は可能なかぎり隠蔽されるものだっただろう。さて、ここ数週間ほどと比べれば、死がこれほど目立たないものだったことはかつてなかっただろう。人々は病室か介護施設でひとりで死に、ただちに埋葬された(それとも火葬されたのだろうか。火葬はいままで以上に時代精神に溶け込んでいる)。誰も葬式に招待することなく、内密に。少しの証言も残らない死、犠牲者は日々の死者統計の数「1」でしかなく、総数が増すにつれ人心に拡がる不安は奇妙にもどこか抽象的だ。
ここ数週間、別の数字のほうがずっと重要性を帯びてきたようだ。患者の年齢である。何歳までなら彼らを救命し、介護すべきだろうか。70歳、75歳、80歳? それはその人が生きている世界の地域に明白に依存している。だが、万人の命が同じ価値をもつわけではないという事実が、これほど落ち着いた不謹慎さとともに表明されたことは、なんといってもかつてあるまい。特定の年齢に達したら(70歳、75歳、80歳?)というのは、なんだかまるで、すでに死んでいるかのようだ。
これらすべての傾向は、すでに言ったように、コロナウイルス以前からすでに存在していた。新たな明証性とともに現われてきただけである。ロックダウンのあと、私たちが新世界に目覚めることはあるまい。それは同じ世界、もう少し悪くなった同じ世界なのだ。
*この手紙は2020年5月4日、フランス・アンテール局でオーギュスタン・トラペナールによって朗読された。
【ミシェル・ウエルベック『ウエルベック発言集』所収「もう少し悪いほうへ──数名の友人への返信」より】