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破滅へ導く、不倫?読書? ギュスターヴ・フローベール「ボヴァリー夫人」

桜庭一樹が読む

 「ボヴァリズム」ってご存じですか?
 本書の主人公、ボヴァリー夫人から生まれた言葉。「物語の影響を受けすぎて実際よりドラマチックな人生を夢想してしまう」ことを指している。って、こりゃ耳が痛いなぁ……。
 フランスは長らく貴族社会だった。だから小説も、貴族らしい建前を冷静に描く古典主義が中心だった。ところが一八世紀後半、革命が勃発! 以降、庶民の感情を高らかに謳(うた)うロマン主義が大流行。ユゴー、スタンダール、バルザック、大デュマなどが綺羅(きら)星の如(ごと)く登場した。
 そして一九世紀半ば。彼らの後輩たるフローベールが書いた問題作が、本書なのだ。
 ボヴァリー夫人ことエンマは、夫と子供に恵まれているのに、独身時代にロマン派の小説を読み耽(ふけ)ったせいで、平凡な生活に不満を持ってしまう。「この地上のどこかには、幸せをもたらすはずの場所がある」と夢見て苦しむ。つまり彼女は、読書という禁断の楽しみを知ってしまった、革命後のフランス庶民の代表なのだ。
 刺激を求めるエンマは、やがて不倫の恋に走る。だが……!?
 おっかないのは、望んでいたドラマチックなシチュエーションを得たのに、病のような退屈がまったく去らないところなのだ。なにが起こっても、小説ほど素敵(すてき)じゃないと感じてしまって、満足できない。次第に、小説が見せた夢のことでさえ、「いかなる欲望も叶(かな)わない絶望ゆえに考え出された嘘(うそ)」だと呪い始める。やがて致死の倦怠(けんたい)が彼女を破滅に導いて……。
 エンマの迷走っぷりに釘付けで読み、やがて本から顔を上げて、「あぁ、自分じゃなくてよかった」と思う。それから「自分じゃない? 本当に……?」とつい辺りを見回してしまう。
 この本は、フローベールによるロマン派小説群へのカウンターなのだ。そして、わたしのようなドラマジャンキーへの、強い一撃でもあるよ。
 (小説家)=朝日新聞2017年11月12日掲載