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澤穂希さん推薦! 未来への飛躍を提言する『女子サッカー140年史』

記事:白水社

スザンヌ・ラック著『女子サッカー140年史──闘いはピッチとその外にもあり』(白水社刊)は、女子サッカー競技の初めての通史。『ガーディアン』紙と『オブザーバー』紙の女子サッカー担当記者である英国のジャーナリストが、紆余曲折をたどった女子サッカーの未来への飛躍を提言する。巻末に「日本女子サッカー小史」・年表・選手名索引も収録。
スザンヌ・ラック著『女子サッカー140年史──闘いはピッチとその外にもあり』(白水社刊)は、女子サッカー競技の初めての通史。『ガーディアン』紙と『オブザーバー』紙の女子サッカー担当記者である英国のジャーナリストが、紆余曲折をたどった女子サッカーの未来への飛躍を提言する。巻末に「日本女子サッカー小史」・年表・選手名索引も収録。

【WOMEN'S EURO PREVIEW | SUZY WRACK | THE GUARDIAN】

 

 女性たちは選挙権を得て、離婚ができるようになり、私有財産を持つ権利を得て、働くことも、独身を通すこともできる。それでも圧倒的に多くの人たちが男性のものだと考えるサッカーの世界で、女子サッカーは今日でさえも、女性嫌悪ミソジニー的な攻撃にさらされる。なぜか? 女性たちはたしかに社会進出を果たした。それにもかかわらず、社会には女性に対する偏見や重苦しい抑圧がまだあるからだ。政治やビジネスの場で意思決定に加わる女性はまだ少ない。男女賃金格差は解消にほど遠く、広告宣伝での女性蔑視は散見され、妊娠して産むかどうかを決める権利はまたも女性たちから奪われようとしている。現実社会はジェンダー平等にはまだいたっていない。

 女性たちを「男性専用」のたまり場に入らせないようにするには、制度や法律で禁止すればいいと考える人たちはこれまでもいた。だがその上をいく人たちもいたのだ。記録に残る世界初の女子サッカーの試合は、1881年5月9日、エジンバラのイースターロードで開催されたスコットランド対イングランド戦だった。試合はメディアと大衆からあからさまな侮蔑を浴びせられた。着ているものへのこきおろしにはじまり、プレーのレベルや外見に対する嘲笑が大半をしめる。そのあたりは現代とたいして変わらない。それでもイングランドのゴールキーパー、ヘレン・マシューズ(グラハム夫人として知られている)はめげなかったし、彼女がチームをまとめたおかげで、イングランドは3─0で勝利した。5日後、5000人のファンの前で行なわれるはずだった試合は、数百人の男性たちがピッチになだれこみ、選手たちが荷馬車で逃げざるをえなかったために中止となった。

ヘレン・マシューズ(Helen Matthews)、1895年。
ヘレン・マシューズ(Helen Matthews)、1895年。

 1世紀以上にわたって、女性たちはサッカーをプレーすることをたびたび妨害され、嘲笑を浴びせられ、ときには法律で禁止されてきた。サッカーを諦めて、もっと広く社会に受け入れられやすいスポーツに乗り換えるほうが女性たちにとってはずっと簡単だっただろう。だが、政治的、社会的権利獲得のためにサッカーを利用する女性たちがいる一方で、純粋にサッカーをプレーする喜びのために、粘り強く闘いつづけてきた女性たちもいた。

 そのおかげで現在、女子サッカーはこれまで十分ではなかった投資と支援を求めることが許されるようになっている。しかし、イデオロギー上ではプレーする権利獲得は成功したとはいえ、いまだに女性がサッカーをするとほかのスポーツには見られないような攻撃を受ける。インターネットには女子サッカーへの悪口雑言があふれている。

「下手すぎて見ていられない」
「ゴールキーパーが酷い」
「スピードが足りない」
「男子のチームには簡単に負けるね」
「女子サッカーはなんであんなにメディアで優遇されているんだ?」
「胸糞悪い」
「男子のアマチュアサッカーの試合のほうが観客を集めているのに、メディアが注目するのは女子サッカーだ」

 そんな悪口を言うのは一部だろうが、その声は大きい。いまに始まったことではない。1895年にデイリー・スケッチ紙はブリティッシュ・レディースFCの試合を痛烈に批判した。

「女性によるサッカーの試合は最初の2、3分だけ見れば十分だ。プレーのレベルが低すぎてお話にならない。サッカー選手にはスピード、判断力、スキルと勇気が必要だ。この4つの要素のいずれもが土曜日の試合では見られなかった。レディたちはほとんどの時間、フィールドを目的もなくふらふらとみっともなく歩き回っていただけだった」

 1世紀以上たった今日に至っても、そんな狭量な見方が主流をしめる。闘いは終わっていない。19世紀末に、世界初の女子サッカークラブを創設したネッティ・ハニーボールが挑んだ闘いと同じではないにしても、社会のなかにある女性差別が女子サッカーへの見方に反映されている。リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(性と生殖に関する健康と権利)、同一労働同一賃金、産休を取得する権利、育児支援、教育を受ける権利などは、女性にはまだ十分に与えられていない。世界には女性が車を運転することを許さない国も複数ある。そんな世界にあって女性たちは、プロ選手としてスポーツ競技を行なう権利の獲得をはじめとして、これからもまだ闘いつづけていかねばならない。それはサッカーにかぎらず、あらゆるスポーツにいえることである。

ネッティ・ハニーボール(Nettie Honeyball)、1895年頃。
ネッティ・ハニーボール(Nettie Honeyball)、1895年頃。

 サッカーアメリカ合衆国女子代表チームは近年、出場給と助成金の額を男子チームと同一にするようアメリカ合衆国サッカー連盟に要求し、ついに法廷に持ちこんだ。アメリカではサッカーにおける実績も興行収入も女子チームが男子を上回っているのに、女子チームの賃金も待遇も男子にはるかに劣る。法廷闘争にまで持ち込まれたことは、競技実績をあげれば自然に男女平等になるというのは幻想にすぎないことをはっきり示し、社会に染みこんだ女性差別がどれだけ根深いかを可視化させた。アメリカだけではない。デンマーク、コロンビア、ブラジル、スコットランド、アイルランド共和国、アルゼンチンとノルウェーでも、女子サッカー選手たちは自国のサッカー協会に公平で正当な取り分を求め、闘っていることをあきらかにしている

  • *2022年2月、アメリカ合衆国サッカー連盟は女子代表チームの主張を認め、2400万ドルの和解金支払いと、男女で賃金を平等にすることを約束し、5月に賃金と大会の賞金を男女で同一にする契約に同意した。

 2018年バロンドールを受賞したノルウェーのアーダ・ヘーゲルベルグは、授賞式のステージで、膝を曲げてお尻をふるダンス、トゥワークをするようフランス人DJに求められ、即座にNOと答えてステージをおりた。へーゲルベルグは22歳だった2017年にノルウェー代表への招集を拒否した。ノルウェー国内の試合で男女が同一の報酬を得ていないことと、若い女子選手たちへの待遇が十分でないことへの抗議からだ。サッカー界における女性差別撲滅との闘いは、2歩進んで1歩さがるほどの遅々とした歩みである。

 

【Ada Hegerberg's Ballon d'Or triumph and fight for equality in football】

 

 それでも女子サッカーのプロ化は徐々に進んで、待遇はあらゆる面で改善され、男子との格差は少しずつ埋まりつつある。男女差別についてふれると、それでは女子サッカーの質はどうなのかという声が必ずあがるが、そういう人たちに私は逆に聞きたい。今日活躍している男子のプロ選手は、アーセナル・ウィメンFCのレジェンドと称えられるアレックス・スコット選手のように、ユニフォームや用具を自分で洗濯しながら、テクニックを磨き、フィジカルを鍛え、メンタルを整えることができただろうか? もしくはイングランド女子代表ゴールキーパーのニコラ・ホッブスのように、フルタイムで消防士として働きながら、プレーを続けてこられたか? レディングFCウィメンで活躍し、代表にも選ばれたファラ・ウィリアムズのように、一時期ホームレスになってシェルターに保護されていたというような経験がある男子のトップ選手はいるか? キャリアの期間中、ほとんどかまったく医療や理学療法を受けられない女子選手がどれほど多いか。ほとんどの選手はプレーを続けるためには生活費をサッカー以外で稼がねばならないし、仕事が終わったあとに往復6時間かけてトレーニングに行くという選手も大勢いる。

 

【Alex Scott interviews Fara Williams after Sweden victory | FATV News】

 

 女子サッカーのプロ化が徐々に実現しつつある国々で、あらたに台頭してきている新世代の選手たちは、先輩たちの成長の足を引っ張ってきた重荷から少しずつ解放されている。彼女たちがピッチで最高のパフォーマンスを発揮できる環境は整いつつある。まだ道のりは遠いが、イングランドでは女子サッカー史上最高の才能ある世代が台頭してきているし、これからもっとすばらしいタレントが輩出されていくのが期待できる。今日、活躍の場が与えられている若い女性たちに、身悶えするほどの嫉妬を覚えるのは私ひとりではないだろう。だが同時に、今日少女たちがサッカーの世界に歓迎されて飛びこんでいく姿に、心底安堵し、元気づけられてもいる。少女たちのためのウェアやシューズはあたりまえのように市場にあり、プレーできる場も準備されているのだ。

Female soccer players carrying sports equipment while walking on field against sky during competition[original photo- Cavan for Adobe – stock.adobe.com]
Female soccer players carrying sports equipment while walking on field against sky during competition[original photo- Cavan for Adobe – stock.adobe.com]

 女子サッカーはいま、とてつもなくエキサイティングな時代を迎えている。クラブも協会も、国内リーグの観客動員数をいかにして引き上げるか、対策を迫られている。2019年、メキシコ、スペイン、イングランドとイタリアでは、女子サッカーの試合観客動員数が記録を塗りかえ、意志があれば道は開けることを証明した。クラブは女子チームに投資している。その動機は慈善ではないし、社会におけるジェンダーギャップを埋めるための闘いに動かされただけでもないだろう。またクラブと協会にとって、女子サッカーの潜在的市場性をいかに引き出すかということは大きな問題ではない。クラブと協会が女子サッカー競技の質の高さを認め、投資に値すると明言することだ。クラブも協会も、サッカーファンたちに提供し、投資し、売り込んでいるのがどのようなものかをもっとしっかりと示す必要がある。派手なポスターやSNSの動画を掲示することではない。私たちが必要としているのはマーケティングではなく、現状を改革するための行動である。女子サッカーという製品を人々の前に示し、その魅力を適切なやり方と場所で提示し、愛させること。それ以外に求められている行動はないだろう。

 サッカーはしばしば「ビューティフル・ゲーム」と呼ばれる。だがふつうの人々が生きている現実社会から、「ビューティフル・ゲーム」は奪われつつある。チケット価格は高騰し、選手たちへの報酬はあごが外れるほど高額になり、スポンサー契約はますます薄っぺらなものになっていき、スタジアムでの飲食は質に見合わない高価格だ。競技を主催するクラブや協会の汚職やずさんな経営も問題だ。こういったすべてが、サッカー競技をつくってきた本物のファンやコミュニティからサッカーを取り上げてしまっている。

スザンヌ・ラック著/実川元子訳『女子サッカー140年史──闘いはピッチとその外にもあり』(白水社)は、英欧米を中心に、女性解放と権利獲得に重ね、プロ化から地位向上への歴史を気鋭のサッカー記者が叙述。
スザンヌ・ラック著/実川元子訳『女子サッカー140年史──闘いはピッチとその外にもあり』(白水社)は、英欧米を中心に、女性解放と権利獲得に重ね、プロ化から地位向上への歴史を気鋭のサッカー記者が叙述。

 女子サッカーは男子サッカーをまねていくことが発展につながる、という声がある。だが私たちはそれを望んでいるだろうか? 私たちは女子サッカーをもっとよいものにすることができる。本書では、女子サッカーが興隆し、その後失墜し、そして近年また盛り上がっていく過程を描いている。その過程において、女子サッカーが女性を抑圧しようとする社会とどのように闘ってきたか、なぜ女性たちはサッカーをしたいと思っているのか、サッカーをすることでどんな世界が開けてきたか、いま女性たちがどんな立ち位置にいるのかを描くつもりだ。

 これは女性たちがつくってきた女子スポーツ競技の歴史の話である。だが核に置いているのは、よりよい競技にするための提言である。

【スザンヌ・ラック『女子サッカー140年史──闘いはピッチとその外にもあり』所収「まえがき」より】

 


【Women's Euro 2022: who are the favourites and what are England's chances?】

 

スザンヌ・ラック『女子サッカー140年史──闘いはピッチとその外にもあり』目次
スザンヌ・ラック『女子サッカー140年史──闘いはピッチとその外にもあり』目次

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