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ハンナ・アーレントとウクライナ戦争 重田園江さん(明治大学教授)

記事:白水社

「ポスト・トゥルース」、そして全体主義の時代の基底へ! 重田園江著『真理の語り手 アーレントとウクライナ戦争』(白水社刊)は、ハンナ・アーレントを新たに読みなおし、権威主義では括れない全体主義の全貌を描きだす。
「ポスト・トゥルース」、そして全体主義の時代の基底へ! 重田園江著『真理の語り手 アーレントとウクライナ戦争』(白水社刊)は、ハンナ・アーレントを新たに読みなおし、権威主義では括れない全体主義の全貌を描きだす。

2人のディアスポラ、アーレントとロズニツァ

 ハンナ・アーレントHannah Arendt(1906~1975)は、とても人気のある思想家だ。女性の政治思想家ではいまのところ空前絶後の人物で、その魅力は色褪せるどころではない。死後に名声が高まった典型のような人である。

ハンナ・アーレント、1958年。[original photo- Barbara Niggl Radloff – CC BY-SA 4.0]
ハンナ・アーレント、1958年。[original photo- Barbara Niggl Radloff – CC BY-SA 4.0]

 アーレントはドイツ系ユダヤ人として、ハノーファー近くのリンデン地区に生まれた。市街中心地からマシュ湖を挟んだ西側に当たる。ユダヤ系の家庭で教育を受け、マールブルク大学でハイデガーと出会った。その後フッサール、ヤスパースに師事し、博士論文はヤスパースの下で書かれた『アウグスティヌスにおける愛の概念』(1929)であった。

 ナチスが政権をとった1933年にはフランスに亡命を余儀なくされる。時代の要請から彼女は政治活動の最前線にも加わっており、哲学と政治が交錯する場所で思索を重ねるようになった。さらにフランスがナチスに支配されるに至り、アメリカへと逃れた。

 このとき一度はフランスのヴィシー政権下で捕虜収容所に入れられたが、混乱に乗じて抜け出し、非常な困難の末、フランスからスペイン、そしてポルトガルへと逃れ、1941年にニューヨークにたどり着いた。フランスからスペインへの越境はとりわけ難しく、数カ月遅ければ不可能だったとされる。

 アーレントはドイツ時代から、全体主義と反ユダヤ主義についての資料を集めており、それらをもとにした『全体主義の起源』(1951)は、この分野でいまも越えることが難しい記念碑的作品である。他にも『人間の条件』(1958)などで知られ、アイヒマン裁判のレポートである『エルサレムのアイヒマン』(1963)は、ナチスの捉え方とユダヤ人の役割、またシオニズムの評価をめぐって大きな論争を巻き起こした。

 

【VITA ACTIVA: THE SPIRIT OF HANNAH ARENDT official US trailer】

 

 

 このように、激動の時代のただ中で思索を重ねたアーレントを、私自身は20世紀の苦悩を体現する思想家だと考えてきた。「政治的なもの」をめぐる彼女の構想は復古的に見え、「社会的なもの」擁護派としては物足りなく思っていた。たしかに、全体主義と政治の暴力というのは冷戦期までにはよく当てはまるテーマだ。だが、21世紀の幕開けとともにやってきた「対テロ戦争の時代」には、大仰な国家装置を前提とする彼女の議論はどこか古風に感じられた。

 また、監視社会の変貌という、昨今よく取り上げられる主題も、アーレントが対峙した時代と現代との違いを示しているように思えた。オーウェルの『1984』や『動物農場』の世界のような、あからさまな支配者による抑圧の時代から、誰が誰を監視しているか分からない相互監視のネットワーク社会へ。「アーキテクチャ」あるいは環境管理型権力といった見えにくい権力についての議論は、21世紀に入るころから非常に盛んになった。これに対してアーレントの全体主義論は、ナチスというあからさますぎる悪の権化を、それがなぜ、どのように悪なのか真正面から扱った歴史的偉業であると理解していた。

 

【Hannah Arendt (1964) - What Remains? (Full Interview with Günter Gaus)】

 

 ところが、である。2022年2月24日、ロシアが突如としてウクライナに侵攻し、第二次大戦後では最も大規模な地上戦へと発展する、ロシア=ウクライナ戦争が勃発した。平和ボケ日本の一員であった私は、2014年以来ドンバスでつづいてきた、内戦に見せかけた戦争を知らなかった。また、クリミア併合がなぜあんなにも短期間で可能だったのか、その背景にある軍事力の利用と非軍事的な世論工作、だまし討ちのような政治的合意取りつけの手法にも、まるで無知だった。

 

【Donbass (2018) | Trailer | Sergei Loznitsa】

 

 だが、今回の戦争を機にふり返ってみると、戦争以前からロシアによって行われていたさまざまな軍事的・非軍事的な実践には、アーレントの枠組みを用いることで説得的に理解できる事柄が多いことに気づいた。さらにそれは、ロシアのみならず、「大国」とされるアメリカや中国のふるまいにも通じる要素を含んでいる。とりわけ彼女が「嘘」と「真理」について語った事柄のなかに、いまこそそこから思考をはじめるべき豊かなヒントが隠されていることに気づいた。

 逆にいうと、私はこれまでハンナ・アーレントという思想家をどのように読んだらいいか分からないままだった。切れ味鋭い考察がそこここに散りばめられていることはたしかなのだが、書き方がエッセイ風でどこをどう受け止めたらいいか難しい。今回はじめて、アーレントを「リアリティを持って」読むとはどういうことかが分かった気がする。

重田園江『真理の語り手 アーレントとウクライナ戦争』(白水社)
重田園江『真理の語り手 アーレントとウクライナ戦争』(白水社)

 このあとにつづく本文でも指摘しているとおり、アーレントがリアルに受け止められる時代というのは、あまりいい時代ではない。彼女は、危機の時代、暗い時代、悲劇の時代の思想家である。まさにその渦中に生まれ、若い時代を過ごしたことが、彼女の思想の核の部分を形づくっている。現在私たちは残念ながら、彼女が描いたあの暗い20世紀、とりわけその戦争の影を反復するような時代に生きている。

 そう考えると、21世紀に入って流行したアーキテクチャもハイブリッド戦争も、アーレントの思想の重厚さに比べれば、時代によって消費されていく一過性の言説に見えてくる。一方、アーレントやオーウェルが「過去の遺物」でなくなる時代に生きているというのは、かなり深刻によくないことだ。少し前には隠され偽装されていた権力は、だんだんとむき出しになってきている。というより、あえて隠すことなく暴力と残虐を誇示することで、人々が萎縮することを狙っている。現在では、真理を告げる者はろくな目に遭わないと威嚇や暴力で示すこと、どんな荒唐無稽な嘘も1つの意見として尊重されるべしという理屈を振りかざすこと、真理を追求する気力自体を削いでニヒリズムを蔓延させること、こうしたふるまいがまかりとおるようになっている。これはアーレントの時代そのものではないか。

 

セルゲイ・ロズニツァ、2014年。[original photo- Andriy Makukha – CC BY-SA 3.0]
セルゲイ・ロズニツァ、2014年。[original photo- Andriy Makukha – CC BY-SA 3.0]

 アーレントと並んで、本書を書きたいという衝動をもたらしたのが、ウクライナの映画監督セルゲイ・ロズニツァ(1964~)である。本書第Ⅱ部では、ロズニツァをアーレントがいう「真理を語る者」として位置づけ、その映画作品について論じている。ロズニツァについて語ろうとするなかで、自然とウクライナの暗い歴史に分け入ることを余儀なくされた。とりわけスターリン時代のウクライナは、他の東欧諸国同様、最悪の経験をしている。これらの国々は、ヒトラーとスターリンの両方から攻められその餌食となり、信じられないほどの人命が失われた。本書では、第二次大戦時にキーウで起こったバビ・ヤールの虐殺を中心に、これらの地域の歴史に多くの紙幅を割いている。

 

【BABI YAR. CONTEXTE de Sergei Loznitsa | Bande annonce officielle】

 

 歴史に入り込めば入り込むほど、スターリン時代のソ連を「全体主義」として捉えたアーレントの鋭さが、身にしみて分かるようになる。さらに、スターリニズムとナチズムを、同時代の2つの全体主義とし、しかもそれがソ連では戦後にそのまま継承されたという彼女の歴史像は、ロズニツァによるウクライナからの歴史理解と共通している。何より2人の作品からは、前世紀の遺物だったはずの全体主義が、ロシアでは現在に至るまでつづいているということを何度も思い知らされる。これはひどく衝撃的で恐ろしいことだ。だが、ロシアに関して現在報道されている事実を考え合わせると、そこに跋扈する「ソ連の亡霊」、とりわけ秘密警察の暗躍が、世界への差し迫った脅威だと思わざるをえないのだ。

 ヒトラーの時代のドイツユダヤ人として逃亡を余儀なくされ、「ディアスポラ」として生きざるをえなかったアーレント。ベラルーシ生まれでロシア語話者のウクライナ人として、ロシア、ウクライナ、ドイツ、東欧諸国に残る公的・私的な記録映像を片っ端から集め、それらをドキュメンタリー作品として完成するなかで、歴史認識を深めたロズニツァ。

 彼らがいかなる歴史に触れ、どんな見方に至ったのか、読む者、観る者にどんな問いを突きつけてくるのかは、本文で明らかになるだろう。そしてまた、映像作家ロズニツァの作品自体、アーレントが「事実の真理」と呼んだ次元での真理を告げる者の役割と、それがどんなふうに表現されるかの、1つの顕著な例となっている。

 

【重田園江著『真理の語り手 アーレントとウクライナ戦争』所収「序章 アーレント、ふたたび」より】

 

重田園江著『真理の語り手 アーレントとウクライナ戦争』目次
重田園江著『真理の語り手 アーレントとウクライナ戦争』目次

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