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多死社会へ向かう日本で新たな看取り文化をつくれるか! その人らしい死に導く寄り添い人「看取りのドゥーラ」の役割とは?

記事:明石書店

『看取りのドゥーラ―最期の命を生きるための寄り添い人』(明石書店)
『看取りのドゥーラ―最期の命を生きるための寄り添い人』(明石書店)

看取りのドゥーラとは

 看取りのドゥーラとは死を覚悟した本人やその家族に対する地域住民による臨死期のボランティアのことで、個人や家族が、死を恐れることなくより豊かに意図的なやり方で死の体験に備え、乗り越えるための導き手のことです。2003年に著者ヘンリー・フェルスコ=ワイス氏がその養成プログラムを構築し、最初の17人のドゥーラがニューヨークで活動を開始したのは2004年のことでした。同じ役割を担う人材は看取りの場での欠けたピースだったため、その需要と供給はアメリカ全土からカナダ、イギリスへと普及していきました。その後、2015年には、ヘンリー氏やその仲間によって国際看取りのドゥーラ協会(以下INELDA)が設立され現在に至っています。

 本書の初版Caring for the Dying: The Doula Approach to a Meaningful Deathは、英語圏の国々で出版されただけではなく、ドイツ、イタリア、シンガポールでも翻訳出版されています。私は、看取り文化の研究をしていた時にこの本と出会い、医療や介護の専門職ではない地域住民が臨死期の隣人に付き添うことが理解できず、著者へのインタビュー調査のためにニューヨークを訪問しました。その際、邦訳出版の提案を受け、翌年、コロナ禍の中で加筆出版された第2版であるFinding Peace at the End of Life: A Death Doula's Guide for Families and Caregivers(2020)を出版したものが『看取りのドゥーラ』です。

 プログラムの構築にヒントを与えたのは、その有効性が検証されてきた出産のドゥーラプログラムですが、これと看取りのドゥーラのプログラムとの最も異なる点は、看取り期の最期には、24時間体制の「寝ずの番」が必要となることでした。そのため地域の看取りのドゥーラたちは、互いにシフトを組んでこれに対応しなければなりません。複数のドゥーラが活動をしている地域のことを、ドゥーラ・コミュニティと呼ぶそうですが 、ドウーラ・コミュニティに居宅があるかどうかで、在宅死のホスピスの可能性が大きく異なることが分かりました。

 宗教も人種も年齢も関係なく、人は死を前にすると自らの人生の意義や死後の世界への恐怖といったスピリチュアル・ペインに苛まれるといわれています。ところが死に逝く本人もその介護家族も目の前の死に圧倒されてしまい、死をコントロールすることは、よほど皆が死を受容していない限り困難をきたします。このスピリチュアル・ペインを乗り越え、死をコントロールする力を取り戻すことこそが、自分らしく逝くための、そしてその人らしく看取るための方法なのですが、医療や介護の知識や技術は意外なほど要りません。看取りのドゥーラは、そのために必要な方法や知識と精神を、数日のプログラムを受講して学び、死に逝く人とその介護家族の「人間の杖」となるのです。ではどのように、そしてなぜそのようなことが可能なのかといった疑問に、この一冊は豊富な事例と丁寧な言葉で答えてくれます。たとえ、看取りのドゥーラになるつもりはなくても、この一冊から得られた知識で、異なる死への扉を開く者となることは可能なのです。

自分らしく死ねることは人権

 アメリカでは病院や医療技術の発展に伴い、日本よりも早く死や死につつあることが高度に医療化しました。その結果、人は人生の意義を探ろうとする内なる衝動に無関心となり、技術と医療の発展による延命処置は、命の質を劇的に低下させ、死を迎える人とその家族の苦痛は増してしまったとヘンリー氏は書いています。家族から見た、過酷で孤独な病院死の事例から本書ははじまります。近年の日本でも、病院死における課題が浮き彫りとなり、在宅死を望む国民が約2人に1人いることも明らかになって、在宅での死を望む者が増加しています。これを病院完結型社会から地域完結型社会への転換と言いますが、一般的には少しわかりにくいかもしれません。人生の最期を、病院環境の中で患者として迎える社会から、自宅や地域の居宅でよりその人らしく迎える社会への変化という意味です。

 しかし患者としての死を拒否し、在宅ホスピスを選択したとすると、家族の負担は時間的、心理的に別の意味で増大します。介護疲れの家族がほんの少し目を離したすきに死を迎え、愛する人の最期に立ち会えなかったという後悔が、残された看取り家族を責めさいなむことも起こるのです。同様の後悔のもとで、在宅ホスピスの父親を失ったヘンリー氏は、これを避けるために大きく3つの段階からなるドゥーラ・アプローチを構築しました。

 最初の段階は死を迎える人が自らの人生を振り返り、それを何らかのレガシーとして具現化することを支援します。本やメッセージボックス、巻物やビデオテープなど形は様々ですが、遺された人々はこのレガシーを媒介として、死者とのつながりを再構築することができるのです。第2段階は最期の寝ずの番の時をどのように過ごしたいかを本人や家族と話し合い、それを立案しておくことです。視覚的、聴覚的に、あるいは嗅覚や触覚において、本人が望む環境を聞き取り、寝ずの番でそれを看取りのドゥーラが実現するのです。これら振り返りと立案の過程において最も重要なことは、人は人生最期の時間をその人らしさを尊重された方法で迎える権利があるという想いを皆で共有することです。最後の段階は本人に死が訪れた直後から試みられるもので、葬儀社を呼ぶ前に、臨床に集っていた人々と遺体を囲み、あらかじめ決めておいた別れの短い儀式を行うことです。儀式は、喪失という混乱の中に何らかの秩序をもたらし、死の現実と人生のプロセスにおける死の位置づけを、悲嘆の渦中にある遺された人々が受け入れることを助けてくれます。葬儀が終わり、落ち着いた頃に、看取りのドゥーラは再び遺された家族を訪れ、看取りを追体験させて悲嘆処理の作業を行うのですが、なぜ悲嘆処理の導き手にカウンセラーでもない看取りのドゥーラがなれるのかというと、看取りのドゥーラも、その死を家族と共に体験した者だからなのです。

多死社会の到来と看取り新時代の幕開け

 1976年から77年にかけて、日本でも病院での死が在宅死の数を上回るようになりました。姑から嫁への看取り文化の継承も途絶え、家族の死はアメリカ同様に、医療化、病院化の波に飲まれていきました。ところが、超高齢化社会がもたらす多死社会の到来予測は、近い将来の病院では死ねない死に場所難民問題を認識させるようになったのです。先述したように、日本人の死に場所は、病院から自宅へと再び戻りつつあるのです。この病院完結型社会から地域完結型社会へのシフトは、医療や介護費用の抑制もあって、法的な根拠のある政策的誘導ですが、もちろん、家族介護の一部を社会化してくれた介護保険や在宅療養の受け皿である地域包括ケアシステムを使い倒せば、在宅看取り時に、良い在宅医や訪問看護師、訪問介護士の方々に出合うことは可能です。しかしこうした専門職の職能やサービスには、在宅死をその人らしい死に導くスピリチュアル・ペインへのケアは本来含まれていません。日本でも、医学や看護学の教育現場では、近年エンド・オブ・ライフケアへの取り組みが始まってはいますが、患者本人のスピリチュアルケアや遺族のグリーフ・ケアにまで射程距離が拡大しているわけではないのです。特に日本の看取りにも、残念なことに自分らしく逝きたいという願いをかなえてくれるスピリチュアルケアの導き手が絶望的に欠落しています。

 家族員数か約2.4人にまで減少している日本において、隣人が担う看取りのドゥーラは日本にとっても必須の、そして最後の看取りを担うピースなのだと確信します。各家の女性たちが閉鎖的に継承していた私的ルートの看取り文化を再生するのではなく、地域レベルで社会的に代替者の望める看取り文化の構築とその社会的継承が、今こそ日本には望まれているのです。

「前世は日本人だった」と述べる著者からのメッセージ 

 ヘンリー氏にニューヨークでインタビューをしたのはコロナ禍前の2019年9月のことでした。突然の訪問を受け入れてくれただけではなく、初対面の場で『看取りのドゥーラ』の日本語版の出版を提案され、驚くとともに、その意図を会話から探らせていただきました。ヘンリー氏がアメリカの禅寺で修行をしていたこと、日本の文化・芸術に造詣が深いこと、日本人の精神性に強く憧憬の念を寄せていることなどが痛いほど伝わってきました。看取りのドゥーラプログラムが、遺体をケアすることで残されたものが死を受容する日本の「おくりびと」の役割や別れを惜しむ通夜の儀礼などから多くの示唆を受けたことも分かりました。『看取りのドゥーラ』の出版に際して書き送ってくれた読者への手紙には、「前世は日本人だったと感じる」とまで記してあり、多死社会に備えなければならない現在の日本に、この本が届けられることの意義が綴られていました。

 日本人として著者への感謝の気持ちを抱き、何とかその想いを形にしてヘンリー氏に届けたいと監訳作業の途上で考えるようになりました。

 ヘンリー氏は20代の頃から長年英語版の『奥の細道』を愛読していて、その挿絵を当時お書きになった画家が故早川幾忠氏でした。ご子息である早川聞多氏のご厚意を得て、今回、本書の表紙、裏表紙には早川幾忠氏が生前描かれた花の絵の一部を使用することができました。

 インタビューの最後に、私は看取りのドゥーラになりたいと思う人が日本にいるものなのかという大変失礼な質問をしました。医療や介護の専門職でもないごく普通の隣人が、看取りのドゥーラに関心を示すことは困難で、プログラムが日本に導入されたとしても、それを誰も受講してくれないのではないかと感じていたからです。ヘンリー氏は、同様の質問に慣れている様子で、次のように答えてくれました。「看取りのドゥーラの精神性やその意義を理解してくれる人の中には、直感でこれこそ自分の天職だと思ってくれる人が、少なからずいてくれますよ。だからこそプログラムが導入されている国々では、ドゥーラが増え続けているのです」

 長く、隣人の死は、私たちにとってやはり他人事でした。しかし政策的にその死の多くが今後の日本では、地域に還ってくるのです。新たな看取り文化を私たちは必要としており、それを支え継承するための人間の杖となる最初の一歩に、この本は確実に読者を導いてくれるのです。死は全ての人に訪れる公平な運命ですが、私たちはそれを試すことはできません。いつかは来る自分や愛する者たちの死を律し、より良くそれに備えるために、今、この本を必要としない多くの人たちにも、いつか読むだろう日のために、是非身近に置いてほしい一冊なのです。

参考文献
Hayashi.M & Nagata. S.
 2021 Using Local Resident Volunteers in End-of-Life Care in Death at Home: Survey Report on the End-of- Life Doula. Bulletin of Japan Health Care College No.7, 33-44.
林美枝子
 2021 「死の考現学と看取りのドゥーラ」吉川直人、萩原真由美編著『デスカフェ・ガイド』クオリティケア. 126-130.

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