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翻訳家は本のタイトルに不満がいっぱい?――『ひとりだから楽しい仕事 日本と韓国、ふたつの言語を生きる翻訳家の生活』

記事:平凡社

Photo by freestocks on Unsplash
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タイトルを変える

 翻訳書はたいてい原書のタイトルのまま出版されるが、たまにまったく違うものに変更されることがある。「翻訳家が題名をこんなふうに訳した理由が理解できない」という書評を見かけることもあるけれど、タイトルは100%出版社によって決められるのです。

 正直言って、私も内心「どうしてこんなタイトルにしたんだろう」とぼやきたくなるときがある。でも、タイトルの決定に翻訳家の意見が反映されることはほとんどない。翻訳家が「イマイチだと思います」なんて言っても、1グラムの重みもない。

 出版社ではマーケティング部の意見が最も強いという。ボランティアではなく、売るために本を作っているのだから当然だ。タイトルを見て腰を抜かすこともあるけれど、著者と日本の出版社の許諾を受けて変更しているのだから、翻訳家が気に入っていなくても何の問題もない。

 今まで翻訳した本の中で最も衝撃的だったのは、『ラブコメ』という原題が『バナナで釘を打つほど寂しい!』に変わったとき。一体……どういう意図でこんなタイトルにしたのかわからない。本棚に並べておくのも恥ずかしかった。

 2020年、小川糸さんの『洋食 小川』が韓国でも出版された。小川糸さんが公式サイトにアップした文章をまとめた、ほのぼのエッセイ集だ。ところが届いた校正紙を見ると、タイトルが『人生はしゃぶしゃぶ』になっていた。幽霊でも見たかのように驚いた。

 前述のように、私の意見はたいして反映されないが、それでも突進してくる車を全身で止めるような気持ちで「このタイトルはないと思います! 原題のほうがずっといいです!」と叫んだ。しかし、編集部とマーケティング部の協議のうえで決まったタイトルだということで、そのまま進められた。いくら何でもひどい、と思ったが、私がでしゃばる問題ではない。どんなタイトルになっても、私には金銭的な損失もなければ、利益もないし(買い切りだから)。

 ところが、出版間近だったはずの本がいつまで経っても発行されない。どうやら小川糸さんも私と同じく、タイトルに驚いて承諾をしなかったらしい。

 かつて小川糸さんの『リボン』という小説が『バナナ色の幸せ』となって出版されたことがある。完成した本が届いたとき、自分が訳した作品であることに気づかなかった。韓国版タイトルをそのとき初めて知ったのだ。あぁ、バナナが入ったタイトルがトラウマになりそう……。当時も仰天したが、これを承諾したということは、小川糸さんはタイトルの変更をあまり気にしないタイプなんだな、と思った。そんな彼女もさすがに『人生はしゃぶしゃぶ』は受け入れられなかったようだ。表紙のデザインも完成していたが、タイトル変更の許可が下りず、出版が遅れていたというわけである。出版社から意見を聞かれ、原題のままでいこうと再び話した。最終的に、原題『洋食 小川』に決定した。

 『洋食 小川』の刊行後、ちょうど他の出版社からも私が翻訳した小川糸さんのエッセイ集が出た。原題は『針と糸』。校正紙を見ると、『人生は不確かなことばかりだから』というタイトルに変わっていた。原題よりずっといい気がした。でも、小川糸さんに気に入ってもらえなかったら、また表紙のデザイン作業をやり直すことになる。編集者に『洋食 小川』の事例を話し、まずはタイトル変更の許諾をもらったほうがいいと勧めた。幸い、このタイトルはすぐに承諾してもらえたそうだ。

『ひとりだから楽しい仕事 日本と韓国、ふたつの言語を生きる翻訳家の生活』(クォン・ナミ著/藤田麗子訳、平凡社)。右は韓国語版(마음산책〔マウムサンチェク〕刊、2021年)。
『ひとりだから楽しい仕事 日本と韓国、ふたつの言語を生きる翻訳家の生活』(クォン・ナミ著/藤田麗子訳、平凡社)。右は韓国語版(마음산책〔マウムサンチェク〕刊、2021年)。

 タイトル変更の話をしたついでに、懐かしのサイワールド〔cyworld。韓国で1999年に開設され、2000年代に大流行した実名制のSNS〕の時代までさかのぼってみよう。ネットサーフィンをしていて、女優チェ・ガンヒさんのサイワールドにたどりついたことがある。本をたくさん読むという彼女のページには読書掲示板があったので、私が翻訳した本も入っているかなとリストに目を通した。

 あった。鎌田敏夫の『恋愛中毒』という小説を読んだという投稿が。映画『シングルス』〔鎌田敏夫脚本のドラマ『29歳のクリスマス』をリメイクした2003年公開の韓国映画〕の原作だという紹介に続いて、感銘を受けたという内容の短い感想が書かれていた。ところが、コメント欄にはタイトルに関する意見が入り乱れている。

A:あれ? 『29歳のクリスマス』ですよね。タイトルが間違ってますよ。
B:私も『恋愛中毒』を読みましたが、この本ではないみたいです。
C:正しくは、『29歳のクリスマス』です。
D:『恋愛中毒』は山本文緒のベストセラー小説ですよね?
E:映画『シングルス』の原作は、『29歳のクリスマス』ですが……。

 A、B、C、Dまでは2005年のコメント。Eはそれから2年が経った2007年のコメント。私がこの投稿を見たのは、2008年だった。時を越えて、芸能人のサイワールドでコメント合戦が続いているなんて。実名が表示されるサイワールドにコメントをするのはややためらいがあったが、かなり昔の投稿だし、見る人もいないだろうと思って正解を書き込んだ。

原題は『29歳のクリスマス』ですが、韓国で初めて翻訳出版されたときは『恋愛中毒』というタイトルでした。映画『シングルス』の公開後、原題の『29歳のクリスマス』にタイトルが変わって、再び出版されました。

 コメントをしたことすら忘れていたある日、サイワールドのコメント通知が届いた。「ん? 何も投稿していないのに何かな?」とクリックすると、なんとチェ・ガンヒさんからの返信ではないか。

そうなんですですです。私は『恋愛中毒』を読んだのです。ありがとう。

 コメントを書き込んでから4年が過ぎた頃だった。さすが、律儀なチェ・ガンヒさん。

 変更されたタイトルを見て、初めて腹が立ったのがこの『恋愛中毒』だ。29歳の頃、ちょうど東京に住んでいた私は、『29歳のクリスマス』を毎週欠かさずに観ていた。大好きだったドラマのノベライズ本を翻訳できることになってものすごくうれしかったのに、『恋愛中毒』という的外れなタイトルで出版されて、どんなに悲しかったか。ほぼ同時期に出版された山本文緒のベストセラー小説『恋愛中毒』に埋もれて目立たなくなってしまったし、なぜ『29歳のクリスマス』という原題を使わなかったのか、まったく理解できなかった。“クリスマス”という言葉を使うと、季節が限定されるからだろうか。

 タイトルは、本の売り上げに絶対的な影響を及ぼす。だから編集部とマーケティング部が熟考したうえで決定される。翻訳をする私より、読者やマーケットに近い方々の考えが正しいはずだ。ときには読みが外れることもあるけれど。

 よっぽどのことがないかぎり、なるべくなら原題のままがいいと思う。

『ひとりだから楽しい仕事 日本と韓国、ふたつの言語を生きる翻訳家の生活』目次

プロローグ おばあちゃんになっても翻訳を続けたい
日本との縁
第1章 今日は仕事をがんばるつもりだったのに
第2章 銭湯の娘だった翻訳家
第3章 著者になってみると
第4章 ごくろうさま、あなたも私も
エピローグ 再び二人で 
訳者あとがき

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