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『82年生まれ、キム・ジヨン』が待望の文庫化 「これは、わたしの物語だ」

記事:筑摩書房

『82年生まれ、キム・ジヨン』が待望の文庫化。新たな著者メッセージと訳者あとがき、評論を増補。
『82年生まれ、キム・ジヨン』が待望の文庫化。新たな著者メッセージと訳者あとがき、評論を増補。

2017年韓国、フェミニズムの高まりのなか、小説が啓蒙的な役割を果たす

 一冊の小説が口コミでじわじわと支持を広げ、無視できない売上げを見せている。しかもそのテーマが、フェミニズムなんだ。

 そんな話を耳にしたのが、2017年初夏だったでしょうか。韓国では朴槿恵(パク・クネ)大統領の弾劾を受けて新政権が発足し、対立を含みながらも社会全体が刷新の空気の中にありました。一度動きが始まると非常に変化が早いのが韓国社会です。フェミニズムの高まりの中で、小説が啓蒙的な役割を果たすとは、日本ではあまり想像できることではなく、これは紹介する意義があると思いました。

周到な計算で設計されている『キム・ジヨン』

 でも『82年生まれ、キム・ジヨン』を初めて読んだときは驚きました。淡々とした文体、物語の展開もフラット、主人公の個性もはっきりしません。なのに、不思議な吸引力がある。実はそのとき私は、本書がいかに周到な計算で設計されていたかを理解していませんでした。解説を書いてくださった伊東順子さんが教えてくれるまで、夫以外の男性の名前がないことにも気づきませんでした。私こそ、チョ・ナムジュさんの戦略にまんまと引っかかっていたことになります。

 刊行にあたってはやや懸念を抱いていました。これも伊東順子さんが解説でみごとにまとめてくださいましたが、徴兵制が存在する韓国では1999年以来、男性が女性に対して抱く不公平感が募っています。さらに、父系主義の強い韓国では(特に昔は)後継ぎの男児を望む傾向が日本以上に強く、そのことは物語にも色濃く現れていました。こんなに事情が違うのに、韓国のフェミニズム本がそのまま受け入れられるのか、または「韓国ってこんなに遅れてるの」という見当違いの感想を引き出さないか、という疑問もありました。

 それは全くの杞憂でした。今思えば私は、この作品の底力も、日本の若い女性たちが抱えている表からは見えない辛さも、まったくわかっていなかったのだと思います。

 2018年12月8日に本書が発売されると同時にすさまじい反響があり、刊行後4日で3刷りという予想外の結果を迎えました。そのことはただちに韓国でも報道されました。そして日本のSNS上には、「読んだ!」というつぶやきや叫びが続々と湧いてきました。「わかりすぎてつらい」「自分が傷ついていたことに初めて気づいた」「みんなの物語だ」、そして何より「涙が出た」という女性読者からの声。そして男性からは「今からでも謝りたい」「男にこそ読んでほしい」といった感想が。

2018年、日本版『キム・ジヨン』登場

 潮目が変わるという言葉がありますが、2018年の日本は、フェミニズムをめぐって潮目が変わりつつあるところだったのだと思います。同年5月には財務省事務次官のセクハラ発言による辞任事件があり、7月には、東京医大の不正入試事件が明るみに出ました。それより前から伊藤詩織さんの裁判やSNSでの「保育園落ちた日本死ね! ! !」発言などが話題になっていましたが、ここに来て何かがぐっと可視化されたようでした。

 本書が書店に並んだ12月10日には、順天堂大学の不正入試事件に関する記者会見が開かれました。そこでは「女性受験生らの得点を操作したのは、男子に比べて女子の方がコミュニケーション能力が高いためである」という旨の説明がなされたのです。「えーっ」という衝撃、怒り、脱力が広がり、そこへ『キム・ジヨン』はすーっと浸透していきました。

 思えば日本では、韓国に先駆けてフェミニズムの研究やある程度の制度化が進んだものの、意識改革はずっと上げ止まりだったのではないでしょうか。そこへ韓国が追い上げてきて、2018年を境に、日韓のジェンダー・ギャップ指数は入れ替わりました。日本版『キム・ジヨン』はそんな動きのただ中に登場しました。

『キム・ジヨン』の熱心な読者に、読書会や講演の場で何度も会いました。「今まで、うまくいかないのは自分の性格や努力不足のせいだと思ってきたけれど、この本を読んで、社会の方に原因があったんだとわかり、自分を認めてやれるようになりました」と涙ぐんで話してくれる方もいました。

 そして現在、『82年生まれ、キム・ジヨン』は韓国では136万部、世界32の国と地域(30言語)で翻訳出版されています。日本では4年間で23万部以上を記録し、フェミニズムへの関心の裾野を広げると同時に、それまでにも高まっていた韓国文学への興味をさらに押し上げました。チョ・ナムジュさんは二度来日して読者と交流し、2019年には映画も公開(日本では2020年公開)され、小説とは違い希望の見えるエンディングが話題になりました。

『82年生まれ、キム・ジヨン』(ちくま文庫)書影
『82年生まれ、キム・ジヨン』(ちくま文庫)書影

 今回の文庫化にあたっては、韓国で100万部突破に際して刊行された記念特別版に収められていた作家のウンユさんの文章と、文庫化にあたってのチョ・ナムジュさんのメッセージを新たに収録しました。また、訳文の見直しも行いました。

 そもそも韓国でも、本書がこれほど読まれるとは、著者も編集者も予想していなかったそうです。にもかかわらず支持を集めたのは、やはりキム・ジヨンという主人公のおかげだと思います。

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