韓国で130万部を超える大ヒットとなり、世界25か国で翻訳され、日本でもベストセラーになった『82年生まれ、キム・ジヨン』(筑摩書房)。この小説について女同士で話していると「読んでよかった…けど、しんどい」という言葉が出てくる。これはオタクが言う「推しが尊すぎて、しんどい」ではなく「あるあるすぎて、しんどい」という意味だ。
76年、神戸生まれのアルテイシアも「これって私の話だっけ??」と脳がバグるぐらい、この小説にはリアルな女の苦しみや絶望が詰まっている。「リアル過ぎて吐いた」と語る友人もいる。
「ただでさえ現実がしんどいのに、これ以上しんどくなるのは無理」と小説を読まない友人もいる。そんな彼女らにぜひ映画版をお勧めしたいところだが、映画版も大概しんどい。
キム・ジヨンに共感するヘルジャパン
映画版「82年生まれ、キム・ジヨン」の公式HPには、以下の文章が載っている。
「女性としての生きづらさを初めて知る少女時代、必死に勉強して入った大学から就職への壁。結婚・出産で会社を辞め、社会から切り離されていくような気持ちを抱える日々、そして再就職への困難な道――」
「わかる!それな!」と膝パーカッションが止まらない女性は多いだろう(※膝パーカッション/共感して膝を打ち鳴らす、という意味)。
ジェンダーギャップ指数121位のヘルジャパンも、男尊女卑がお家芸の国である。「女は子どもを産むから」と進学や就職で差別され、産休育休を取ってもベビーカーで出歩いても迷惑がられる社会で、「じゃあ子どもを産まない」と女が選択すると「けしからん、ワガママだ」「だから少子化が進むんだ」と責められる。職場では「女には期待しない」「がんばっても無駄だ」と頭を押さえつけられ、がんばらないと「やっぱり女は仕事ができない」とナメられる。
そんな中、決死の思いで出産すると保育園に入れるのはむっさハード、保育園に入れても働きながら子育てするのはげっさハード、ワンオペ育児で死にそうDEATH!! みたいな地獄に生きる女たちが、キム・ジヨンに共感して嘔吐するのは無理もない。
声を上げることで、未来は変えられる
原作も映画もリアルだが、両者には違いもある。特に映画版のラストの描き方には、賛否両論があるようだ。
映画の公式HPのコメントページには、60名以上の女性著名人が寄稿していて、私もその一員に加えてもらった。私が寄稿したコメントは以下である。
『「ママ虫」と言われた時のジヨンの反応が、映画と原作では違う。その違いがラストの希望につながるのかもしれない。怒りじゃ何も変わらない、なんて嘘。それを今、韓国の女性たちが証明している』
原作は最後の最後に小どんでん返しがあって、その救いのなさがリアルだった。「この世界は地獄だ…」と進撃のアルミン顔になった読者は多いだろう。だがそんな絶望的な小説がベストセラーになり、社会現象を巻き起こしたという現実に希望を感じる。
一方、映画版「82年生まれ、キム・ジヨン」は、なぜラストに希望を描いたのか? 「後味悪い映画はヒットしないよね」的な理由かもしれないが、私はそれだけじゃないと思っている。そこには「怒りの声を上げることで、未来は変えられる」というメッセージが込められているんじゃないか。
原作のジヨンは「ママ虫」と言われた時も怒りを飲みこみ、精神を病んでいく。一方、映画のジヨンはその場で怒りを表明する。抑圧されてきた彼女が怒りを爆発させたことで、自分自身を救ったんじゃないか。
私も性差別や性暴力にバチバチに怒っていて、それがコラムを書く原動力になっている。「怒りじゃ何も変わらない」「怒ってばかりで疲れませんか?」的なクソリプも来るが、どっこい元気に生きている。むしろ怒りを言葉にして表明することで、私は俄然生きやすくなった。
なぜなら人は「苦しいけど、なぜ苦しいのかわからない」という状態が、一番苦しいから。自分の苦しみと向き合い、その根底にある怒りを解放することで、人は楽になれるのだ。また、コラムを読んだ女性たちから「自分も怒っていいんだと気づいて、楽になった」と感想をいただき、ますます元気玉をチャージしている。
振り返ると、会社員として働いていた20代が一番苦しかった。「セクハラを笑顔でかわすのが賢い女」と刷り込まれ、感情を押し殺して、自尊心を削られていった。不眠や過食嘔吐に苦しんだ当時のことを「終わらない悪夢を見ているようだったよ…」と進撃のユミル顔で振り返る我である。
もう、この流れは止まらない
自分の感情に蓋をすると、マグマのように溜まっていき、やがて崩壊してしまう。「だからみんな怒っていこうぜ、ブオオッー!」とイマジナリー法螺貝を吹き鳴らしたい。この国では、女が怒りの声を上げると叩かれる。既得権益を守りたい人々にとって、怒る女は脅威だから。変化を恐れる彼らは(男社会にとって)都合のいい、黙って従う女を求めている。そのため女が声を上げて連帯するのを邪魔しようとする。
だけど、もうこの流れは止まらない。
キム・ジヨンがベストセラーになり、その他多くのフェミニズムやシスターフッドを扱ったコンテンツがヒットするなんて、5年前には考えられなかった。10年前、私が「フェミニズムを学ぶ、というテーマで本を出したい」と出版社に提案した時は「そんなの売れるわけがない」と見向きもされなかった。
それが今では「フェミニズムをテーマにコラムを書いてほしい」と依頼が来る。そして、それらのコラムはよくバズる。フェミニズム系のコラムを書くと赤潮のようにクソリプが発生するが、その結果ますますバズる。クソリパー諸君、ありがとな。
石川優実さんのツイートから始まった#KuTooが国会で取り上げられ、ハイヒールの強制をやめる企業も出てきた。フラワーデモの成果で「性暴力を許さない」という声が全国に広がっている。経済誌の記者の女友達は「ジェンダー意識の低い企業は生き残れない、と危機感を抱く企業が増えてます」と話していた。
一人一人が声を上げることで、社会は変えていける。それを今、日本の女性たちが証明している。地獄の中にも希望はあるのだ。
優しい夫にすら理解されない孤独と絶望
それを実感する私は、映画版のラストでジヨンが救われてよかったと思う。ただ、本作が日本でもヒットすることを願う者として「このコピーはどうなん?」と渋い顔で言いたい。
「大丈夫、あなたは一人じゃない」
これが日本版のコピーだが、映画の中のジヨンは「全然大丈夫じゃない、私は一人ぼっちだ」と苦しんでいる。この映画は「優しい夫の愛情と支えによって、ジヨンが救われる物語」では、断じてない。むしろ優しい夫にすら理解してもらえない、孤独と絶望を描いている。
「あなたは一人じゃない」には「同じように苦しむ仲間がいますよ」的な意味もあるのだろう。だが、ポスターの「妻を見守る夫」というビジュアルを見て「ハイハイ、夫婦愛の物語ね」「家族の絆系のやつね」と受け取る人は多いだろう。
全然違う(全然違う)
サビのように強調したが、全然違うのだ。ジヨンと同様、愛し合う夫婦であっても、性差別や性暴力の話になると分かり合えない、だからつらい。それがリアルな女たちの声である。
かつ、家族だからこそ苦しむのだ。ジヨンも実の父親の性差別や無理解に苦しみ、義両親からのプレッシャーに苦しむ。そんなジヨンに手を差し伸べるのは、同じ苦しみを経験して共有する女たちだ。
原作も映画も「家族の愛情や支えだけでは、どうしようもない。社会を変えなければ、女は救われない」という現実を描いている。
こんな地獄を変えていこうぜ
ヘルジャパンも「家族の絆」をやたらと強調する国である。絆という言葉でキラキラ装飾して、家族に何でも押しつければ、国は何もしなくてすむ。人々が自己責任教に洗脳されていれば、政治家は批判されずにすむ。「家族の絆」は都合のいい国民を作るためのキラキラワードなのだ。
また「最後に頼れるのは家族」という思考のせいで、他人に頼れなくなる。サバイブするために必要なのはSOSを出せること、赤の他人に助けを求められることである。他人に迷惑をかけるな教から脱却して、困った時はお互いさま精神で支え合えば、みんなが生きやすい社会になるだろう。
そんなわけで映画のPRセンスは昭和だが、中身は良いので令和を生きる女性に見てほしい。それで「わかる!」「それな!」と膝パーカッションして、「こんな地獄を変えていこうぜ!」と一緒にライブできると嬉しい。拙者も法螺貝を吹いてジョインいたす。