なぜサッカー部員は返事の前に「shhh」とつぶやくのか? 矢野利裕『学校するからだ』
記事:晶文社
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学校はどんな場所として記憶されているだろうか。
良い思い出が詰まっている人もいれば、思い出したくもないことばかりの人もいるかもしれない。学校という場所は、なんとなく大事なものだと思える一方で、多くの問題を抱えているような気もする。だからなのか、人が学校について語るときは、すごく甘美な思い出として語られるか過度に批判的な論調で語られるかのどちらかになることが多い。
僕は現在、そんな学校という場所で働いている。2015年度に私立の中高一貫校の国語科教員として採用。サッカー経験者ということで高校サッカー部・中学サッカー部の顧問になり、入職後、半年くらい経ったところで(いろいろあって)監督に就任した。
生徒として通っていた学校には良い思い出も嫌な思い出もある。しかし、教員側としてあらためて学校に身を置いたとき、どうにも目を奪われてしまうのは、たとえばこんな部活動のいち場面である。
人工芝のグラウンドの一角に集合した部員たちがずらりと並んでいる。僕は、その日の練習についてや今後の予定を話す。話し終えると、部員たちは「した!」と返事をする──。
僕の高校のときのサッカー部でも似たような慣習があったし、まあよくある光景だろう。
面白いのは、みんながそれとなく「した!」のタイミングをうかがい合っていることだ。この「みんな」には、ほかならぬ僕自身も含まれている。
というのも、僕はいつのころからか、みんなの「した!」のタイミングを誘導すべく、言いたい内容をひととおり言ったあと、「はい以上です」という意味で、「h-ぁいじょうsh(無声音-ス)」みたいな謎の言葉を発している。
この微妙な発音については、滑舌がよくないこともあるが、どちらかと言えば、監督としての威厳を保つニュアンスがあったと自己分析している。「以上!」というのはなんとなくしまりが悪い感じがする。とはいえ、「はい、以上です」と丁寧語になりきってしまうのも威厳がない。その微妙な調整のなかで育はぐくまれたのが、「h-ぁいじょうsh(無声音-ス)」なのだ。
身体レヴェルで眺めてみると、大真面目に、ときには説教くさく話をしたあとに、「h-ぁいじょうsh(無声音-ス)」とかいう謎の言葉を発している自分がおかしくておかしくて。
ちなみに、その後コーチとして手伝ってくれることになる当時のキャプテンは、話の最後に必ず「〜ま……しょう!」と、「ま」でためて「しょう!」に強いアクセントを置いていた。これによりキャプテンは「話し終わりました」のサインを周囲に送り、ヒラ部員たちの「した!」を誘導していたのだ。こうした発声の工夫も、意識的にか無意識的にか、当時のキャプテンが少なくない時間をかけて育んだものだろう。
一方、「した!」と返すヒラ部員たちのほうにも工夫がある。視聴覚メディアの研究家で音楽家でもある細馬宏通さんの『介護するからだ』の観察を参照してみよう。細馬さんは、介護現場でしばしば発される「よいしょ」というかけ声について、次のように指摘している。
サ行の冒頭の音、すなわち〈sh〉や〈s〉の音は、〈k〉や〈t〉や〈p〉のような子音と違って、「shhh……o」というふうに、いくらでも伸ばすことができる。おもしろいことに、何人かが共同作業をしている現場のかけ声を見ていくと、この〈sh〉や〈s〉の延長音が、お互いの動作のタイミングに関わっている例がいくつも見つかる。──細馬宏通『介護するからだ』
「した!」側のヒラ部員連中は、誰が指揮をとっているわけでもないが、まさにこれをやっているのだ。これは3年目に突入したあたりで気づいたのだけど、ヒラ部員のうちの誰か、「した!」という直前に、ひとり「shhh」をしのばせているヤツがいる! この「shhh」をみんなで感じ取って、「shhh……した!」というタイミングを「共同」的に合わせているのだ。顧問としての僕が「h-ぁいじょうsh(無声音-ス)」で、威厳を示しながら主導しているつもりでいたら、実際はけっこう複雑な「共同作業」をおこなっていた!
注意深く観察していると、いっけんなにげない学校の風景には、このようなマジカルな瞬間があふれている。人と人とのかかわりが、思わぬ瞬間を到来させるのだ。
生徒に囲まれた顧問やコーチが偉そうに話をして、それに対して生徒側が「した!」とか言っている光景は、はたから見れば軍隊を思わせるようなものであり、見ていて嫌悪感を抱く人もいるかもしれない。その感覚はおおいに理解できる。こんなの集団の形式的なルールでしかないので、取っぱらったところでたいした問題ではない。
ただ、僕が興味深く思えるのは、このようないっけん一方的で抑圧的に思える光景も、身体レヴェルまで含めると教員と生徒双方の協力によって成立している、ということだ。生徒と教員の関係性はそのような身体レヴェルまで含んだものとして育まれている。
教員のほうが偉くて生徒が抑圧されている感じがしても、身体の水準で見ると、偉そうに見える教員も抜けているところがあったりする。反対に、ものわかりが良さそうな教員が、微細なふるまいにおいて抑圧的だったりする可能性もある。
いまだ試行錯誤まっただなかの僕は自分のことを客観的に判断することはまったくできないが、少なくない教員経験を通じて、身体レヴェルのコミュニケーションにこれまで以上に意識的になったことはたしかだ。
近年、学校をめぐっては、体罰の問題、生徒の負担の問題、教員の長時間労働の問題といった、あたりまえながらも長いあいだ見て見ぬふりをされていたことが問い直されている。
このような外部からの問題提起はおおいになされるべきだろう。部活動にかぎらず、ブラック校則、運動会における組体操など、社会的通念に照らしたときにあきらかに問題含みなものであっても、学校という特殊な場所がその問題性を覆い隠してしまうことがある。長い目で見たとき、外部からの指摘とそれによって形成される世論が教育現場を健全なものにするものだと思っている。
しかし、その意義をおおいに認めたうえで、ある種の歯がゆさがあるのも事実である。それは、そのような正論が言われるとき、僕が学校で感じているさまざまな感触が抜け落ちてしまう、ということだ。
これは、「部外者になにがわかるのだ!」なんていう偏屈な現場主義ではないつもりだ。外部からの批判を防いでしまうような現場主義こそ学校内部の問題を温存してしまう。僕が求めているのは、正論と現場主義のあいだにあるような言葉だ。
大事なことはおうおうにして、対立するふたつのあいだに存在する。とりわけ、冒頭に書いたような僕が学校現場で味わうマジカルな感触は、正論と現場のあいだに存在している。本書では、そのような学校をめぐる言説のなかで抜け落ちてしまうものを拾い集めたい。
学校とは、生徒と教員がそれぞれの身体でもって生きられる場所だ。そんな躍動的な学校の姿を活写したい。多くの問題を抱えた部活動の制度に埋め込まれつつ、自由にグラウンドでボールを追いかけるような、そんな身体の躍動とともにある姿を。
本書は基本的に、体験的ノンフィクションの体裁をとりながら日々のエピソードを書いたものだ。筆者は、非常勤講師の時代を含めると、これまでに3校(東京都で2校・神奈川県で1校)の中学校・高校で勤務している。本書で書かれているエピソードは、その3校のいずれかで起こったことをミックスしたものである。
また僕は、教員をおこなう一方で、批評家という肩書きで文芸・音楽を中心に批評活動をおこなってもいる。文芸誌で文芸作品や現代文化について論じたり、雑誌でさまざまな音楽やカルチャーを紹介したりすることが多く、たまにラジオに出演することもある。本書では、この批評家としての視線を教育現場に向けているとも言える。
とはいえ、「批評」という言葉をめぐっては歴史や経緯がいろいろあって、定義づけるのも簡単ではない。客観的な立場から教育を分析することは批評ではない気がする。かといって、自分の立場をかえりみることなく感情的な言葉を並べることが批評であるはずもない。
さしあたりは、次のように思う。
自分が生きられる場所についてしっかりと足もとから考えながら、少しずつ言葉を練り上げていくことが、まずは批評の条件ではないか。だとすれば、批評の言葉とは、自分が生きられる空間の感触とともになければ噓ではないか。
本書には、いわゆる批評用語はあまり出てこないが、正真正銘、僕なりの批評のつもりある。というか、日々の生活のなかで自分の批評を実践している、という感覚がある。日々、批評を生きているというか──。本書はその一端を文章のかたちで示したものである。プライバシーに関わる部分は省いたりもしているが、基本的に書かれていることはすべて実体験にもとづいたものだ。
基本的には、愉快なエピソードの数々を楽しんでもらえたら幸いだと思っているが、それらのエピソードは同時に、教育といういとなみについて再考をうながすものである。その意味では、いわゆるお仕事エッセイとも教育論とも異なった、少し変わった本になっているかもしれない。
各章は、学校で見られる風景や場面ごとにまとめた6つのパートからなっている。《1章 部活動》では、近年そのありかたが疑問視される部活動について、世間一般の議論からは見えてこない部分を活写している。《2章 授業》では、学校の中心とも言える日々の授業について学問の魅力とともに書いたつもりだ。《3章 教員》では、これまでに僕が出会った個性的な教員たちを紹介している。《4章 生徒》は、もちろん生徒のことを書いているのだが、懸命に生きる生徒を通じて映し出されるのはむしろ、試行錯誤する僕自身の姿かもしれない。《5章 行事》は、体育祭や文化祭や合唱コンクールなど学校における非日常について書いている。そして、《6章 コロナ以後の学校》では、これら学校コミュニケーションの大部分を奪ってしまったコロナ以後という時代について考えている。
そんな本書を貫いているのは、学校という場所で起こっている微細な身体的交流に注目する態度である。筆者のこのようなありかたについては、さきに引用した細馬宏通さんの『介護するからだ』を参考にしており、本書のタイトルもこれになぞらえている。
もちろん学校における人と人とのかかわりをまるごと書けたとは思わない。書ききれないことはたくさんあった。あるいは、書きたくても書けないことだってあった。その場で思ったことや考えたことをできるだけ素直に書いたつもりだけど、美化しているところもきっとあるのだろう。学校での僕を知っている人が読んだらどう思うか、なんてことも考えなくはない。
とはいえ、責任をもって本書を書いたことはたしかだし、これからの生活も本書を書いた責任とともにある。学校という空間に飛び交っているマジカルなコミュニケーションの一端が、本書のなかに描かれていることを願う。
*
さて、すっかり横道にそれてしまったが、そろそろ本題に戻ろう。サッカー部のことについて書いていたんだった。
まずは、生活のほとんどの時間においてうまくいかないサッカー部のことばかり考えており、体力的にも精神的にもしんどいことが多かった赴任当初の話から始めたい。冷静に考えると、僕は国語の採用試験に受かって入職しただけなのであって、サッカーの指導力を問われたわけではなかったな。僕は国語の授業を通じて、いろんなことを教えたかったんだよな、と、グラウンドで不思議な気持ちになったことを思い出しつつ。
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『学校するからだ』の目次
はじめに
1章 部活動
2章 授業
3章 教員
4章 生徒
5章 行事
6章 コロナ以後の学校
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