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困っている子を救う「ニューロセプション」という視点。発達障害からニューロダイバーシティの時代へ

記事:春秋社

ニューロセプションは、一人ひとりの神経系のニーズにあわせた対応の鍵となり、子育て、教育、医療、そしてウェルビーイングの未来を変えることになるだろう
ニューロセプションは、一人ひとりの神経系のニーズにあわせた対応の鍵となり、子育て、教育、医療、そしてウェルビーイングの未来を変えることになるだろう

再考したい多数派目線の「ふつう」

「ふつうに、のびのびと大きくなってほしい」。わが子に多くのことは望まないから、とにかくすこやかに育ってほしいという願いは、親であれば誰しも抱いたことがあるのではないだろうか。ふつうに学校に行き、ふつうに友だちと遊び、さまざまなことに挑戦してほしい。特別な才能なんてなくてもいい、とにかくふつうに幸せでいてくれさえすれば――。

 ここであえて問いかけたいのは、「ふつう」という考え方だ。一見何の変哲もないこの言葉は、社会のスタンダード、「多数派」を言外ににじませる。多数派がふつうを指すとすれば、そこからこぼれ落ちた少数派は「ふつうと違う」ということになろうか。多数派にチューンナップされた人間社会において、ふつうと違う、つまりスタンダードからはずれる、他者と異なるということには困難がつきまとうのが必定だ。少数派にとって、とかくこの世は住みにくいのである。

 少数派にカテゴライズされる対象として、発達障害をもつ子どもたちがあげられるだろう。発達障害とは精神医学上、定型的な発達がさまたげられている状態とされ、非定型発達ともいわれる。

 今、この非定型発達に別の角度から光をあてるのが、「ニューロダイバーシティ(neurodiversity=神経多様性)」という考え方である。これは障害や病理という枠組みから脱し、一人ひとりの差異を「脳や神経に由来する特性の違い」ととらえ、その多様な在り方を尊重しようというもので、もとは社会運動から始まった。

 ここで取り上げたいのが、アメリカの小児心理学者で臨床心理士のモナ・デラフークによる『発達障害からニューロダイバーシティへ』である。

 発達、行動、感情、学習の進み方に関する違いや、自閉症スペクトラム、トラウマのある子どもたちの行動を神経系の知見をもとに新たなパラダイムでとらえなおし、社会情動的発達をうながすアプローチを紹介した原書は、2020年、米国ベンジャミン・フランクリン・ブックアワード心理学部門の受賞作にも輝いた。

 25年以上にわたり子どもの挑戦的な行動に向き合ってきたデラフークの視点は、既存の枠組みでは障害や病理のカテゴリに属す、困難を抱えた子どもたちにとって大きな救いとなるものである。

ニューロセプションとは何か

 頻繁にかんしゃくを起こす5歳のルーカス。キラは友だちの輪にうまくとけこめず幼稚園で泣いてばかり。ジャマールは高いところから飛び降りたがり、ケガがたえない。リナルドは指示に従えずすぐクラスメートに手を出してしまう。8歳のレナは大声をあげて母親に強く反発し、10歳のマックスは不登校で閉じこもりがちだ。

 本書の主役は、ここに挙げたような「問題とされる行動」を示す子どもたちである。これらの子どもたちと養育者である親は、社会生活を送る中で往々にして難しさや困りごとに直面している。

 デラフークのスタンスは明快だ。子どもの健やかな成長・発達においてもっとも大切なことは、日々の生活のなかで子どもが「みずからのおかれた環境、状況を『安全』と感じているかどうか」であり、「子どもの行動はほぼその視点から理解できる」というものである。

 デラフークが自身の論の主柱かつ科学的根拠としているのが、神経生理学者S.W.ポージェスが1994年に提唱した「ポリヴェーガル理論」およびその理論に含まれる「ニューロセプション(neuroception)」という概念である。

 ニューロセプションとは、「環境中のリスクを無意識のうちに評価する神経的なプロセス」と定義される。つまり、身のまわりで起こっている出来事や、今いる場所、向き合っている相手など、自身を取り巻く環境や状況、体験していることを安全であると感じているかどうか、ということだ。決して認知的な判断ではなく、神経系による無意識での受けとめであることを強調しておきたい。安全であると感じられない場合、その環境・体験はその個体にとって生存上の脅威となる。

 デラフークによれば、大人やまわりから見て“問題とされる行動”は、ニューロセプションが無意識のうちに危険を感じ取り、それが「ストレス反応」としてあらわれているものである。安全ではないと感じる「原因」を取り除くことができれば、おのずと問題とされる行動も解消または改善されていくはずだという。

実は持続的で問題のある行動の多くは、子どもが脅威のニューロセプションを経験したときに起こる、生理的なストレス反応のあらわれなのです。問題行動を、子どもが意図的に反抗しているのではなく、「適応的な反応」であると考えるようになったとき、私の子どもと家族を支援する方法についての考え方がガラリと変わったのです。(『発達障害からニューロダイバーシティへ』「はじめに」より)
問題行動をなくすことに焦点を当てるのではなく、子どもたちに、それぞれの子どもの神経系に合わせた安全の合図を与え、社会交流行動が自然に生まれるようにする必要があります。(同、p.30)

「発達障害」で終わらせない。ニューロセプションをもとに、新たな理解へ

 本書でとりあげられた行動面での課題を抱える子どもたちの成育歴や背景はそれぞれ異なるが、デラフークが「基本的かつ重要」とする次の問いかけは、困難に直面したとき、万人に共通する大きな助けになるはずだ。

「子どもの脳と身体は安全を感じていますか?」
「もしそうでなければ、どうすれば子どもが安全だと感じられるようになるでしょうか?」(『発達障害からニューロダイバーシティへ』、p.5)
問題のある行動や混乱した様子を目にしたとき、私たちが最初に問うべきことは、「どうすればそれを取り除くことができるか」ではなく、「これはその子について何を物語っているのか」ということです。(同、p.17)

 行動面での困りごとを前にしたときに、この問いかけを心の中でつぶやいてみていただきたい。この視点で子どもと接すると、「行動そのもの」をどうにかしようという考え方はどこかに消えてしまうのではないだろうか。そして、原因を見ずして子どもの行動自体を変えようとすることがいかに的外れであるかに気づくだろう。

 デラフークはまた、既存の支援や治療・療育のシステムに欠けている点を大きく三つ指摘し、「子どもの(問題)行動は氷山の一角」であると述べる。つまり水の上に顔を出しているのは氷山のごく一部で、水面下の見えない部分にこそ問題の本質・原因があるとするのである。既存の支援システムの多くが、困難を抱える子どもへの介入につまづいていることを示唆しながら、水面上の「問題とされる行動」ではなく、水面下の見えない部分に目を向けることの大切さをデラフークは切々と説く。

 本書ではこの「氷山の喩え」を含め、70をこえるワークシートや資料を用いて、一人ひとりの子どものニューロセプションを尊重した、神経的発達のための思いやりのある実践的な支援・介入・ケアの方法が紹介されている。わかりやすい言葉で綴られているので、教育・医療・発達支援に携わる方だけでなく、わが子の行動に悩みや不安を抱えている方に手に取ってみていただきたい。

 本記事では子どもの問題を取り上げたが、これらのニューロダイバーシティ、ニューロセプションという概念はともに、いわゆる少数派や発達上の違いをもつ子どもたちのみならず、すべての人々に通じ、落とし込むことのできる新たな視座である。

 この見方はまた、既存の医学的な分類・基準にもとづくレッテルからの解放をも意味するものである。

変える必要があるのは、自閉症を持つ人の行動に対する政府や専門家の認識であり、より多数派の神経系を持った人たちと同じ行動をとるようにと、自閉症を持つ人を変える必要はありません。(同、p.276)

 多様性社会という言葉をよく耳にするようになった。さまざまな分野で、違いを尊重し、共に生きようという考え方が広がっている。一人ひとりの違いを、脳神経に由来する多様なあり方のひとつと捉えることによって、一人ひとりをありのまま尊重するニューロダイバーシティ型社会の到来も、すぐそこまで来ているかもしれない。その際、「ニューロセプション」は、一人ひとりの神経系のニーズにあわせた対応の鍵となり、子育て、教育、医療、そしてウェルビーイングの未来を変えることになるだろう。

 これらの理解が社会に浸透していくことで、いずれ「ふつう」の意味が変わり、多数派と少数派の分断をこえた新たな人間理解の礎が築かれることを願いたい。


◎「ポリヴェーガル理論」については、以下を参照
「自律神経系から取り戻す心身そして社会とのつながり 画期的な「ポリヴェーガル理論」とは」 

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