世界を動かしてきた政治家と酒にまつわる奇想天外なエピソード!
記事:平凡社
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低支持率にあえぐ岸田文雄内閣。安倍晋三元首相が銃弾に倒れ、旧統一教会問題が噴出し、対応に追われている。「岸田は頼りない」「やっぱ菅さんのままで良かったよな」。そんな声すら聞こえてこないほど国民も諦めモードだ。
一年半ほど前は違った。
「祖父と父も衆議院議員の政治家一家」「リベラルの牙城「宏池会」の領袖」「(超進学校)開成高校の出身」「大のカープファン」、そして「政界随一の「酒豪」」。
二〇二一年九月二九日午後に自民党総裁に選出されると、その直後からメディアでは岸田氏の人となりが紹介された。特に岸田氏の酒豪ぶりを示すエピソードは豊富で、いくつもの具体的な逸話が掲載された。
・銀行員時代の後輩と一緒に飲みに行った際に後輩が他人に絡まれると、静かな低い声の広島弁で「許してやってくれんかのう」と助け舟を出してくれ、難を逃れた。
・三〇、四〇代は年に一回は記憶がなくなるまで飲み、一緒に飲んでいた人に電話をかけ、どこまで一緒だったかたどり、記憶を繫げた。
・若手政治家時代に台湾の政治家との飲み会で乾杯攻勢にあい、酒に弱い日本側の同席者の杯を一手に引き受けた。
・安倍元首相が新人候補の頃は選挙区が隣県のため、応援に訪れては酒が飲めない安倍氏に代わりビールをガブ飲みした。
・外相時代には、ロシアの酒豪で知られるラブロフ外相とウォッカの杯をどんどんあけた。
マイルドでおとなしそうな新総裁が実は豪快に酒を飲み、男気にあふれる意外な一面を押し出す広報戦略なのかもしれない。だが、こんなに酒飲みキャラで押す必要があるのだろうかという疑問を抱く人も少なくなかったはずだ。
そもそも今の若い人は酒を飲めても豪快と思わない。豪快に体に悪い行為をしているとしか思わない。若い有権者は投票に行かないので、中高年に向けたイメージ戦略だったのかもしれない。だが、老若男女を問わず「男気あふれているならシラフで発揮してくれよ」と考えるだろう。それにもかかわらず、どこ吹く風の「酒豪」押し。それほどまでに政治と酒は切り離せないともいえる。
会食、特に酒は人と人の潤滑油にもなるし、摩擦にもなる。為政者たちはそのことを知りつくしているからこそ、自身が酒を飲まなくても酒を人に勧め、会食の場を大切にしてきた。
源頼朝やロシアのピョートル大帝は酒を飲ませ、部下の本心をさぐり、中国の周恩来は乾杯を重ねながらも口に含んだ酒をナプキンに出し、相手にひたすら飲ませた。田中角栄は一時間おきに宴席を梯子し、人心掌握に努めた。
酒は使い方によっては便利だが、時に危険だ。自身が飲み過ぎれば、当然、自らの立場を危うくする。
明治の元勲のひとりである黒田清隆は酒乱のあまり、妻を斬り殺した疑惑をかけられた。ロシアのエリツィン大統領は他国の大統領のはげ頭をスプーンで叩いたり、泥酔して会談をすっぽかしたりした。
ただ、難しいのは、酒に飲まれるリスクを恐れて、酒を飲まなければいいということではないことだ。確かに、トルコ建国の父であるムスタファ・ケマル・アタテュルクが酒を飲み過ぎて早死にしなければヨーロッパの歴史は変わったかもしれない。だが、英国のウィンストン・チャーチルが朝から晩までウイスキーを飲めなかったら、ストレスで第二次世界大戦の行方が変わったといっても英国人は笑わないだろう。そして、二〇二三年の今、酒を飲まないからといって人間は合理的な判断を下すとは限らないことは、ロシアのウラジミール・プーチン氏が証明してくれた。
立身出世のためには酒や会食をうまく使うのは欠かせないが、酒を飲むか飲まないかに正解はない。時代や置かれている立場で変わる。米国の大統領は二一世紀に入って以降、過半が禁酒派だが、米国の世界での存在感は高まっても低下してもいない。
本書を読んでいただければ、今、当たり前だと思われていることがかつては決して当たり前でなかったし、今、当たり前なことが正しいとは限らないことがわかるはずだ。もちろん、今後どうなるかはわからないが、未来は過去からしか学べない。
歴史を支えた者たちがいかに酒と向き合ってきたか。そして、酒癖が悪い為政者は実務にどのような影響を与えたのか、それとも実はほとんど影響がなかったのか。そこにはアフターコロナでの人付き合い、酒付き合いのヒントも転がっているはずだ。
第一章 「酒品が人品」の日本人政治家たち
第二章 「俺の酒が飲めないのか!」を生きた外国人政治家たち
第三章 酔いっぷりも世界最強の米国大統領たち
第四章 誰もが飲まなくなった同世代のトップたち