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「つながり」が人生と社会をつくる?~『社会関係資本』の読み方

記事:明石書店

『社会関係資本――現代社会の人脈・信頼・コミュニティ』(明石書店)
『社会関係資本――現代社会の人脈・信頼・コミュニティ』(明石書店)

つながることの意味をかんがえる

 みなさんは、「社会関係資本(social capital)」という概念をご存知だろうか。もしこの言葉を聞いた事がない場合でも、「社会的なつながりが大きな力を持つ」と言われれば、その意味するところをおおよそ汲んでいただけるに違いない。

 「つながり」とは、日常的に用いられる最も一般的かつ汎用的な表現の1つである。他者とのつながりを築くためには、「信頼」の有無が重要な要素である。また、つながりは多い・少ないというように量的に捉えることもできるし、良い・悪いなどのように、その関係性の質を認識し問題にすることもある。そして、人々のあいだのつながりが安定的に継続している状態を俯瞰的にみれば、それが「コミュニティ」や「社会」として描き出されることになる。つまり、表現はいくらか異なっていても、社会的な問題の多くは、「つながり」に関連し、「つながり」の状態に起因すると言っても過言ではない。

 「つながり」は、なぜ大切なのか?

 現代日本において「つながり」は、犯罪や貧困や孤立などの様々な社会問題を生み出す原因分析においても、またそれらの社会問題を解決するためのアプローチとしても、最も重要なキーワードの1つになっている。大地震などの甚大な自然災害に見舞われた際には、地域住民間の強固で良好なつながりが相互扶助システムを機能させる基盤として強調される。同時に、被災により慣れ親しんだ地域を離れざるを得ない場合に、既存の社会的なつながりが希薄化したり絶たれたりすることで、人々の健康や生活の質にどれほど負の影響が及ぶかが明らかになっている。

 いま日本では、少子高齢化や人口減少の進行により、多くの地域でコミュニティの維持や再生が切実な課題となっている。以前より核家族化が進んでいたが、総務省の統計によれば、一般世帯に占める核家族世帯の割合は約6割にのぼっている。さらに単独世帯(1人暮らし)の割合が約3割となっており、およそ3分の1の世帯は、生活を共にする同居者がいないということになる。

 このような状況下で、高齢者の「孤独死」が増加傾向にあり、その原因の1つとして、頼れる家族や近隣住民や友人の不在が指摘されている。子供・若者の「孤立」も問題になっている。内閣府が実施する「子供・若者の意識に関する調査」(令和元年度)によれば、1529歳の約2割が「今までに、社会生活や日常生活を円滑に送ることができなかった経験」が「あった」と回答している。そして、そのような経験をした理由として、「人づきあいが苦手だから」(55.4%)や「悩みなどを相談できなかったから」(29.4%)と、他者との関係性に起因する要因を挙げる声も多い。このように他者との「つながり」の状況は、人々の安全や健康、そして社会生活全般に影響を与えている。

 とりわけ2020年以降は、新型コロナウィルス感染拡大に対処するために「外出自粛」や「黙食」など様々な制約が公式・非公式に課される状況となり、他者との社会的なつながりがどれほど重要であるかを強く再認識するようになったのではないだろうか。

 このような「孤立」の問題は、私たち個々人の問題というだけでなく、社会全体の問題でもある。人々のあいだのつながりの質がネガティブなものになれば、健全な社会経済活動や民主主義などが阻害され、社会全体に格差や貧困が拡大する。ゆえに、いま特に「孤立」を実感していない人々も含めて、「社会関係資本」の問題はすべての人にとって他人事ではない。

 「つながらない」という選択

 近年は「ひとり」でいることが前向きに捉えられるようにもなってきた。「おひとりさま」や「ソロ活」という言葉が普及し、「ひとり」で過ごすこと、「ひとり」で生きていくことに、自立的であるというイメージを重ね合わせ、肯定的に捉えていこうとする言説が流布している。たしかに、同調圧力を強いられがちな日本の文化的状況に鑑みれば、「ひとり」でいられることには、自立し自律的に生きていける逞しい個人の姿を見て取ることができる。

 ただし、社会的な文脈で用いられる「ひとり」という表現は、「独身者」(生涯未婚、死別・離別を含む)と同義の意味で用いられる場合が多い。よって、「おひとりさま」という肯定的な言説は、家族の在り方の変容と併せて捉えていく必要もある。「人間は社会的な存在である」と言われるように、たとえその人が独身者という意味で「おひとりさま」だったとしても、同じコミュニティで共に過ごし、生活や人生を支え合う他者の存在は不可欠である。そのような他者は、必ずしも血縁者でなくてもいいし、婚姻関係で結びついた相手でなくてもいい。「支え合う他者」を広く捉えるならば、同居している必要もないし、人数を制限する合理性もない。別の言い方をすれば、少子高齢化が進行し、1人暮らしの世帯が増加している中で、生活や人生を支え合う関係性を血縁者や同居者だけに限定するのには無理がある。

 「つながり」を拒絶する人々

 自らの意思で「つながらない」という選択をする時、周囲の同調抑圧から身を守り自らのアイデンティティを解放するためである場合もあれば、いわゆる「村八分」のように、その人をコミュニティから排除するためである場合もある。たとえば、日本国内には多くの在留外国人が存在する。一面では、多文化共生が声高に唱えられ、多様な文化に対する認知や理解が進んできたとも言える。反面で、日本の外国人受け入れ体制は、制度的にも文化的にも、十分とは言えない。国内には根強い排外意識が存在することも否定できず、すべての外国人にとって住みやすい、あるいは安心して住み続けられる場所になっているとは断言できない。これは外国人に対してのみならず、未だにセクシャル・マイノリティの人々に対する偏見や差別は根強いなど、他の社会的マイノリティに向けても同様と言える。

 世界中に存在する深刻な文化的課題の1つは、共生と包摂、分断と排除の問題である。日本にも、主観的な視点から異質だと感じる他者を「異常」と見なし、拒絶感や人格否定を躊躇なく表明する(ヘイトスピーチなど)人々が存在する。このように、マイノリティに分類される人々への人権尊重や存在承認を拒否し、「つながらない」ことで排除と分断を目指す動きが世界中で観察されている。これも、「よそ者」に対する警戒感が引き起こす社会関係資本の負の側面と見ることができるのかもしれない。共生と包摂の実現は容易ではない。だからこそ、その実現に向けた一定の働きかけ(政策や社会的実践)が必要である。

 豊かな生活と人生のために~「つながり」と生涯学習

 社会関係資本に正負両面があると確認できたところで、果たして私たちは、政策的ないし実践的に社会関係資本を良い方向に活用したり、あるいは良質な社会関係資本を意図的に生成・促進したりすることができるのだろうか。この問いに答えるためのキーワードとして本書が提示しているのは、「生涯学習」である。有用な情報をもたらす他者との「つながり」が多いほど、効率的な学習が実現し、多くの利益を得ることができるだろう。反面で、歪んだ情報をもたらす他者との「つながり」は、望ましくない学習を誘発し、本人や周囲に負の影響を及ぼすことになる。つまり、単に量的な観点から「つながり」が多ければよい学習がもたらされるというわけではない。では、どうすればよいのだろうか。ここから先の議論についてはぜひ本書をお読みいただき、皆さんそれぞれに発想を拡げ、思考を深めていただければ幸いである。

 本著で描かれる「社会関係資本」概念が示唆する社会の理想的な姿とは、すべての人が「支え合う他者」を各々有しており、そのような他者とのつながりが、地域コミュニティにも、職場にも、さらにはオンラインの世界にも存在する状態を指すのではないだろうか。しかし周囲に存在する他者との関係性が生活や人生を支え合うものとなるのか、あるいは有害なものとなるのかは、予め約束されない。他者との関係性をより良好なものへと結び直すためにも、私たちは生涯、社会的な文脈の中でこそ学び続ける必要があるのかもしれない。

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