資本主義の限界についての指摘が数多くなされるようになってきた。それは当然だ。資本主義に伴う環境破壊も、格差と貧困も、すでに限界に達しつつあるのは明らかだからだ。資本主義なき世界を模索することは重要だが、同時に、壊れながらも廻(まわ)り続けている資本主義のメカニズムを解剖する営みがもっともっと必要とされるだろう。すでに多くの資本主義論が世に溢(あふ)れている中から、今回は以下の3冊を取り上げる。
データを商品化
『監視資本主義』は、今世紀に入って広がった、前例のない資本主義のあり方を丹念に記述する。それは、グーグルを典型とする巨大インターネット企業が、人々の行動履歴をくまなく吸い上げ、そのデータを商品化して企業や時には政府に提供することで、消費や政治行動を予測し誘導する事態のことだ。
一つ一つのネット検索やクリック、位置情報データなどが個人のプライバシーを丸裸にし、個別最適に提供される情報が感情にまで介入する。巨大企業は政治と結びつき、法や規制を自らに有利なように作り替え、不可欠のプラットフォームとして日常生活に浸透する。この張り巡らされた監視が、老いた資本主義に延命の新しい血を送り込んでいるのである。ネットに巣くうのはフェイクニュースや工作員だけではない。個別のコンテンツの背後にある動作環境自体に組み込まれたプロトコルが、自由、権利、民主主義といった橋頭堡(きょうとうほ)をなし崩しにしている状況に対し、著者は「もうたくさんだ!」という言葉とともに告発と抵抗を呼びかける。
資本主義が地球上の大半を覆っているとしても、そのあり方は一様ではない。『資本主義だけ残った』は、資本主義による世界の支配は二つの異なるタイプの資本主義によって達成されたとする。その一つは、アメリカに代表される「リベラル能力資本主義」であり、もう一つは中国に代表される「政治的資本主義」である。前者が「能力」という言葉を含むのは、「能力主義」(原語は「メリトクラティック」)と不可分だからである。後者は後進国が社会主義を跳躍板として実現したものであり、官僚による支配、法の縛りの欠如、国家による統制という三つの特徴をもつ。
前者は民主主義を標榜(ひょうぼう)し、後者は国家主義を強力に打ち出す点で異質だが、グローバルな生産網と情報通信技術の広がりにより、両者は対抗しつつも関係を結ばざるを得ない。そして重要なのは、いずれも深刻な腐敗(汚職など)と不平等を伴うということだ。それらを克服し、「民衆資本主義」へ、さらには「平等主義的資本主義」へと移行してゆくためには、富裕層への増税、公教育への公的支出の増大、政治への資金提供の厳しい制限が必要であると著者は説く。
打開策は公共性
3冊目は、17世紀から現在に至る、人々の消費行動の変化を描いた『勤勉革命』である。資本主義の起源についてはウェーバーを含め膨大な議論がある。本書の着眼は、民衆の消費行動が産業革命に先立って変化しており、「新しい商品」を手にすることへの各世帯の欲望こそが、勤勉に働いて資本主義を支える労働者という条件を提供したということにある。産業構造や商品の変化に伴い、性別役割分業から女性の雇用労働力化への変動は生じたが、消費選好に駆り立てられる世帯の状況は通底しており、それは世帯にとって自己破壊的にも作用していると著者は述べる。
これら3冊はそれぞれ、ネット企業、腐敗と不平等、消費欲求という異なる焦点から、資本主義が内包する問題をあぶり出している。打開策は公共性という点でも共通する。それを実現できる賢明さを私たちは持てるのか。問いと模索はさらに続く。=朝日新聞2021年11月6日掲載