独裁者の胃袋をつかむ 「元お抱え料理人」たちの証言! ヴィトルト・シャブウォフスキ『独裁者の料理人』
記事:白水社
記事:白水社
長年、私は社会や政治関連のテーマについて新聞に寄稿してきた。その間ずっと料理人には惹かれていたものの、いかにして厨房を再び我が人生の軌道に加えたらよいか思いつかなかった。ある日、スロバキア系ハンガリー人のペーテル・ケレケシュ監督の『歴史の料理人』という映画を観た。軍隊の料理人に関する映画で、ブランコ・トゥルボヴィッチが出演していた。ユーゴスラヴィア全体の支配者ヨシップ・ブロズ・ティトー元帥の専属料理人だった人物である。
これが生まれて初めて目にした独裁者の料理人だった。そのとき何かが頭の中でパッと閃いた。
【『歴史の料理人』紹介動画:Cooking History (Trailer)】
私が考えはじめたのは、歴史の重要な瞬間に料理を作っていた人たちは歴史について何が言えるだろうということだ。世界の運命が動いたとき、鍋の中では何が煮立っていたのか? 米が焦げつかないように、牛乳が沸騰しないように、カツレツが焦げないように、あるいはジャガイモを茹でる水が吹きこぼれないように見張っていた料理人たちは横目で何に気づいただろう?
たちまち次の問いが浮かんだ。サダム・フセインは何万人ものクルド人をガスで殺すよう命じた後、何を食べたのか? その後、腹は痛くならなかったのか? 200万近いクメール人が飢え死にしかけていたとき、ポル・ポトは何を食べていたのか? フィデル・カストロは世界を核戦争の瀬戸際に立たせたとき、何を食べていたのか? そのうちだれが辛いものを好み、だれが味の薄いものを好んだのか? だれが大食漢で、だれがフォークで皿をつつくだけだったのか? だれが血のしたたるビーフステーキを好み、だれがよく焼いたのを好んだのだろう?
そして結局のところ、彼らの食べたものは政治に影響を与えたのか? もしかしたら料理人のだれかが食べ物に付随する魔法を使って、自国の歴史に何らかの役割を果たしたのでは?
どうしようもなかった。問いがあまりに多くなったものだから、本物の独裁者の料理人を見つけるしかなくなった。
そんなわけで旅に出た。
本書を書き上げるのに、ほぼ4年かかった。その間、4つの大陸を旅した。ケニアのサバンナの忘れ去られた村からイラクの古代バビロンの廃墟を経て、クメール・ルージュの残党が隠れていたカンボジアのジャングルに至るまで、私は世界で最も稀有な料理人たちと共に厨房にこもった。彼らと一緒に調理し、ラムを飲み、ラミーをした。一緒に市場に行き、トマトや肉を値切った。魚やパンを焼き、パイナップルを加えた甘酸っぱいスープや山羊肉入りピラフを作った。
話をしてくれるよう説得するのに、たいがい手こずった。いつでも自分を殺せる人のために働いたトラウマから未だに回復していない人もいた。体制に忠実に仕え、たとえ厨房内のことであれ今日まで秘密を明かしたがらない人もいた。さらにたいていの人は、しばしば厄介な記憶をわざわざ思い起こそうという気がない。
いかに料理人たちを説得して打ち明け話をしてもらったかについては、もう1冊本が書けるくらいだ。極端な場合は3年以上かかった。でもうまくいった。私は厨房のドアから覗いた20世紀の歴史を知った。困難な時代を生き延びる方法を知った。狂人を食べさせる方法を、狂人の母親代わりになる方法を、しかるべき頃合いに放たれた屁でさえ十数人の命を救うこともあるのだと。
そして最後に──いちばん重要なこと。料理人たちとの会話のおかげで、独裁者が世界のどこから出てくるかがわかった。アメリカの機関フリーダム・ハウスの報告によると、49か国が独裁者に支配されている時代において、これは重要な知識である。そのうえこの数は増える一方だ。今日の情勢は独裁者に好都合なのだから、彼らについてなるたけ多く知っておくに越したことはない。
それでは改めて……フォークとナイフを手に持った? ナプキンは膝に置いた? よろしい。
どうぞ食事をお楽しみください。
【ヴィトルト・シャブウォフスキ『独裁者の料理人 厨房から覗いた政権の舞台裏と食卓』(白水社)所収「前菜」より】
【著者インタビュー動画:Witold Szabłowski: Kuchnie dyktatorów】