特別公開:坂本龍一さん3万字インタビュー前編「音楽の大きなテーマは、亡くなった者を悼むということ」
記事:平凡社
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――東日本大震災と原発事故はだれしもにとってたいへんショッキングなできごとだったと思います。坂本さんはどうお過ごしでしたか。
坂本龍一:うーん……、直後はやっぱり、音楽を聴く気になれませんでした。
――音楽家の方でも、音楽が聴けなくなるんですか。
坂本:ええ、(音楽家には)きっとそういう人は多いと思いますよ。それで、ずいぶんと経ってから……、ひと月ほど経ってからかな、やっと聴いてみようかなと思ったのは。
――そのときに、慰めや励ましになったもの、あらためて立ちかえったものってありますか。
坂本:それは、やっぱりどうしてもバッハの「マタイ受難曲」です。僕のまわりの音楽好きでも同じようにいう人は多いけれど、やっぱり特別な曲ですね。「またバッハか」と自分でもちょっとうんざりするようなところもありますが。
――特別というのは、どういうことでしょう。
坂本:この言葉、ほんとうに嫌いなんですけど、(バッハの曲を聴くと)まさに「音楽に救われる」という感じがするんですよ。癒される、慰められる思いがします。子どものころ、ケガをして痛かったときに、母がこうやって手をあててくれた(話しながら自身の左手を右腕にあてる)、そんな感覚と似ています。
――「手あて」ですね。
坂本:そう。手あてとか、頭を撫でてもらったりとか──そういうフィジカルな慰めってあるでしょう。あれって子どもにとってはとても大きなものじゃないですか。
――大きいですね。それがないとちゃんと生きていけないくらい。
坂本:僕にとって音楽による慰めっていうのは、そういう感じのものなんです。「お母さんの手」のようなもの。なにも音楽のすべてがそうだというわけじゃなくて、なかでも特別な曲がある。バッハの「無伴奏チェロ組曲」とか。そういう意味では、「癒し」という言葉は嫌いだけれど、僕もやっぱり音楽に慰められているんですよね。
だから音楽ってやっぱりそういうことのためにあるのかもしれない、悲しみを癒すというか。だいたい古今東西、音楽というのは悲しいものが多いんですよ。
坂本:つくる側からいっても悲しい音楽のほうがつくりやすいんです。あかるく元気な音楽って、僕はつくれないですから。
――あ、つくれませんか。
坂本:ええ、まったくむりです。悲しいのはかんたんです。
――かんたんなんですか。
坂本:うん、悲しいのはかんたん(笑)。だから、人間というのはそっちのほうにできているんですよね。
――人間は、悲しいほうにできている……。
坂本:そう。音楽の大きなテーマは、亡くなった者、存在しなくなった者を懐かしむとか、思い出すとか、悼むとかいうことなんです。だから「葬儀」というのは人類普遍の大きなテーマですよね。
亡くなった人のことを悼む、あるいは思い出す、そうすることで傷ついている自分の心をも慰めるということを、たぶんもう20万年くらい前、ホモ・サピエンスが生まれたころからずっとやっているんだと思うんです。
それから東日本大震災での福島だってそうですけど、政治的な理由、物理的な理由、いろいろな理由で生まれ故郷からひきはがされる。喪失ですよね。これも音楽の大きな原動力になるんです。そういう音楽は多いですよ。アフリカ人が強制的にアメリカにつれてこられて故郷も家族も喪失したときに、ブルースが生まれたんです。それから、ポルトガルのファドなんかもそうですね。日本の演歌なんかもほんとうに悲しい曲ばかりです。成就しなかった恋愛を歌う。あるいは去ってしまった恋人を歌う。ほぼみんなそうなんです。
――あかるい小説っていうのもあまりないですよね。たぶん楽しいときってそんなに書くことがないんだと思うんです。悲しいときには、書かないとやってられない。
坂本:やっぱり人間、生きていると悲しいことは起こりますから。だからそういうときのために音楽はあるみたいですね。だんだんそう思えてきた。
――だんだん、ということは、昔は違ったんですか。
坂本:(若い頃は)ぜんぜんわかってなかったですね。年を重ねるにつれて、そう考えればたしかにそうだなと思うようになったんです。
――いま、アフリカの音楽がアメリカ大陸に渡ってブルースに変わって……、というお話がありましたけど、NHKで坂本さんがされている音楽番組『スコラ』のアフリカ音楽篇がとても好きなんです。ジャンベ、コンガ、親指ピアノなど、アフリカの打楽器を聴くのがもともと好きで、そのあとタブラのザキール・フセインさんみたいなインド音楽にも興味がひろがって、だからユザーンさん(註:坂本龍一さんと親交の深いミュージシャン。タブラ奏者。ザキール・フセインに師事する)の演奏を聴くのもとても好きで。
坂本:ああ、そうだったんだ。
――それもあってアフリカ音楽篇をとくにおもしろく拝見しました。音楽番組は数多くありますが、『スコラ』のような解説番組はめずらしいですよね。どうしてああいった、個人で音楽史を総括するプロジェクトをはじめられたんでしょう。
坂本:あれは子どもに頼まれたのがはじまりなんです。
――坂本さんのお子さんにですか?
坂本:そう。まだ子どもがちいさかったころ、たとえば「勉強用のプレイリストをつくってよ」とか頼まれるわけ。
――勉強がはかどる曲、みたいなテーマで選ぶんですか。
坂本:うん。それからだんだん、「クラシックをもう少し知りたいから、なに聴けばいいかちょっと選んで」とか、「ベースをはじめたから、マストで聴いておいたほうがいい古今東西のベースのいい曲を集めてよ」とか。そのときどきで「はい、はい」って僕が曲を選んでプレイリストをつくるわけです(笑)。
――豪華! オーダーメイドで坂本龍一がプレイリストをつくってくれるなんて。
坂本:あと、母が数年前に病気で亡くなったんですけれど、その闘病生活にもプレイリストをつくりました。病室にいると24時間なにもやることがないから飽きちゃうでしょう。CD一枚くらいだとすぐに飽きちゃう。だから最低24時間ぶんくらいの曲を選んで、ループさせてずっと聴きつづけられるようなプレイリストをつくったり。
――おやさしいんですね。
坂本:そんなふうに、個人的にいろいろなプレイリストをつくっていたんですよ。すると逆に、人がどんなものを聴いているのか気になりませんか。
――気になりますね。
坂本:たとえば僕だったら、細野晴臣さんのiTunes (Apple Music)にどういうものが入っているのか気になるんですよね。意外と最近のものを聴いていたりしてびっくりする。若い人たちが聴いていそうなアメリカのR&Bとか。カントリー&ウエスタンじゃないもの、ちょっと本人のイメージとは違うものをけっこう(細野さんは)知っているんですよね。だから、こっそり見てみたくなる。
――こっそり見ちゃうんですか。
坂本:いや、勝手に見ることはないですけど(笑)。
――人の本棚を眺めるのも、おもしろいものですよね。
坂本:そうそう。その人がわかるじゃないですか。本棚を見ればどんなことに関心があるのかがわかる。音楽もおなじですね。
だから『スコラ』って、僕のつくるプレイリストを「どう?」とみんなに見せているような感覚なんです。たとえば「クラシック」「映画音楽」とテーマを決めてプレイリストをつくり、「僕はこれがいいと思うよ」というのをみんなに提示する。
――なるほど。ご自身を軸にしたセレクトだから、いわゆる音楽の教科書とは違うおもしろさがあるんですね。だから特定の作曲家がものすごく手厚く紹介されている(笑)。
坂本:うん。好きなのは手厚くやるけれども、嫌いなのはぜんぜんふれない(笑)。独断と偏見に満ちた個人のプレイリストを提供しているんです。だから『スコラ』ができた経緯には、もともとそういう個人的なプレイリストをつくっていたということがひとつ。
坂本:それから、もう十年ほど前になるのかな、ラジオ番組に大滝詠一さんを呼んで、僕がちょっと弱いロックについて講義してもらったんです。僕はロックのことはビートルズ以降のことくらいしかわかっていなくて、それ以前のことはよく知らないから。「なぜロックが誕生したのか」、もう少しくわしくいうと「なぜエルヴィス・プレスリーという人が登場したのか」というテーマだったんだけれど、すごくいい講義をしてくれた。
大滝さんって柄谷行人さんも認めるほど論理的な人なんです。彼のロックについての解説は「アメリカ音楽にはルーツの異なる三つの大きな地下水のようなものがある。それらがすべてエルヴィスに集まってきて、あんな巨大なポップスター、稀代のロックスターが生まれた」ということで、ちょうどその十年後にこんどはビートルズが出てくる。そういう見かたを教えてもらったら、とてもおもしろくなって。
そんな講義をほかの題材でもやったらいいんじゃないかな、と思ってはじめたのが『スコラ』なんです。たとえば僕のわかるクラシックとか現代音楽とか、あるいは僕が知らないジャズなんかは山下洋輔さんとかにきてもらって。僕がひとりで聴くんじゃなくて、みんなで共有できたらおもしろいだろうっていうのもひとつのテーマだから、アフリカ音楽なんかも塚田健一先生(民族音楽学者)という人を探しだしてきて。
――東京藝大で、坂本さんと同級生だった方ですよね。
坂本:うん、たまたま同級生でびっくりした。
――あの先生の聴かせてくださる音源、すごくいいですよね。3歳くらいの女の子がふたりで歌っているハーモニーとか。
坂本:すばらしいでしょう。
――あと、朗唱のような語りのような「卵を嫁にもらった男の話」。あの回の『スコラ』は大阪の民博を訪ねたときのような印象を受けました。
坂本:あの説話、おもしろい音源ですよね。アフリカ音楽には、太鼓をポコポコ鳴らすだけじゃない、いろいろな要素があるということがよくわかる。だから、たんに曲をならべて「こんなのもあるよ、あんなのもあるよ」と紹介するんじゃなくて、カテゴリー分けをして、たとえば「言葉と音楽」「楽器」などテーマでくくってやってみました。
――そうですよね。いろいろなものが流れこんでその音楽をかたちづくっている。
いまは家にいたままでいろいろな曲を聴くことができますよね。レコード屋さんにいく必要さえなかったりする。すると僕みたいに音楽にくわしくない者だと、ザッピングというか、ひとつずつばらばらにつまみ食いしているような感じにもなってしまうんです。それが『スコラ』のように提示してもらえると、歴史的になにがどうなっていま聴いている音がここまでやってきたのかが、ちょっとずつ見える。だから音楽がわからない人間にとっても『スコラ』の試みはおもしろく、ありがたいです。
坂本:『スコラ』では、テレビ番組として飽きさせないためにワークショップもやっています。これが責任重大なんですよ、子どもたちとやっていかなきゃいけないので。
――相手が小さな子であればあるほど責任が重いかもしれませんね。そのあとずっとその子のなかに残るかもしれないわけだから。
坂本 ええ。しかも、最終的にはどこかに導かなきゃいけないじゃないですか。「お遊戯しています」じゃなくて、回を追うごとに認識が深まるように、ゴールに到達できるように運ばなきゃいけないから、けっこう神経を遣います。
だから教育ってたいへんなものだなと思います。僕は教育者になりたいわけではぜんぜんなかったけれど、子どもたちとのワークショップをやることでずいぶん鍛えられました。(教育というのは)むずかしいですね。
――ああ、やはりあの放送の陰にはご苦労があるんですね。ワークショップのうち、番組で流れる部分はごく短い。でも観ていて、きっとこれはすごく時間がかかっているのだろうと思っていました。
坂本:たいへんですよ。事前の調査とか、どういうふうに持っていくのかとか。毎回ぐったり疲れちゃいます(笑)。
――番組のなかで、坂本さんはとてもやさしそうな音楽の先生に見えましたよ。
――『スコラ』のワークショップで印象に残っているのは、音楽家の大友良英さん(ギタリスト、作曲家。『あまちゃん』など数々のドラマ、映画の劇伴でも知られる。10代を過ごした福島でプロジェクトFUKUSHIMA!を立ち上げる)も出ていらしたオーケストラの回。あの番組では「オーケストラFUKUSHIMA!」で編み出された手法でオーケストレーションを行っていましたね。
「オーケストラ」ってよく見るあの形式こそがあたり前のものだと、暗黙の了解で僕らは考えてしまっています。楽器の種類、演奏者の人数、それから配置にいたるまで。学校音楽教育を通じて「あれがよのなかでいちばん立派な音楽だ」というイメージをつい持ってしまう。だけどあのワークショップではその前提をいちど分解していていますね。
坂本:そうですね。あれはたまたま子どもたちが(もともと)オーケストラをやっていたので一般的なオーケストラの楽器でやりましたけど、どんな楽器でも(あのワークショップの手法は)できるんですよ。
――2012年、プロジェクトFUKUSHIMA!において福島市の商店街でやっていたオーケストラは、ちんどん屋さんを彷彿とさせました。そのなかで坂本さんは、ごく自然体で、立ったまま、歩きながら、吹きながら、鍵盤ハーモニカを弾いてらっしゃって。世界的なピアニストである坂本さんが鍵盤ハーモニカを吹いている、という驚きも含んだ光景でした。
坂本:うん、音が出るものであればガラガラでもなんでもいい。むしろ、大友(良英)君も「ちゃんとしたオーケストラ」でオーケストラFUKUSHIMA!をやったのは『スコラ』がはじめてなんじゃないかな。
――じゃあ、あれはオーケストラFUKUSHIMA!の番外篇なのかもしれませんね。普段からクラシック音楽を習っていた小学生たちが大友さんに「好きにやってください」と指示されて、「えっ。こんなことしていいのかな?」と探り探り、ドキドキしながら楽しそうにやっていたのが印象的でした。
坂本:あのときはオーケストラの各楽器の座る配置を変えてみたんですが、抵抗があるかと思ったら意外とすんなりやってくれて、おもしろがっていましたね。「場所が変わるとこんなに聴こえかたが違うんだ!」とやっている子どもたちがびっくりしていて、やっぱり発見がありますね。
――ワークショップで教えることで、坂本さんご自身にもなにか変化はありますか。
坂本:はい、発見はもちろんありますよ。小学生から大学生までいろんな子たちとワークショップをやってきましたが、歳のわかい子のほうが意欲的で、意見をどんどん出すし前向きなんです。でも、学校に帰ったらあの子たちもそうじゃなくなるのかな。どうなんだろう。ワークショップってその場かぎりの関係でしょう。毎日顔をつきあわせている先生とやるのとは条件が違うからかもしれませんが、ほんとうに利発でいきいきとした子が多いんですよ。
ニュースを見ているといつも教育現場の悪い話題ばかりがとりあげられているけれど、そういう報道とはずいぶん印象が違う。この子たちが大人になっていくんだったら日本もけっこういいんじゃないかな、と感じています。
でも、中学、高校、大学、そして社会人とすすんでいくにつれて変わっていって、ずいぶん鋳型にはめられてしまう。東京造形大の入学式での学長の祝辞(2013年春、映画監督の諏訪敦彦氏が「経験という牢屋」というテーマで新入生に向けて語ったもの)がフェイスブックで回覧されていて、すごくいい話だったから僕もシェアしたんですけれど、ショッキングだったのはその記事についていた写真です。造形大だから美術の学校なのに、新入生たちがみんな就活のような格好をしている。
――ああ、リクルートスーツですね。
坂本:そう、それを着ているわけ。なにも入学式でそんな格好しなくてもいいよね。しかも美大なんだから。目を疑いましたよ。もちろんひとりひとりは、ちゃんと個人的な意見を聞けばおもしろかったり、いろいろな考えを持っていたりするんでしょうけど。
――大学3年生になれば就活しなきゃいけないから、入学するときに買うんですよね。就職活動というものはすごくたいへんそうです。証明写真なんかもみんなきれいに修正しますしね。
坂本:えっ、ほんとうに?
――清潔感や明るさ、知的な印象を出すためにデジタルデータを修正するんです。スーツだけでなく、就活用のメイクアップレッスンもあります。たとえば資生堂は就活用の化粧品セットを売りだしています。こうすると好感度が高い、この髪型は生意気そうに見えてダメ、チークはこんな色が無難、いろいろと見えないルールがあるんです。
坂本:内田樹さんが書いていたけど、就活にくるような学生を採っているような企業はダメだよね、二流だよ。
――うーん……(苦笑)。学生さんはみんな一生懸命なだけだと思うんです。やっぱりこわいですよ、そこから外れるのは。
坂本:大学3年生から就活をはじめて、そういうことに汲々としてエネルギーを費やすんでしょうから、4年間通ってもそのうち半分くらいしか勉強していない。就活のために費やすなら、休学して、あるいはやめて海外でも放浪したほうがいいんですよ。
――留学も就活の差し障りになるからやめる、またそもそも留学を考えない学生も多いようですよ。(編集註:2023年までの10年で経済的環境も変わり、若い人が海外に出ることのハードルはさらに上がっているといえます)
坂本:いや、留学じゃなくて放浪。それで、企業は放浪して帰ってきた子を採ればいいんじゃないですか。
――ふふふ(笑)。実際、企業もそれで困っているらしくて、商社なんかは海外経験のある人にきてほしいのに、みんな就活優先で学生時代を過ごすから海外にいったことのない人が入社してきてしまうそうです。
坂本:そうでしょう。そういうことをやっているから日本の経済力が落ちるんじゃないの。だったらもう、日本人は採らなければいいんです。人口の多いインドや中国に優秀な人はたくさんいるしね。
――国力っていうのはけっきょく人口の伸びだ、という話は聞きますね。日本の高度経済成長だって人口増加がちょうど重なったからうまくいったのだと。
坂本:中国やインドというのは日本の10倍の人がいますから、単純計算すると優秀な人も10倍いる。スポーツなんかを見てもそうですよね。もしほんとうに企業が競争原理だけでやっているなら、日本人ばかりを採らなくてもいい。おなじ給料でもっと優秀な人がくるんだったら、そのほうがいいですよ。だから学生も就活なんかしていないで、休学して放浪して「俺はこういう経験をしてきました」といえるようになればいい、というのが僕の考えです。
――さきほどオーケストラFUKUSHIMA!の話が出ましたが、福島は何度か訪れていらっしゃるんですか。
坂本:福島にいったのは、全部で3回です。
――2012年、官邸前抗議だったかそれとも脱原発集会だったかのスピーチで、坂本さんが「いまも16万もの方が避難していて家に帰れない状況なんだ」とお話しされていました。そのとき、実際に避難されている方からツイッターで「坂本さんがそのことを話してくれたこと自体がうれしい」というメンションをもらったんです。福島の人たちには「忘れられている」という感覚があるんじゃないか、と思いました。
坂本:むしろ意図的に忘れさせようとしているかのように、あまりメディアに出てこないですよね。だけど16万人というのはずいぶんな数ですよ。それから、避難しているのは16万人だけれども、福島には避難したかったけれどできなかった方がもっといます。
――ずっと心にひっかかったまま暮らしている人もたくさんいますよね。
坂本:ええ、そういう人はたくさんいますから。だからたとえば就職の問題、避難先の土地の問題、子どもの教育の問題がスムーズにいくならば避難したい、そう考えている人というのは何十万人もいるはずです。かつて旧相馬藩の藩主だった家系の相馬行胤さんという人がいるんですが、彼は「やっぱり避難するべきだ」と話していました。
――そんなに土地にゆかりの深い方でも、そう考えるんですね。
坂本:そう。それで、その土地から移ってもちゃんと歴史や文化というのはひきついでいけるんだ、というふうにいっていましたね、藩主様がね。
――土地を移っても歴史や文化を引き継ぐというのはたやすいことではありませんが、移民や開拓、炭鉱の閉山など、歴史の中に数々の事例はありますね。
――そういえば、遠くにいて感じている身としては、9.11と3.11、ニューヨークのテロと福島第一原発の爆発は、メディアをとおしての経験としてとても似ている印象があるんです。テレビでほぼみんな同時に爆発を見て、すごくショッキングな映像で。
どちらも、突然に起こったことというよりは実はずっと前からつづいてきて無意識に「あぶないな」と感じていたものがあらわになった感じ、自分も無関係じゃなくて多かれ少なかれ加担していたという後ろ暗さ、出来事の前後で決定的に雰囲気が変わってしまったこと……、そんな点が似ていてずっしりと重たいんです。
ワールドトレードセンターのテロが起きたとき、坂本さんはニューヨークにいらっしゃいましたよね。ふりかえって思われることはありますか。
坂本:僕もこのふたつは似ていると感じていました。9.11もだれがやったかわからない。原発事故も事故調(政府や国会などの事故調査委員会)はあってもまだ根本的な原因がわかっていなくて、うやむやなところがある。
――つまびらかにはされていませんね。津波で非常用電源が水をかぶって使えなくなったからだ、ということにはなっていますけど、揺れそのものによるダメージはどうだったのかなど、わかっていないところが多い。
坂本:僕が9.11のあとにまずやったのは、19世紀からずっとつながっているアメリカ帝国主義の歴史の本を読むことだったんです。
19世紀には鉄道がアメリカの基幹産業だったんですよ。20世紀になってそれが自動車にとって代わられるんです。そして第二次世界大戦後にはアル・ゴア(第45代アメリカ副大統領)のお父さんが全米にハイウェイをつくる。そして息子のアル・ゴアはITのスーパーハイウェイをつくろうとした。親子2代つづけてハイウェイをつくっているんです。
列強のなかでアメリカが決定的な力を持った事件というのがあって、それが1898年、20世紀になる直前に起きた米西戦争です。開戦のきっかけは、キューバのハバナ湾でアメリカ海軍の戦艦が爆破された事件だったんですが、それはアメリカの自作自演だったことがのちにわかりました。この戦争に勝ったことが20世紀がアメリカの世紀になることを決定づけたといわれます。
ベトナム戦争でも、1964年にトンキン湾事件といってアメリカの戦艦が爆破されたことをきっかけに、北爆と呼ばれる北ベトナムへの爆撃が始まった。そのときも自作自演だったんですよ。大きな事件があれば戦争を起こすきっかけになるし、戦争になれば国内がひとつにぎゅっと団結する。
――ナショナリズムの高揚ですね。
坂本:もともとアメリカ人の気質としては、国というのはちいさくていい、みんなばらばら、州単位でいい、という感じなんです。ふだんは「お国のために」なんて考えない。ましてや遠いヨーロッパ大陸とか、世界のほかの国のことなんか知ったこっちゃない、というのがアメリカ人なんですが、ときどきぐっと団結するんですよ。それが米西戦争、ベトナム戦争、そして9.11。そのうちふたつはアメリカ政府の自作自演ではじまっている。
だからといって9.11も自作自演だとはいえませんけれど、一晩にして、ニューヨークというアメリカのなかで一、二を争うリベラルな街の人たちがぐっと愛国主義に傾いた。こわかったです。
坂本:3.11後の日本もおなじく愛国主義に傾いていますよね。2012年12月の衆議院選の結果がそうでしょう。
――そうですね。もちろん選挙の結果は民主党への失望から、というのも大きいのでしょうが。もともとじりじりと右傾化していたのが震災で加速した感があります。
坂本:だから、アメリカの9.11後の8年間だった「ブッシュの時代」が、日本でもはじまったんじゃないですか。ただ、アメリカの場合は8年でまたリベラルのほうへ揺り戻しがありましたけれど、日本というのは引き返すことが不得意な国だから。
――決断ができなくて、ずるずるいってしまう。
坂本:ええ。だから、いくところまでいっちゃうのかなという嫌な予測を持たざるをえないんです。
――ナショナリズムを高めるいちばんかんたんな方法は、戦争をはじめることですよね。
坂本:そう、外に敵をつくればいい。
――戦争をしないまでも、最近はほんとうに。政治家がみんなで靖国神社に参拝したり、竹島や尖閣諸島の問題も。
坂本:ナチスも1939年のポーランド侵攻をきっかけに戦争をはじめるわけですけど、その名目はポーランドにいる自国民を救うため、ということだったんですよ。「自分たちの仲間があぶない目に遭っているからそれを救いだしにいくんだ」といって攻めいった。
大義名分というのはかならずそうなんです。なにか犠牲があって、わっと集まる。このあいだのボストンマラソンのテロ(2013年4月16日)もほんとうに不可解で目的もよくわかりませんが、結果的にあれのせいでアメリカ人の4割が「公民権が多少制限されてでもテロ対策をしてもらったほうがいい」と答えているんです。あの個人主義のアメリカ人が、ですよ。だからほんとうにきくんですよね、ああいうのって。統治する側からいえば、ああいうできごとがちょっとあると。
――正体のわからない恐怖があると、集団としてコントロールされやすくなりますね。
坂本:そうです。恐怖があるとみんなその恐怖とは反対のほうに逃げたくなるわけですから。それでいうと、原発事故という恐怖を僕たちは目の前で見たわけですから、日本人はみんな「もっと逃げよう」「やめたいな」って考えていいんですよ。
――すなおに考えれば、二度とおなじことを起こさない方向へ動きたくなると思うんです。
坂本:そう思ってもいいはずですよね。潜在的には7〜8割の人が原発をやめたいと思っているそうですが、ちょっと声が弱い。もっと怖じ気づいていいはずなんですけど。
――そうかもしれません。原発をちゃんとこわがっていいはずなのに、そうはなっていない。テロというのはだれかはわからないにしても犯人がいる。いっぽうで原発事故は責任の所在に濃淡はあるけれども、憎悪や悪意を持った犯人がいるわけではない。テロよりずっと対処しやすいはずなんです。事故を再発させないためのルールや電力供給源の比率なんかを整えていくことでいまより安全な社会にできるのに、原発のことを「こわくないふり」して放置している。
坂本:うん。もっと怒ったり、怖じ気づいたりするべきですね。
――そういう意味では、震災後に「正しくこわがる」というキャッチフレーズが妙な文脈で流布したことを残念に思います。本来はそういう意味の言葉ではないと思うんですが、放射能の害について「このあたりでこわがるのはやめておけ」というニュアンスで使われていて、あたかもこわがること自体がばかばかしいことであるかのように語られていた。放射能が漏れていること自体が問題なのに、不安に感じる市民の側の無知が悪いんだ、と暗にいっているようでぞっとしました。
やっぱりあれだけの恐怖を味わったのだから、その経験を大切にして「こわかったね、二度とおなじことはないようにしようね」と建設的に進められるといいですよね。
――坂本さんは超多忙でありながら、環境保護活動や脱原発運動にもたいへん時間を割いていらっしゃいます。「これはやりたい」という人生のテーマってあるんですか。
坂本:いや、僕はもう、あとはおいしいものを食べて、おいしいお酒を飲んで過ごしたいだけなんです。もうほんとうに、それだけが願いなんですけど(笑)。でも、どうもそうもいかないじゃないですか。
――音楽以外でもとてもおいそがしそうです。子ども達に残す自然環境を守るということについては、本当に身を削って飛びまわっていらっしゃって。
坂本:あとは、「死ぬ前にこれだけは読んでおきたい」っていう本のリストをエクセルでつくってありまして。
――そんなリストがあるんですか! すごく気になります。どんな本が入っているのか、全部で何冊くらいあるのか。
坂本:いや、だからもう時間がかぎられてますから。たとえば80歳まで生きるとしても、もう残り20年ないからそんなにぶちこめないでしょう。もともと昔から、引退したら柳田國男と折口信夫の全集を読んで暮らしたいと思っていました。でも、やっぱりギリシャ悲劇も全部読まないうちには死ねないとか、あれもこれもと……。
――捨てがたいものがたくさん。
坂本:そう。やっぱりもういちど漱石全集は読みたいなとか、いろいろ出てきちゃって(笑)。
――いいですね。僕も漱石はくりかえし読んでいます。
坂本:そうするとね、そういう肝心な本が意外と家にないんです。だから減らしてるはずなのに本が増えちゃってる。断捨離しようと思ったら増えた、という話なんですけど(笑)。
――でも、本っていちど捨てちゃうとなかなか手に入らないものもありますよね。CDなんかもそうですけど。
坂本:そうですよね。僕は引っ越したときに倉庫に入れちゃった本もずいぶんあって。いちど倉庫に入れちゃうとけっきょく存在しないのとおなじなんですよ。
――目につかないし、思いたったときに出せないですしね。
坂本:そして目につかないと必要としないんですよね。だから、もう捨てたのとおなじなんです。ということは倉庫に入れるんだったらもう捨てちゃえばいいって話なんですけどね(笑)。
坂本:そういう「これだけは読んでおかなきゃ」という本がたくさん出てきちゃったので、そうするとあと20年だと足りなくて、あと30年くらい生きようかなと(笑)。
――はい、ずっと長生きしていただいて。
坂本:ええ。80歳じゃなくて、最近90歳に設定しなおしました。90歳まではとにかく生きて、読みたいものは読むというのがいちおう人生の目標なんです。だから仕事なんかしている暇はないんです、ほんとうは。
――あとはツイッターやフェイスブックを見ていると本を読まなくなっちゃいますよね。僕はやばいなと思っていて。
坂本:やばいですよね。
――頭が悪くなっていく感じがします。これはネットが悪いんじゃなくて、僕が悪いんですけど。インターネットってきりがないから。
坂本:気がつくとフェイスブックを見ているからそっちに時間をとられるでしょう。そのあいだは本を読めていないから。このあいだあえてラップトップを閉めて、わりと堅めの本、柄谷行人さんの『哲学の起源』を1時間でどれくらい読みすすめられるかテストしてみたんです。フェイスブックはだらだら見ていてもすぐに1時間経っちゃうじゃないですか。それが一生懸命読めば4、50ページはいけるとわかった。
――それは実り多き1時間ですね。
坂本:あれって200ページくらいの本なので、4時間あれば全部読めちゃうはずなんです。
――フェイスブックを4時間やめれば、その時間で柄谷行人が1冊。
坂本:そうそう。だから1日で楽勝に読めちゃうんですよ。それがわかったので、単純計算であのくらい堅い本でも1年に365冊も読めるわけじゃない、仕事をしていなければね。というわけで、仕事なんかしている暇ない(笑)。
――ふふふ。ほんとにデジタルデトックスはだいじですよね。最近は映画よく観るようにしているんですけれど、やっぱりおなじ2時間、3時間でもコンピュータなどのデバイスに向かっているときとはぜんぜん時間の流れ方が違います。
坂本:映画は意外と時間がかかるんですよね。だって本は飛ばして読めるけれど、音楽や映画って飛ばすとあまり意味がないでしょ。だけど本というのは自分の意思で速くも読めるし、遅くも読める。
――そう。べつにうしろから読んでもいいですしね。
坂本:ええ。どこを読んでもいいんです。だから本ってメディアとしてはひじょうにすばらしい。
――人の身体に負担のすくないメディアですよね。
坂本:そうなんです。どこにアクセスしてもいいし、飛ばしてもいいし、ほんとうによくできているなと思います。どう読むか、こっちの時間で主体的に決められるわけですから。
だけど音楽とか映画とか、そういうメディアは時間がもう向こうから押しつけられちゃうのでむずかしいですよね。でも、音楽にも譜面というものがあります。それで譜面はやっぱり本とおなじで、自分の意思で読む速度を変えられるんですよ。楽譜の速読ができるんです。その音楽の持つ本来のスピードの、4、5倍のはやさでいける。
――すごい。頭のなかで高速再生していけるんですね。
坂本:だからそれとおなじだと考えたら、本もテンポを5倍にはやくして読んでいけるはずなんですよ。それも最近、実験をしているんですけれども(笑)。まだわかっていないことがたくさんあるなと思っています。
――日々変化されているんですね。僕もがんばらなくちゃ。怠けずにインプットも増やして、頭も使って。
坂本:そうですよ。だから、なんでも困ったらやりかたを変えてみればいいんですよね。解決策はありますから。
──はい、困ったらそれは変わるチャンスだと考えて。きょうお話しした社会のいろんな問題にも、そういう気持ちでじっくりつきあっていきます。
【後編はこちらから】特別公開:坂本龍一さん3万字インタビュー後編「この日本という国では『やめる』という決定を誰もできない。撤退ができない国なんです」
註:インタビューは2013年に行われており、当時の情報をもとにしています。書籍からWEB原稿に改めるにあたり、漢数字を算用数字に改め、10年が経ち意味が伝わりづらくなっている用語については一部補うなど修正を加えました。