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坂本美雨さん「ただ、一緒に生きている」インタビュー 娘へ、お互い楽しく生きましょう

坂本美雨さん

心を客観的に解体して

―― 6年間の育児連載をまとめた一冊。完成したものを見て、改めてどんな思いですか。

 「はじめに」にも書いたんですけど、本当にいろいろなことを忘れているなあと。連載当初のものを新鮮な気持ちで読みました。忘れてしまうから書いて良かったなと思います。写真もいっぱい撮っておいたのですが、それも良かったなと。

――美雨さんの娘・なまこちゃん(愛称)への視点がとても冷静で、観察しているように感じました。子育ては近い距離で接する分、熱量があがってしまったり、冷静さを欠いてしまったりすることが多い中、その温度がとても新鮮でした。

 そうですね。その時そうでなくても、書く時は客観的にならざるをえないんですよね。連載の途中からは、私の心の動きだったり、自分の中の違和感だったり、そういったものを掘り下げて書きたいと思うようになりました。「なぜあれが引っかかったんだろう」と心を客観的に解体して探らないと分からないことが多かったので、客観的に見えたんだと思います。連載で書く機会があったから、それができたと思います。

 私は、人のエッセイを読むのが日ごろから大好きなんですよね。出来事の隙間にあるような、名付けられない感情を書きたい。そういうものを途中から目指していました。

小さな価値観に縛られない

――妊娠してから読み始めたという一冊、児童精神科医の佐々木正美さんの本『子どもへのまなざし』の言葉がとても興味深かったです。「叶えられれば叶えられるほど相手を信じるし、自分を信じるし、世界を信じる」という言葉は、読んでいてズシリときました。

 すごいですよね。佐々木先生が活躍されていた昭和の時代って、「抱っこぐせがつくから抱きすぎは良くない」とか言われていましたよね。その頃から、はっきりと「叶えてあげることが大切」と掲げていた。どこまで叶えてあげればいいんだろうと思う人もいるかもしれませんが、子どもはいつか自立していくもの。いつまでも人にやってもらいたい生き物ではないので、叶えてもらうことで満足したら「自分でやってみたい」と自然となっていくと思うんです。それが人間の欲望であり、備わっている本能というか。甘えた大人になってしまうんじゃないかと危惧することはなかったですね。

 もちろん、その過程で甘やかしすぎる親として見られることも紙一重だと思います。「ちょっと甘やかしすぎた」と思うと急に厳しくすることもあったり、方針が揺らぐこともありますよ(笑)。

――理論物理学者の佐治晴夫さんとの対談も面白かったです。視野が宇宙単位になり、命の誕生がどう始まっているか、子どもを持つことが「循環」であること、「子どもは私有物ではない、一時預かりの存在」という考え方も、改めてハッとされられました。

 急にヒューッと宇宙目線に持っていってくれると、気持ちが楽になりますよね。自分の小さな価値観に縛られてはいけないと思います。日本だと「母親が育てる」みたいな傾向がありますよね。あと、いつまでも親が子どもの責任を取るという風潮も強い。例えば芸能関係の人が悪いことをした時に、子どもが成人していたとしても親が記者会見をしたり。子どもは親とは別の人間で、別の人生があるはずなのに不自然でしょう。これは日本の国民性にも結びついているような気がします。社会はもちろん生活、政治的な部分でも根付いて地続きになっているからこそ、子どもは親の管理下にあり、何かあれば親の責任という意識が強いんだと思います。

――美雨さんは、なまこちゃんが生後半年になった頃から「巣立ちまでのカウントダウン」を意識していました。はっきり「自分とは別の人生、人格を持った生き物だと感じている」と書かれている一方で、子どもに固執する愛情や母性といったものを、ご自身で感じることはありますか。

 私はべったり、ねっとりしています(笑)。子離れができないタイプの母親ではありますね。でも感覚として「全く別の人間である」「所有物でもないし、コントロールもできない」という覚悟みたいなものが強くて、だからこそ生まれてすぐから離れていくことを意識していたのかもしれません。

 生後半年の時に連載にも書いたんですけど、20歳で独り立ちするとしたら「もう40分の1が過ぎたのか!」と。そう思って毎日を過ごしています。生まれた瞬間からカウントダウンを考えるあたりは、自分の性質そのものだと思います。終わりを見据えた愛し方というか、愛に対するトラウマや執着にも近いものがあります。

兄のこと、父のこと、母のこと

――書き下ろしの部分では、今まで自ら語ることがなかった父親の坂本龍一さん、母親の矢野顕子さんのエピソードが多く綴られていました。30年ほど前の出来事にも関わらず、育児エッセイのパートと同じ密度や彩度で書かれており、記憶力の凄さに驚きました。

 時間とページが許せば、まだまだ書けたと思います。最初は思い出せなかったんですけど、当時の写真を見たりすると記憶がどんどん膨らんで、思い出せるもんだなあと改めて思いました。父のイギリス土産のぬいぐるみ「かわいいしんけんちゃん」から始まり、兄のこと、父のこと、母のこと。写真を見ながら記憶をたぐる作業でした。

――特に衝撃的だったのが、坂本龍一さんとのエピソードでした。兄と美雨さんに関わる、とある大きな事実を打ち明ける坂本さんに、冷静に対応する美雨さんが13歳とは思えないほど大人に見えました。

 どんな時も客観的に見るクセはありますね。その時の状況を上からひゅっと俯瞰で見ているというか。ちょっと冷たいというか、残酷な部分もあるような気がしています。いろいろな人の気持ちを瞬時に想像してみると、誰にも悪意がないのが子どもでもわかるので、しようがないことなんだなと。

――そう考えるようになったのは、やはり育った環境からですか。

 優先すべきことが自分以外にあるという環境がそうさせたのかもしれません。親がレコーディングしている、コンサートが間近だ、そんな時は子どもであっても音楽を優先すべきだ、と本能的に思うんですよね。親や大人たちが集中して何かやっていると、今は静かにしようと思ったり。そういう気配を察することで、そうなったのかも。

――状況を読む力、空気を読んで今何をすべきか察知する力でしょうか。

 周りの大人が親に対して、そんなふうに接していたからなのかもしれません。マネージャーやレコード会社の人、ドライバーさん。親をサポートしている人は、親が何を必要としているか察しているわけで。

 例えばマネージャーは、なんでも出てくる大きなポーチをいつも持ち歩いているんです。お醤油とかもさっと出してくる(笑)。そういうのを見ていると、「今何をしなくちゃいけないんだろう」「相手が何をしたいんだろうと」と自然と考えるようになるんですよね。母に対しても「この荷物、持とうか」という、子どもらしくない動きになる(笑)。この人がいいパフォーマンスをするために何が必要か。それを優先してきたように思います。

――話を聞いていると、その考え方は子育てにも通じることなのかもしれないと思いました。

 そうかもしれないですね。そんな粋なサポートをしていきたいですね。

――矢野顕子さんから繰り返し言われていた「人の中では率先して働きなさい」「世界の中心が自分だと思うな」という言葉も印象的でした。

 有名人の子どもだということを、変に鼻にかけて過ごして欲しくないという思いがあったんだと思います。あと、彼女自身も恥ずかしい体験や若気の至りをたくさんやってきた。そこで学んできたことを分け与えてくれたんだと思うんです。

楽しく生きてくれたら

――現在、坂本龍一さんは闘病されていますが、どんなふうに感じていますか。

 「作ること」が生命力にもなると思うので、最後まで楽しく作ることに喜びを感じながら生きてくれたらいいなという気持ちは、娘への気持ちと変わりません。

――家族への思いは、誰に対しても同じということですね。

 きっと彼らが私に対して思っていることでもあると思うんですよね。何もできることはないけど、楽しく生きましょう、と。

――なまこちゃんは小学生になりました。リアルなカウントダウンが始まったようにも感じますが、今どんな思いで見守っていますか。

 彼女の気の強さだったり、物言いの強さだったり。優しさはあるのに、それをうまく出せないところが気になっています。ツンデレのツンの多さを、どう導いてあげるか。場の空気を読む力が長けている一方で、もっと素直になっていいのにな、と思う時もあります。できることがどんどん増えて、「私を助けてあげよう」「誰かの役に立ちたい」という気持ちも強いんですよ。優しいところと心配なところと(笑)、両方が育っていると思います。

 小学生になり友達関係や新しい世界で、私に見せてない部分もたくさんあるはず。私に言えないことでも、学校の先生や知り合いのお姉ちゃん、友達、この人になら話せるという存在がたくさんあればいいと思います。それが逃げ場になりますから。私の友人でもいいんですよ。彼女側からみると、年の離れたおじちゃんおばちゃんかもしれないけど、年が離れていても馬が合う人っていますから。私の友達とも私を介さずに直接仲良くなってくれたら嬉しいです。たくさんの人に会って、遊んだり、叱ってもらったりして、大きくなってくれたらいいですね。

――このエッセイの続きが、まだまだ読みたいです。なまこちゃんの成長に合わせて変化する、美雨さんの心の分析も楽しみです。

 心の内側を解いていくと、やっぱりコンプレックスとかトラウマ、自尊心にぶつかるんですよね。でも、子育てをする中で、娘を通して自分の中の「小さな女の子」を発見して、時を超えてちゃんと可愛がってあげるような感覚がある。娘が、小さいわたしを抱きしめてくれるような、救われる気持ちもあって、この本ではそんなことが書きたかった。娘の存在が自分と向き合わせてくれていて、何歳になってもそうなのかな、と思います。