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かっこよくて、楽しそうに見えたからフェミニストになったんだった――金田淳子さん・評『躍動するゲイ・ムーブメント』

記事:明石書店

本書169頁に掲載しているゲイバー「アドニス」跡地(新宿区歌舞伎町)の写真。左から石田仁・南定四郎さん・三橋順子。鹿野由行撮影。2022年4月22日新宿巡見にて。
本書169頁に掲載しているゲイバー「アドニス」跡地(新宿区歌舞伎町)の写真。左から石田仁・南定四郎さん・三橋順子。鹿野由行撮影。2022年4月22日新宿巡見にて。

 私はインタビュー記事や、複数人の対話で構成された文章を読むのが苦手だ。特に自分がその分野に疎い時、博識な登場人物たちが何について、何を問題として、どういうスタンスでしゃべっているのか、理解が難しくなることがあるからだ。

 そういうわけで、現在90代、60代、40代になる、日本のゲイ文化を担ってきたキーパーソン3人に対する聞き取りをまとめた本書は、ほとんど予備知識がない私にとって、正直言って難解な部分があった。初めて知ることが多すぎて、まるで外国語のように見えてしまう箇所もあった。それでも自分なりに「なるほど」「面白い」と思った箇所に付箋をつけながら読んでいき、数時間かけて読み終わった時には、本が付箋だらけになっていた。

 本書は、日本の男性同性愛の戦後史や、LGBTQの社会運動について研究している方々にとっては、私が改めて強調するまでもなく必携の書だと思う。完全に門外漢だった私も、本書を読んだことにより、このテーマについて「知ってる人」のふりができる気がしている。

 しかし性的マイノリティという分野に限らず、なんらかの社会運動にコミットしている人、なんらかのプロジェクトに多くの人を参加させたいと思っているビジネスパーソン、さらに言えば、他人にある種の知識や意見を広めたくて(他人の考えや行動を変えたくて)ツイートするような、ごくありふれた人々、つまりあなたや私にとっても、この本にはヒントが散りばめられていると思う。

『躍動するゲイ・ムーブメント:歴史を語るトリックスターたち』(明石書店)
『躍動するゲイ・ムーブメント:歴史を語るトリックスターたち』(明石書店)

ゲイによるゲイの雑誌『バディ』から学べること

 例えば、60代のマーガレット(小倉東)さんが語ったこの部分。

 結局[『薔薇族』は]、ノンケがゲイに稿画料も満足に払わないで、ゲイから原稿集めたもので作って、売上げを全部ガメてるっていう思いがあった。だからそうじゃなくて、ちゃんとゲイの作家さんにも稿画料も支払うような雑誌を作ろうっていうんで立ち上げたのが『バディ』だから。(p.232)

 不勉強ながら、ゲイの専門誌『薔薇族』が、作家が遠慮するのをいいことに稿画料を満足に払っていなかったことを私は初めて知った。後発の専門誌『バディ』が、『薔薇族』のそのような体質を批判し、ゲイの作家さんに稿画料をちゃんと払うことをひとつの目標として創刊されたことも初めて知った。

 ゲイ雑誌に限らず、「社会的な意義があるから」「他に載せる場所がないから」「あなたも好きでやっているから」などと、いろんな理由をつけて、適切な対価を払わず労働の成果物をかすめ取ろうとする人はどこにでもいる。もしかすると、マイナーな題材を扱う業種ほど、競争にさらされることが少ないため、末端の労働者が搾取される度合いは高くなるかもしれない。

 「ノンケ」が編集長である『薔薇族』が稿画料を支払わなかった一方で、ゲイによるゲイの雑誌『バディ』がしっかり稿画料を払いつつ、誌面に工夫を凝らして売上面でも『薔薇族』を抜いたという歴史的事実には、大いに学ばされ、勇気づけられた。

楽しいことを享受させながら、人を変えていく

 現在40代のケンタさんが語る次の部分にも、なるほどと思った。

 そこで徐々に自分の考えも変わってきていて、「自分たちがオープンになって露出をしていかないと、カミングアウトがしやすい状況ができていかないのだ」ということを理解はしてきたわけ。それに伴って、札幌ミーティングはいろんな真面目な活動ばかりをしてきたけど、かたやカミングアウトをしていない友達も僕にはいたわけじゃない? 真面目な活動ばかりをやっていて、その人たちが変わっていくかといったら変わっていかなかったわけ。ますます態度が硬化していったの。なんとなく「真面目なことばかりしていても、人って変わらないんじゃないかな」と思ったの。楽しいことを享受させながら、人を変えていくという方法のほうが早いんじゃないかと思ったんだよね。(pp.349-350)

 ここでつい、我が身を振り返って恥ずかしくなってしまった。

 私にとって最も身近であり、当事者であるとも思っている社会運動はフェミニズムだ。20代半ば頃からは折に触れてフェミニズムを語り、仲間を増やそうとしてきたわけだが、相手がそれを受け入れるコンディションにあるかどうかも考えず、「説教」「論破」のような態度になってしまうこともあった。私なりに「真面目な活動」だと思っていたのだが、そのような態度で接していては、相手も「ますます態度が硬化して」しまうだろう。

 今にして思えば、自分がフェミニズムにのめり込んでいったのも、差別された経験についての憤りだけでなく、フェミニストの先輩たちの言葉、姿、生き様がとてもかっこよく見えたからだ。私も「真面目な活動」だけでなく、自分にとってかっこよく、楽しそうに見えたからこそフェミニストになったのだ。

社会運動では「生活を含めたサービス」が大事

 最後に、本書で私が最も感銘を受けた部分を引用したい。南定四郎さんが1984年にビル・シュアー(来日していたゲイアクティビスト)と話し、運動に対する考え方がガラッと変わったというくだりだ。

 ──日々の実践みたいな言葉が出てきますが、ビル・シュアーの前というのは日々の実践自体が。
 ないの。だってサービスなんて何もないんだから。自分が男引っかけるとかさ、そんなことしか考えてないんだからね。ゲイ解放運動というのはセックスの自由だと考えていたから。
 ──セックスの自由だけではないということですよね。生活も含めて、という。
 生活を含めたサービスが大事だからということに目覚めたわけね。そうするといろいろな方法やアイディアが出てくる。食べ物の他にもサービスということを考える。またそれで人を呼べるんですよ。(p.142)

 南さんはこの後、ゲイの電話相談や、地域の高齢者への食事の宅配など、様々なサービスを実行していく。

 恥ずかしながら私も、社会運動といえばまず「デモ」「投票」など直球の政治的行動が思い浮かびがちで、生活を含めたサービスという、もっと大きな部分に気づいていなかった。サービスが大事だということがわかっていても、それは行政がやるべきことで、陳情や投票行動などで訴えかけていくべきだ、というかなり迂遠で、他人任せなことを考えていた。現在91歳の南さんと比べ、私は全く若さのない、古くさい人間だった。いま気づけて本当に良かった、得したなと思う。かといってすぐに何かサービスを立ち上げる若さはないのだけれども。

 自分を変え、他人を変え、社会を変えていくのは容易なことではない。そんな難事業に人生をかけて取り組んできた、世代の違うトップランナーたちの語りに、多くの人が触れてほしいと思う。本書は決してビジネス書ではないが、凡百のビジネス書にまさる発見があるはずだ。

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