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医学と宗教が共にめざす「癒しとは何か?」 ――杉岡良彦著『共苦する人間』は医学と宗教の協働を探る(前篇)

記事:春秋社

医学の先達たち――ガレノス、アヴィケンナ、ヒポクラテス
医学の先達たち――ガレノス、アヴィケンナ、ヒポクラテス

1.宗教が引き起こす社会的問題とアンタッチャブルな領域としての宗教

 2022年から2023年にかけて、宗教をめぐる問題が社会で大きな注目を集めるようになった。決定的なきっかけは2022年7月に起きた安倍元総理の襲撃事件である。その実行犯の動機の背景には宗教の問題があった。実行犯の母は、旧統一教会に多額の献金を行い、そのことが家族を経済的に追い詰めた(容疑者母が旧統一教会に「献金1億円超」 親族が証言、夫の保険金も:朝日新聞デジタル (asahi.com)2022年7月13日記事)。

 この事件が一つのきっかけともなり、「宗教2世」とよばれる人々の苦しみにも社会の関心が向けられ、当事者もメディアで自らの苦悩を赤裸々に語る機会も生まれてきた。しかし、これまで公的機関も教育者も宗教2世の苦しみに充分寄り添えてこなかった。それは宗教が個人や家族の問題と考えられてきたからだ。この点について、同志社大学神学部の小原克博教授は、憲法20条の第三項において「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と記されていることを指摘する(“宗教”とどう向き合うか ~宗教2世の苦しみを理解するために~ 専門家インタビュー - 記事 | NHK ハートネット2023年2月20日記事)。そして「戦後は公教育からは宗教教育を一切排除することになった」とし、日本において宗教に関する知識(宗教リテラシー)そのものが低下している現状に警告を発している。

 小原教授が指摘するように、われわれは「宗教リテラシー」が低下した日本社会の中に生きている。一方で、1995年のオウム真理教による地下鉄サリン事件をはじめ、宗教にかかわる様々な社会問題が取り沙汰されている。いったい、われわれは宗教をどのように理解すればよいのであろうか。現在に生きるわれわれには改めて「宗教とは何か」を問い直す必要性が高まっている。宗教を問い直すことは、宗教学者にとってだけではなく、多くの人々にとっても重要な課題なのである。

 『共苦する人間』は、こうした社会的状況の中で出版されることになった。本書は、副題にもあるように、宗教と医学の関係を問うものである。医学という「科学」において、多くの人々が――とりわけ日本において――宗教を取り上げることさえ避けてきた領域において、医学と宗教の関連を論じることに挑戦した。

2.医学の全体像と本書の基本的立ち位置

 なぜ、あえてこうした課題に挑戦するのか。そこには個人的要因および学問的必然性がある。前者に関してはここでは触れないが(「あとがき」には概説した)、後者については、著者の学問領域が「医学哲学」であることと深く関わる。

 「医学哲学」は、一言で言えば「医学とは何か」を問う学問である。日本においてこの学問は、澤瀉久敬おもだかひさゆきによって1940年代から60年にかけて構築された。一方で、京大農学原論講座初代教授の柏祐賢かしわすけかたは「農学の哲学」としての『農学原論』(1962)を上梓した。筆者はこれら二つの「科学哲学」から大きな影響を受けた。そして本書『共苦する人間』では医学が「実学」であることを強調し、医学を「「科学論」「人間観」「医療倫理・制度」という座標軸に規定されながら、実現すべき「価値」を目指す学問」であると理解した。

 医学の全体像をこのように理解するなら、医学は科学の単なる応用ではないことは明らかである。医学には人間観や倫理、価値の問題が関わる。そして、これらの課題を論じてきたのは、伝統的に「宗教」であった。だとすれば、医学とは何かを問う医学哲学は、宗教と医学の問題を避けることはできないのである。

 もちろん、宗教と医学を論じる際に、その論じ方にはさまざまな立場が想定されるが、本書の特徴は、この問題を医学哲学の立場から論じた点にある。

3.共苦する人間とは何か

 本書は全部で13章からなり、結果的に400頁を超えることになった。「宗教と医学」というテーマに関心はあっても、そのボリュームから、読む意欲がそがれるという読者も少なくないかもしれない。そこで、本書の結論といえる内容をまず示したい。それは「共苦する人間」(Homo compatiens)である。宗教と医学がともに共有できる人間観として本書では「共苦する人間」という理解を提示した。

 正直なところ、執筆の最初から結論が決まっていたわけではなく、タイトルも決まっていたわけではない。しかし、原稿をまとめる中で、どうしてもタイトルは「共苦する人間」でなければいけないと思うようになった。そして、今でもこの選択は間違いではなく、本書の基底に響き続けるテーマを表現した概念だと考える。

 では、本書で提示した「共苦する人間」とはどのような内容であろうか。本文から引用したい。

 宗教者にも医療者にも共に要請されるのは、(中略)苦悩する「病む人」(隣人)と「共苦」することではなかろうか。われわれは人生の様々な苦難に対してあまりにも無力であり、他者の痛みに対してあまりにも無関心であり、残酷である。だからこそ、人間が他者に何もできないと感じる時こそ、われわれは病者や苦悩する人たちにただ寄り添い、「共に・苦しむ」(com-passion)ことが求められている。(『共苦する人間』381頁)

 本書において、共苦概念に至るきっかけは、ショペンハウアやドストエフスキーではなく、精神科医のV.フランクルであった。彼は人間を「苦悩する人間」(Homo patiens)と理解した。しかし、人間は本質的に一人では生きていくことができず、苦悩する人間は同じように苦悩する人々とのかかわりの中で生きている。よって、われわれは人間を「共苦する人間」として理解できるのではないか。「人間が他者のために共に苦悩できることは素晴らしい人間の能力であり、業績」であり、「こうした人間の本質が顕在化するのが医療の現場」(同、382頁)なのである。

 たしかに、宗教が述べるように、救いは超越者によってもたらされるのかもしれない。しかし少なくとも医療においては、患者と医療者、つまり人間と人間が共苦するその「あいだ」に、すでに「救い」が生まれているのではなかろうか。宗教の救いが超越者と人間との関係における垂直的な次元で生起すると表現できるなら、医療での救いは人と人との間の関係における水平的な次元で生起するともいえる。(中略)宗教と医学は、それぞれ固有の方法や対象領域を有する。そして両者は、厳しい試練に直面した人間と人間が共苦しながら「救済」と「治療」を目指して協調しあう相補的かつ実践的領域なのである。(同、382頁)

 以上が、本書の結論である。こうした基本的な人間理解が、本書全体の基底に流れている。それは宗教と医学の関係を詳細に検討する過程において、明らかになってきた概念である。

4.宗教と医学の関係と科学

 以下では、本書の要点を紹介しながら、宗教と医学の問題を考えたい。

 聖路加国際病院院長などを歴任した医師でキリスト者でもある日野原重明(1911‐2017)は、「医術の起源は、宗教と同じように、人間の苦しみを取り去ることであったため、 宗教家が同時に医師でもあった」(『現代医学と宗教』1997、80頁)と指摘している。

 歴史的に見れば、宗教者が医療者でもあった。救いの一部として宗教の中に医術は含まれていた。西洋では修道士たちが現在の病院の基礎を築いた。それはキリスト教における隣人愛の実践であった。しかし、近代科学の発達は、人間をより生物学的な観点から理解するように人々を促してきた。

 宗教と医学の問題を論じるにあたり、本書では先に述べたように医学の全体像から出発する。そこで、まず医学における科学の立ち位置について考えてみたい。医学は科学であるし、科学であるべきだと著者は強く考える。そうではないと、医学の分野には様々な「疑似科学」が入り込むからだ。しかし、「医学における科学」という問題は、いまだ多くの人々の誤解が根強いテーマでもある。医師は実験室での研究結果だけを重視するのではない。もちろん基礎医学が重要であるのは、分子生物学が現在の医学に果たしてきた役割(抗がん剤の分子標的治療薬や新型コロナウイルス対策で活躍したmRNAを用いたワクチン開発など)を考えただけでも容易に理解できる。しかし、現代医学の科学観には、パラダイムシフトがすでに生じている。それは、EBM(Evidence-Based Medicine)という概念が1990年代初めに台頭したことに端を発する。EBMによれば、医学で重要なのは、疾患や生理現象の生物学的メカニズムよりも、むしろ人を対象とした実際の治療効果や予防効果なのだ。この意味で医学はプラグマチズムと極めて近い立場にある。そしてEBMは、宗教と医学の関係にも予期せぬ風穴を開けた。礼拝に出席する頻度、聖書を読む時間、神への信仰の強さなどを自記式の質問票を用いて数値化し、一方で様々な疾患や死亡率などとの関係を評価する。こうしたEBMを支える臨床疫学の方法論によって、宗教による健康影響が明らかにされてきた。本書では、これらの研究成果をいくつも紹介している。こうした科学的研究結果に基づけば、かつてフロイトが警鐘を鳴らしたような理解、つまり宗教は人類の神経症であり、人間が克服すべき対象という理解は、現在の医学では正しいとは言えない。

 後半では、本書の内容を紹介しつつ、宗教と医学の問題をさらに考えてみたい。

(後篇はこちら)

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