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「中国」とは中華人民共和国のみにあらず――豊潤な華僑・華人の世界

記事:明石書店

アメリカ・サンフランシスコの飲茶レストランで食事を楽しむ華人たち(『華僑・華人を知るための52章』より)(撮影:山下清海)
アメリカ・サンフランシスコの飲茶レストランで食事を楽しむ華人たち(『華僑・華人を知るための52章』より)(撮影:山下清海)

 華人のネットワークは全世界に広がり、チャイナタウンも各地に存在する。その実態と魅力を知る最新の入門書が『華僑・華人を知るための52章』だ。本書は華僑・華人社会の歴史や経済・文化・政治について網羅したものであり──。

 と、内容を微に入り細を穿って紹介するより、同書が描く在外華人の世界はいかに魅力に溢れたものか、本稿では私の体験をもとに書いていくことにしよう。

 著者の山下清海氏は、長年にわたり活躍してこられた華僑・華人研究の第一人者だ。私はかつて東洋史を専攻していた学生時代に華南の歴史に関心を持っていたことから、同氏の著書や論文にも目を通してきた。そして、浅からぬ影響を受けてきた。

 ゆえに私自身、これまでに日本国内の各地はもちろん、バンコク(ヤワラート)、ホーチミン、マニラ、ヤンゴン、マレー半島各地、コルカタ、パリ(4区と13区)、ロンドン、アムステルダム、バンクーバー、トロント、ニューヨーク、ワシントンD.C.……と、旅行や海外取材のたびに世界各地の華人コミュニティを訪れてきた。

 そのなかでも最もお気に入りなのが、2022年11月に尋ねたサンフランシスコのチャイナタウンだ。ここでは「三藩市華埠」と現地風に呼ぶことにしよう。

サンフランシスコの「華人の空間」

 三藩市華埠の大きな魅力は、街全体が「華人の空間」として現役で稼働していることである。もちろん観光客向けの土産物販売も活発だが、日本の三大中華街(横浜・神戸・長崎)と比べると、現地の非華人に向けた観光地化は限定的だ。かといって、マニラやコルカタのチャイナタウンのように、漢字の看板の肩身が狭く感じられるほど現地に同化しているわけでもない。

 店内で広東語が乱れ飛ぶ安食堂のテレビでは、翡翠台(香港のテレビ局)のニュースが流れ、お客たちは華人ばかりである。八百屋や魚屋では店先に食品が溢れ、段ボールに漢字で商品名が殴り書かれている。旅行会社の窓には「三藩市⇔羅省」と、広東語の地名で表記されたロサンゼルス行きの長距離バスの案内書き。公園に行くと、中高年の男たちが人だかりを作っており、その中心には少額の扑克牌(トランプ)賭博に興じるくわえタバコの老人の姿……。

 いっぽう、「歴史」も大きな魅力である。三藩市の華埠は、たとえば東京の新大久保や池袋で見られるニュー・チャイナタウンや、カナダの郊外の住宅街などとは違って、中華人民共和国出身のニューカマーたちだけがビジネスや生活を営んでいる空間ではない(もちろんニューカマー系の街も“それはそれで好き”なのだが)。

 三藩市の華埠では「花県会館」や「陳氏総親会」、さらには海の女神の媽祖を祀る天后廟といった、華南出身の古い華人たちの地縁・血縁や信仰にまつわる施設が、20世紀前半までに建てられた趣のあるビルにいくつも入居している。

 建物の屋根は、中華人民共和国の国旗である五星紅旗と中華民国国旗の青天白日満地紅旗が数多くはためき、見たところ数は五分五分だ。街には「中国国民党駐美国総支部」と壁に大書された巨大な建物と、それに併設された古めかしい国父紀念館(孫文記念館)も鎮座している。

三藩市華埠の様子。(左)空を覆う米国旗と中華民国国旗。五洲洪門の周囲の路地は彼らの縄張りなので民国派が強い。(右)広東系の肇慶會館と天后廟が同じ建物内にある。どうやら彼らも民国派のようだ。(撮影:安田峰俊)
三藩市華埠の様子。(左)空を覆う米国旗と中華民国国旗。五洲洪門の周囲の路地は彼らの縄張りなので民国派が強い。(右)広東系の肇慶會館と天后廟が同じ建物内にある。どうやら彼らも民国派のようだ。(撮影:安田峰俊)

秘密結社・洪門を訪問する

 中華民国より、もっと古い存在も息づいている。

 それは華埠の新呂宋巷(Spofford Alley)にある五洲洪門致公総堂だ。この洪門(天地会、致公堂)は、前近代の華南で成立した秘密結社で、清末に海外に出稼ぎに出た華人の相互扶助組織として、北米と東南アジアに大きく広がった。なかでも三藩市華埠の五洲洪門は、かつて孫文の支援者として知られた黄三徳につながる組織であり、「洪門の正朔(正統)」をもって任じている。メンバーの多くは広東人だ。

 アポイントメントを取って実際に尋ねてみると、3階のホールの中央に洪門の五祖や関帝を祀る紅花亭があり、壁には洪門の掟や歴代のリーダーの写真などが所狭しと掲げられていた。堂内の小部屋には、孫文が使っていたという机も残っている。往年、黄三徳は辛亥革命後に孫文と決別しているが、現在の五洲洪門は、むしろ孫文の革命事業に協力した歴史を誇りとしている。

 ちなみに、現在の世界各地の洪門組織は大部分が中華人民共和国を支持しているのだが、五洲洪門は例外的に中華民国派で、かつ「反共」が旗印だ。盟長(リーダー)の趙炳賢をはじめ、米国籍ながらも中国国民党員であるメンバーも多い。華埠のあちこちの建物を彩っている民国国旗も、彼らが民国派の影響力を大きく見せるため、積極的に掲揚して回ったものらしい(逆に近年は米中関係が緊張し、五星紅旗を堂々と出す建物は以前よりも減ったそうだ)。

「せっかく来たんだ。昼飯でも食べていきたまえ」

 致公総堂の見学後、趙炳賢と洪門の仲間たちにごちそうしてもらった食事は、驚くほど美味しかった。彼らいわく「洪門人は洪門人のレストランに行く」そうで、「三藩市の美味い広東料理は香港よりも美味い」。まったくその言葉通りであった。

五洲洪門致公総堂の堂内。(左)中央にあるのが紅花亭。(右)壁には過去のリーダーの写真やメンバーの記念写真が数多く飾られている。(撮影:安田峰俊)
五洲洪門致公総堂の堂内。(左)中央にあるのが紅花亭。(右)壁には過去のリーダーの写真やメンバーの記念写真が数多く飾られている。(撮影:安田峰俊)

「この街はタイムマシーンみたいなものだから」

 三藩市の華埠には、中華人民共和国のみならず中華民国も生々しく存在し、さらには清朝の残り香さえも漂う。やがて、五洲洪門の関係者を通じて知り合った、三藩市在住の浙江人の元大学教授に「ここは中国よりも中国っぽさを感じます」と感想を伝えたところ、こんな答えが来た。

「ああ。この街はタイムマシーンみたいなものだから」

 ちなみに彼の祖父は中国同盟会員であり、父も蒋介石の秘書を務めて国府政権の要職を歴任した人物だった。彼自身も在米の国民党員の重鎮で、名族出身ゆえに台湾の党幹部たちにも顔がきき、とりわけ前総統の馬英九とは長い付き合いらしかった。

「李登輝は優秀な人間だが、狡猾なポピュリストだった。あいつが中華民国のプリンシプルを破壊したのだ。洪秀柱は出身派閥がすこぶる良いが、中国共産党と近付きすぎる。朱立倫は優等生だがそれゆえに迫力がない。馬英九はなあ、彼に欠けていたのは──」

 20世紀後半以降、中国大陸は社会主義化と改革開放政策を経て大きく変容したが、台湾の中華民国もまた、過去30年以上にわたる民主化と台湾化の進行で性質を変えた。

 台湾ではすでに失われた、中国大陸の国家たる中華民国の「プリンシプル」がまだ残るのは、実は海外の民国派華人たちの世界だ。三藩市はそのなかでも、最も巨大な残存地域のひとつだった。

華僑・華人という豊潤にして飽きない世界

 この三藩市華埠の濃厚なエピソードは、たった2日間の出来事であった。

 他にも、コルカタのチャイナタウンで野良犬を追い払ってくれた華人の中年女性に客家語で話しかけたら通じて喜ばれたとか、中国大陸を陸路で脱出した民主活動家たちの取材をバンコクのヤワラートを拠点におこなうことができたとか、近年のジャーナリズム界隈で話題になっている中国当局(福州市公安局)の海外派出所の情報を得るために江戸川区の福清人のスナックで聞き込みを続けたとか、各地の華人コミュニティごとにそれぞれ面白い話がたくさんある。

 私がこうした豊潤な世界のなかで動き回るようになったのは、元をたどれば山下清海氏の著作を通じて、華僑・華人の視点を知るようになったためと言っていい。「中国」とは、中国大陸にある中華人民共和国のみを指している言葉ではなく、海外の華僑・華人も含めたより広くて柔軟な概念だ。ゆえに、たとえ世界のどこに行っても形を変えて出会うことができる。常に多くの刺激と知見をもたらしてくれる。

 本書『華僑・華人を知るための52章』は、そんな「中国」を知るうえでの、新たな入り口となる書籍だ。より多くの人が、本書をきっかけに新たな世界を発見できることを望んでやまない。

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