横浜に生まれ育った。小さいころ、親戚が集まって中華街で食事をするのが楽しみだった。
中国近代史を専攻する大学院生だったとき、「どうして、ここに中華街があるんだろう」と思った。関東大震災と横浜大空襲のため、史料はほとんど残っておらず、自ら調べ始めた。
幕末、日本は米英仏蘭露と条約を結び、開国した。だが10年後の1869年、横浜外国人居留地の中国人は1002人で、条約を結んでいないのに、外国人の6割近くを占めていた。
「この人たちのことがわからないと、横浜の近代はわからないのでは」と、研究を続けた。
中国人は、開港とほぼ同時に欧米商人に伴ってやってきた。商品の売買など、欧米人と日本人の仲立ち的な存在から、独立して商売を始める者が出る。洋裁や洋館建築の職人もいた。
いま中華街になっているのは神奈川奉行が横浜新田を造成した地区で、最初は欧米人がパン屋などを営んでいた。そこへ次第に中国人が集まり、守り神の関帝廟(かんていびょう)もでき、1870年代には中華街が形成される……。
これらを、横浜で発行されていた英字新聞や外国人年鑑など様々な史料で跡づけていった。
「一つ一つは、人名や数字の羅列ですが、丹念に照合すると見えてくるものがあります。史料でしか見ていなかった人の子孫と、お会いしたことも」
71年に日清修好条規が結ばれたが、94年に日清戦争が勃発、人口の約3分の2が帰国した。再来日は早く、発展を続けたものの、1923年の関東大震災で中華街は倒壊・焼失する。死者約1700人。阪神地域や本国への避難者が多く、人口は135人まで減った。その後回復したが、満州事変、日中戦争へ。
「試練を乗り越えてきた160年です。横浜中華街と華僑社会は、ホスト社会の日本に受け入れられてきました。違いを恐れず、プラスととらえる。この歴史を明らかにすることは、外国系の人々との共生を考える上でも、意味があると思います」
4月、28年勤めた横浜開港資料館調査研究員から、横浜ユーラシア文化館副館長になった。
「道路を一つ渡って、さらに中華街に近くなりました」(文・石田祐樹 写真・倉田貴志)=朝日新聞2018年11月3日掲載
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