世界17ヵ国で翻訳・出版の話題のバンド・デシネ『LA BOMBE 原爆』著者インタビュー【後篇】——なぜ人類史上最悪の兵器が生まれたのか
記事:平凡社
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【前篇はこちらから】世界17ヵ国で翻訳・出版の話題のバンド・デシネ『LA BOMBE 原爆』著者インタビュー【前篇】——広島への原爆投下までを克明に描く
——下巻の「あとがき」の中でこの本が出来るまでの経緯について述べられておられますが、改めて、この『LA BOMBE 原爆』という超大作を作ろうとしたきっかけをお話しいただけますか。
ディディエ・アルカント(以下、アルカント):インタビューの冒頭で少しお話ししましたが(前篇に掲載)、とある日本人の少年との出会いがきっかけでした。当時私は8歳でした。その日本人の少年の父親は研究者で、中世フランドルの農業に関する博士論文を書くために、家族でベルギーに来ていたんです。私とその少年はすぐに意気投合しました。その少年、カズオ(*東京大学東洋文化研究所教授の森本一夫氏)は自分の国をとても誇りに思っていて、日本の絵葉書や観光パンフレットをたくさん私にプレゼントしてくれていたんです。カズオはよくサムライや新幹線などについても話してくれ、私は日本の虜になってしまったのですが、残念なことに、カズオは両親を連れて日本に帰ることになりました。
私の父は地理学者でした。幸運にも、日本で半年間働くことになり、母、兄、私は父と合流して1981年12月に1カ月間だけ日本で暮らすことになったのです。福岡、東京、京都、そして広島を訪れました。広島では広島平和記念資料館を訪れたのですが、当時ほとんど何も知らなかった私にとって、この惨劇の恐ろしさを知ったことはあまりにも大きな衝撃でした。資料館に展示されている被爆者が描いた絵、住友銀行の階段に描かれた影……。それらを目にしてから、原爆のことが頭から離れませんでした。
広島を訪れてから2年後の1983年、『Gen d'Hiroshima』(*『はだしのゲン』の仏語版)を読み、広島での記憶が再び蘇ってきました。それから数年にわたり、原爆の関連資料をたくさん集めました。新婚旅行でも広島に行ったほどです。
その後脚本家の仕事に就き、原爆はどうして生まれたのか、どういう経緯で投下されたのか、その全体像をバンド・デシネで表現できないかと考えるようになりました。ただ、そうするにはかなりのエネルギーを要する仕事であると感じ、何度も後回しにしてしまいました。ベルギーのコミックはだいたい50ページくらいなのですが、原爆をテーマしたコミックとなると、何百ページも必要ですから。
実現に向けて一歩を踏み出せたのは、L.-F.ボレの絵に出会ったことでした。ボレが手掛けた『Terra Australis』を読んだとき、「この人に絵を頼もう!」と思ったのです。さっそく私はあらすじを60ページほど書き上げ、ボレに「プロジェクトに参加してくれないか」と話を持ち掛けたのでした。幸いにも、彼はこの話にすぐ乗ってくれました。その後、ドゥニ・ロディエにも声を掛け、プロジェクトに加わってくれました。私たち3人は取材で広島を訪れ、私と日本との接点を作ってくれた、カズオ(森本一夫氏)とも会いました。カズオとは初めて会ってから45年経った今でも連絡を取り合っているほど仲良しなんですよ。
——ボレさんとロディエさんにお聞きします。アルカントさんからこの『LA BOMBE 原爆』の誘いが来たとき、どのように感じましたか。
デュニ・ロディエ(以下、ロディエ):私はディディエとボレの仕事ぶりには感心させられましたし、ふたりの才能を信じていました。ただよい本を作るためには、時間が掛かってもいいので、3人それぞれが考えていること、この本を通じて何を成し遂げたいのかなど、率直な議論を重ねたほうがいいとふたりには伝えました。原子爆弾という重厚なテーマを扱うということもあり、特定のイデオロギーや何らかの政治的バイアスに邪魔されることない、極めてフラットな視点が不可欠だったからです。
L.-F.ボレ:ディディエと私は数年来の付き合いなのですが、ある日、『とある大きなプロジェクトに参加してほしい』と言ってきたことはよく覚えています。彼はすでに多くの史料にあたっており、出版社に出す企画書を作っていました。その企画書を読み、テーマの壮大さ、奥深さに圧倒されてしまい、「これはすごい漫画になる」と直感したんです。また、漫画家にとって、長編作に取り組むということは夢のような話です。ある舞台を設定して『歴史に命を吹き込む』ことは実にやりがいのある仕事だと思いました。ですから、私は即座に「やります!」と彼に伝えました。
——日本の読者の皆さんにはどんなところを中心に読んでいただきたいですか。
アルカント:アメリカは原子爆弾を日本に落としたというのは事実です。しかし、原爆の開発・製造計画は、日本に対して為されたものではなかったということ、つまり、当初はドイツに対する抑止力として意図されていたという事実を日本の皆さんはあまり知らないのではないかと思います。また、原爆の開発・製造にかかわった人たちが全員、日本への投下に賛同していたわけではありませんでした。レオ・シラードのように「マンハッタン計画」に関わったものの、途中から考えが変わって日本への原爆投下を阻止するために政府や軍と闘った科学者もいたのです。ですから、こういったあまり知られることがなかったもう一つの歴史的な側面をこの本を通じて日本の皆さんに触れていただけたらと思います。
また1940年代の広島の街や、そこに住む人々、そして日本の文化をできる限り忠実に再現しようと努めました。しかし、現在の広島の街にはその当時の様子を伝える建物が残っていませんので、多くの書籍や史料にあたりました。日本の文化や歴史に多く触れてきたと思っていましたが、実際にそれらを表現するとなると、どう描けばよいのかと戸惑うこともありました。そういうとき、日本の友人たち、特に森本一夫とガイドをしてくれた中原青児さんには本当に助けられました。
——アルカントさんに質問です。科学者のレオ・シラードを軸に話を展開しようとした理由についてお話しいただけますか。
アルカント:ユダヤ人のシラードは、ナチス・ドイツがアメリカよりも先に原爆を開発することを恐れ、それを阻止しようと、ルーズベルト大統領に原爆の開発と製造の必要性を訴え、アインシュタインの署名入りの書簡を大統領に送りました。そういう点において、シラードは原子爆弾の開発のきっかけをつくった人物です。しかし、ドイツが敗北してナチス・ドイツの原爆使用の恐れはなくなり、また、人体に及ぼす影響を鑑み、シラードは日本での実際の原爆使用の反対運動を始め、マンハッタン計画の科学者たちの署名を集める活動を展開しました。
シラードは平和主義者であり、彼の助言に従っていれば、広島と長崎の悲劇は避けられだろうと思います。こういった背景から、シラードを主人公として描きました。しかし、彼の名は一般の人々にはほとんど知られていません。私たちの本を通じてシラードという人物に関心を持ってもらえれば嬉しいですね。
——制作時、どのようなことを心掛けていましたか。
アルカント:史実にきちんと則った内容にしたい、そしてそのためには綿密な資料調査が不可欠でした。何か疑問が生じるたびに書籍や史料にあたるということを繰り返しましたので、完成まで5年を要しました。また、特定の国や人物に偏ることのないようにしたかったので、アメリカと日本の両方の視点から描くようにしました。さらに、物理や化学に関する言葉が数多く出てきますので、理解しやすい表現に置き換えようと努めました。
ロディエ:ディディエが話しているように、歴史的、科学的な事柄には間違いがないように、特段注意を払いました。そういう点で広島への取材旅行は、非常に有意義なものとなりました。
——思い入れのある登場人物はいますか。
アルカント:レオ・シラードですね。シラードについて調べれば調べるほど、彼の魅力が増していきました。また、この本のために作った人物の森本尚樹も特別な存在です。森本尚樹と彼の家族は、この物語の中で唯一の架空の人物なのですが、彼は広島や日本に暮らしていた人びとを象徴しているのではないかと思っています。実は、森本尚樹は森本一夫の顔に似せて描いています。
ロディエ:重複してしまいますが、私もレオ・シラードに大いなる魅力を感じています。シラードは、好奇心、恐れ、疑念を抱えながら生きてきたのではないでしょうか。そしてそれは人間という複雑極まりない生き物を象徴しているように思えてなりません。原爆投下を阻止しようとアインシュタインのところに行ったり、他の科学者たちのところに行ったりして署名活動を繰り広げる彼のとてつもない熱意、執念は、(たとえ彼が原爆開発の責任の一端を認めたとしても)、科学の発見は人類の生活に寄与することもあると同時に、その危険性もある、それらの両面をみることの大切さを訴えているように思えるのです。
——最後に読者のみなさんにメッセージをお願いします。
アルカント:日本の皆さんに伝えたいことは、原爆の悲惨さだけではなく、その全容を知り、理解することの大切さです。人類史上最悪の兵器が誕生するまでの経緯に目を向け、日本への原爆投下を巡る動機や背景、倫理的なジレンマを検証することが重要です。全体像を理解することで、この兵器がもたらした教訓を十分に理解することができると私は強く思っています。
また歴史は、白黒ではなく、何らかの意図を持ってアプローチすることが不可欠です。当時の人々が直面した困難な選択、政治的緊張、国際的な利害関係が、この悲劇的な話を複雑にしています。ですから、私たちは科学者や政治家、軍人などさまざまな人のさまざまな視点をまんべんなく取り上げて描きました。
そして日本人でもアメリカ人でもない私たちは、幸運にも、原爆について中立的な立場で考えるとともに、双方の当事者を批判的に見ることができます。私たちの意図は、日本の読者を不快にさせることではなく、むしろ深い反省を促し、相互理解を促進することです。日米でほぼ同時に発売され、日米双方で何らかの批判を受けることは重々承知しておりますが、この本を契機に両国の読者がそれぞれの認識について理解を深めてくれることを願っています。
私たちは広島の人々が耐え忍んだ計り知れない苦しみと、この悲劇的な出来事を未来に継承しなくてはならないことを強く感じています。この本が犠牲者の方々への追悼と平和の実現に貢献することができれば作者冥利に尽きます。
[インタビュー・文=平井瑛子(平凡社編集部)]