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鴻巣麻里香×星野概念トークイベント「まなざしを重ねて見る、聞く、感じる」(後編)

記事:平凡社

星野概念さん(左)、鴻巣麻里香さん(右)
星野概念さん(左)、鴻巣麻里香さん(右)

《前編はこちら》

どうすれば子どもの声をきけるか

星野概念:『思春期のしんどさってなんだろう?』で書かれていることで「そうだよな」と思ったことは、子どもがきついとかうまくいかないときに、「あ、それ思春期だから」って言われるということです。これ、めちゃくちゃあります。当たり前のようにある。

 でも、それって、ものすごく大雑把というか、なにも捉えていないというか、むしろ間違ってるくらいの感じですよね。その人がどういうことで困ってるのか、まして聞く方からしたら年齢もぜんぜん違うわけですから、どういう世界が見えてて、どういうことを感じてて、どんなことで困ってるかなんて、こっちの想像で決められるような簡単なことじゃない。

 だからこそ、一緒にたくさん話をすることはすごく大事だと思うんです。でも、ぼくも診療でいろんな子どもと会って、話を聞こうとするんだけどなかなかむずかしい。一筋縄ではいかないし、聞き出そうとするのはただの圧にしかならないし……と、いつも逡巡しています。鴻巣さんの本では4人の人たちとじっくり話をされていますが、いきなりはこんなに話してくれないですよね。どうやって子どもたちが鴻巣さんに話してくれるようになるんですか?

鴻巣麻里香:私が心がけていることは2つあって、暇そうにしてることとあまりしゃべらないことです。あまりできてないんですけど(笑)。子どもって、大人の中にどれだけゆとりがあるかをじっくり見ています。だから子どもにかかわる大人はできるだけ暇そうにしたほうがいいと思います。

 じつは子どもの声をきくということにかんして、悩みながら本をつくって、今でも悩んでいます。星野さんが核心をついてこられたんですが、私に話をしてくれる子どもたちの声しか載ってないんですよ。ある程度の時間をかけて、「鴻巣になら話してもいいかな」と思ってくれる子たちとか、もともと語る言葉を持っている子たちなんです。

 私が4人の子たちに、「今度こういう本をつくるんだけど、インタビューさせてくれない?」とさそった時点で、声を聞く人を私が選んでしまってるんですよね。その時点で対等ではなくなっていて、「これでいいのか?」と思いつつ、「そういうのはよくないからやめよう」となると、だれの声も聞けなくなっちゃう。インタビューをお願いしなかった子たちの言葉もたくさん入ってますけれども、その子たちとも話しながら、「なんで私はこうやって声を聞く相手を選ぶ立場にふんぞりかえってるのかな」とすごくモヤモヤしていました。 

星野:そういうなにかしらの状況に置かれていて、なにかしら抱えているものがあり、しんどいなと思っているとしても、「こういうことで困っている」と言える子どもはどれくらいいるんだろうと思うんです。

鴻巣:「困ってる」って言うのはすごくたいへんです。

星野:たいへんですよね。「この人には聞いてもらえるかな」とか、「この大人は聞くだろう」とか、子どもたちは見てるんじゃないかって。

鴻巣:「とりあえず害をなすことは言ってこない」とか。

星野:そうそう。へんに評価してジャッジしないとか。子どもたちがそう思えるような環境をつくるのはすごいたいへんなことだと思ってて。ぼくの想像なんですけど、鴻巣さんのこども食堂は話をする子どもたちが多いというイメージがあって。それはようするに場所として子どもたちに信頼されてるということなんじゃないか。

 ぼくは「学校に行かない」という選択をしている人とたくさん会いますけど、学校に対して諦めていたり、「行ってもきついだけだし」というふうに話してくれる人もけっこういるんです。場所を信頼してないと、それは行きたくないよね、という話になるんだけど、鴻巣さんのところでは、どうやって信頼される場所の感じがつくれてるのか、それを聞いてみたいと思ったんです。

鴻巣:もしかしたらうちの団体が過度に組織化されてないということなのかもしれません。大人同士が「さあどうする? なにやる?」みたいに場をつくるということが強くなりすぎると、子どもにとってあんまり居心地がいい環境じゃなくなっちゃうと思っていて。大人同士で、「ミーティングはじめます」みたいなのはしません。すごくゆるいです。ルールもないし。一応、これやったらNG、とかはありますけど。

 ルールはむしろ大人の側に設けています。来る大人が、たとえば子どもの容姿に言及するとか、身体に許可なく触るとか、「女の子は手伝ってくれていいね」とか、「男の子はほんとに背が伸びるの早いね」とか男の子女の子ということで話すといった、子どもを傷つける地雷を踏んだら、「今の地雷ですよ、ピー」って言うんです。

 あとは、スタッフもほぼ全員高校生で、運営のほぼすべてを子どもたちにゆだねているところが彼らが来やすいと思っていることの1つの理由かなと思います。大人は余計なことを言わないで暇そうにしている、それだけでいいです。

星野:そっか。だから居やすいんだ。

鴻巣:ただ、うちが居やすいと感じる子たちしか来ていないですよ。だから、暇そうにしてて余計なことを言わない大人がいる場所があちこちにあって、選べたらいいなと思います。

安心して孤独になれる場――スーパー銭湯の休憩所

鴻巣:『こころをそのまま感じられたら』で、心地いい場所のたとえとしてスーパー銭湯の休憩所がでていて、マジそうだなと思って。

星野:スーパー銭湯とか、サウナとか好きなんです。休憩所がでっかくて、だらーっとしてて、別にみんながわいわい話してるわけじゃなくて、漫画読んでたりとか、スマホをいじってたりとか、家族を待っていたりとか。でもちょっと話したりしてる感じもあって。ひとりでいるんだけど、あの場は孤立が少ないなと思って。「安心して孤独になれる」みたいなところってすごい得難い気がするんです。

鴻巣:「安心して孤独になれる」という言葉が出てきましたね。今、「孤立はよくない」「孤立を防ぎましょう」言われていますが、「孤立」ってどういう状態なのかという中身についてはあまり話されてないと思っています。まわりに人がたくさんいるのにひとりだと感じてしまう「孤立」という状態があり、一方でひとりでいるんだけれども満たされている状態、安心できている状態があり、これは「孤立」ではない。その違いについてちゃんと考えないまま、「孤立はよくない」「独りぼっちにさせてはいけない」と、がんがん囲ってくるみたいなのは苦しいなと思ってます。

 こども食堂に来ている子どもたちに話を聞くと、「静かなほうが心地いい」とか、「人がたくさん来たら来たでいいけど、じつはあんまり人が来てなくて、あんまり人の話声がしなくて、お互い好き勝手やってて、干渉しあわない時間のほうがいい。今日は人が少なくて平和。うれしい」とか言われます。運営的にはどうかというところですが(笑)。

 子ども対象となると、わいわいにぎやかにみんないっしょにたのしく、となるけれど、安心して一人になれる、一人でいられる時間がちゃんとある空間が心地いい居場所なのかなと思います。

星野:そうなんです。スーパー銭湯の休憩所は、結構そういう場所だと思っていて。

 以前、あるデイサービスに見学に行ったときに、高齢の人たちが輪になって思い出を語るみたいな時間をやってたら、そこに子どもたちが入口からなだれ込んできたんです。みんな慣れてる感じだったから、そこのデイサービスがそういう時間をつくっていたんだと思います。すると、高齢の人が話すマイクを子どもが持って行ったり、高齢の人となにか話していたり、とにかくその場がわきあいあいとしたんです。

 孤立の可能性が高い、孤立しやすいのは子どもと高齢者です。子どもは家と学校が社会の大部分で、それ以外の社会があまりありません。高齢の人は友だちがいなくなっちゃったり、家族が自立していったり、どんどんネットワークが減っていきますよね。すると、横のつながりはつくりにくい。けど、縦で混じることもあるんだなと思ったんです。

 スーパー銭湯だと、お風呂はみんな入りにくるだろうなと。老若男女が来ますよね。そこに相談室とか診察室とかも入っていると、通院するためだけの場所じゃなくなって、そうじゃない人もいる。けど、相談もできるみたいな場所にもなる。

鴻巣:精神科の医療機関で、外来でカフェをやってるところとかは増えてきてますよね。スーパー銭湯はまだないですね。

星野:運営が難しいからだと思います。ぼくかなり本気で調べたんですけど、ボイラーとか運営が相当大変そうなんです。ただ通院するだけだと、「自分は精神疾患なんだ」って思って、そのことにまた苦しむ人ってたくさんいるように思うんです。だけど、スーパー銭湯の休憩所のような場所だったら同じ場所に通院じゃない人もいたりして、別に漫画とか読んでてもいい。そういう場所があるといいなと思っています。 

鴻巣:温泉引き当てるとかどうですか? ボイラーいらないし。福島県の県南は温泉がけっこうあるからいいですよ(笑)。

(2023年7月14日、下北沢B&Bにて。構成:市川はるみ)

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