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新時代のニーチェ入門――この人を(ちゃんと)見よ!(後編)

カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ「Wanderer above the Sea of Fog, (German:Der Wanderer über dem Nebelmeer ) (1818)(雲海の上の旅人)」
カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ「Wanderer above the Sea of Fog, (German:Der Wanderer über dem Nebelmeer ) (1818)(雲海の上の旅人)」

(前編はこちら)

懐疑主義者ではなく自然主義者のニーチェ

 「事実など存在しない、ただ解釈があるのみだ」(『力への意志』第481節)。ニーチェの入門書で必ずと言っていいほど引用される言葉です。このセンセーショナルなフレーズに基づきながら、ニーチェは客観的な事実や真理の存在とその認識可能性を全否定し、すべては単なる解釈にすぎないと唱えた、というような紹介をされるのがお決まりでしょう。これはざっくり言うと、20世紀後半、特に1970~80年代頃からフランスやアメリカの思想家たちを中心に流行した懐疑主義的なニーチェ読解です。この読み方は長い間アカデミアの内外で大きな影響力を持ち、ニーチェはポストモダン風の懐疑主義者の一員だというのが「標準的な」理解として広く流布してきたわけです。

 しかし私が以前「じんぶん堂」に寄稿した記事「自然主義者としてのニーチェ――21世紀のニーチェ研究最前線(後編)」でも述べたように、この読解に対しては、特に英語圏の分析系の伝統の中で哲学を学んだニーチェ研究者たちによって、さまざまな角度から徹底的な批判が加えられてきました(たとえばブライアン・ライターによる批判)。1990年前後あたりから、ニーチェ哲学に関する多くの堅実で緻密な学術論文・研究書の刊行とともにそうした批判が強くなり、現在ではもはやニーチェを特段の留保なくそうした懐疑主義者とみなすことはできないという研究状況になっています。ケイルは、そうしたポストモダン的なニーチェ理解について本書でこう明言しています。「これは俗説です。ニーチェ哲学はナチ党のイデオロギーとほとんど変わらないというのが俗説であるのと同じです」(18頁)。

 その代わりに大方のニーチェ研究者たちの間で現在定説となっているのが、ニーチェは自然主義者だという解釈です(「中期以降の成熟したニーチェ」という限定つきですが)。哲学における自然主義というのは、さしあたり哲学を科学と緊密に結びつける立場と理解できます。ケイルの言葉を借りると、哲学的自然主義者は「真正な知を私たちにもたらすのは科学だけであり、それゆえ哲学的問題も科学の精神で取り組まれるべきだと主張」し、「人間は自然界のほかのものと種を異にするものではない」とします(54頁)。そのため、中期著作『人間的、あまりに人間的』を境にこうした考え方を表明するようになったニーチェは自然主義者として理解されるわけです。

 ここで大事なのは、「この世界には科学で扱われるような自然的事実や科学によって明らかになる客観的な真理が存在し、しかもそれらは私たちにとって原理的に認識可能なものである」というある意味で日常の常識的な考え方が前提とされている点です。この世界における事実や真理は一切存在せず認識もできないなどという立場はニーチェの真意ではなく、むしろニーチェは自然科学にまつわる文献を幅広く読み続け、さまざまな自然的事実を重視しながら哲学に取り組んだのです。なお、ニーチェの自然主義について本書以上に詳しく知りたい方は、拙訳書ブライアン・ライター『ニーチェの道徳哲学と自然主義――『道徳の系譜学』を読み解く』(春秋社、2022年)をご参照ください。

力への意志を穏健な形で理解する

 自然主義のほかにも、本書では国際的なニーチェ研究の成果が大いに反映されています。その一つがニーチェの重要概念「力への意志」の理解の仕方です。これに関してケイルは、アメリカのニーチェ研究者バーナード・レジンスターが提示した非常に有力な解釈を主な拠り所としています。それはつまり、力への意志は「抵抗を克服する活動への欲求」だという比較的穏健な解釈です。

 こう言っただけでは抽象的すぎて何が何だかわからないかと思いますが、ケイルは日常的な具体例を用いながらその意味するところを丁寧に説明してくれています。そこで出てくるのは、ギターや料理がもっとうまくできるようになろうと目指す飽くなき挑戦の例です。かいつまんで言うと、ギターや料理を習い始めたとき、ある程度まで上達したらそこで満足してやめるのではなく、もっとレベルの高い曲やレシピなど「どんどん難しくなる数々の課題に挑戦し続け、克服するという活動、、」(114頁)に取り組むのが肝心だとされるのです。このように乗り越えるべき壁を追い求めて、さらなる高みを目指す継続的な営みにおいて発揮されるのが、力への意志というわけです。

 どうでしょうか? 力への意志について、既存のニーチェの入門書・解説書などを読んで学んだことのある方にとっては、少しイメージが違うように聞こえたかもしれません。力への意志はこうした人間の行いを理解するためだけのものではなく、もっとスケールが大きく、あらゆる物体に関わる世界の根本原理なのではないか、と。しかし、ケイル(そしてライターを含むほかの多くのニーチェ研究者たち)によれば、ニーチェはそうした大仰な説を保持し続けたわけではありません。ケイルが何をもってそう主張しているのか、それについては、まずは本書を読んでご確認いただければと思います。

その他の読みどころを少しだけ

 最後に、本書の読みどころをさらに3つだけ簡単に紹介しておきましょう。

① 【超人】
 「超人(独:Übermensch/英:Overman)」は、ニーチェの最も有名な表現の一つでしょう。しかし、それは一体どういう意味なのでしょうか? ケイルは以上のように理解される「自然主義」と「力への意志」の二つを参照軸としながら、彼独自の「超人」解釈を展開します。そこでは、「ニーチェにとっての自己は衝動の集まり」(64頁)というケイルの指摘が鍵になります。ただ、あまりここでネタバレをしてみなさんの楽しみを奪ってもいけませんので、この点に関する詳細は本書をお読みいただければと思います。

② 【物理学万歳!】
 哲学と物理学の関係は、一般に、良くも悪くも頻繁に話題になります。実はニーチェ中期の作品『愉しい学問』には「物理学万歳!」という題の有名な節があります(第335節)。これは皮肉で言われているのではありません。「従来の価値評価や理想はすべて、物理学に関する無知、、に基づく形で、あるいは物理学と矛盾、、する形で築き上げられてきた」のであり、私たちは「この世界における法則的で必然的なものすべてに関する[……]発見者に、つまり物理学者、、、、にならなければならない」。ニーチェはそう断言するのです。でも、何のためにこう主張するのでしょうか? そこには、「自己創造」・「自分の性格に様式スタイルを与える」というニーチェの重要テーマが関わっており、これは本書で詳しく論じられています。

③ 【ニーチェの女性観】
 ニーチェの人生を語るうえで欠かせない女性が少なくとも二人います。悪名高い妹のエリーザベト、そしてニーチェが強く思いを寄せたルー・アンドレーアス=ザロメです。「女のところに行くのか? それなら鞭を忘れるな!」といったフレーズで知られるように、とても擁護できないようなひどく辛辣な女性観を持った(後期)ニーチェですが、彼がそんな考えを抱くようになったのには、彼女たちとの複雑な関係に理由があると考えられます。ごく簡潔な形ではありますが、本書ではそのあたりの人間模様も描かれています。

ピーター・ケイル著 大戸雄真・太田勇希訳『わかる! ニーチェ』(春秋社刊)目次
ピーター・ケイル著 大戸雄真・太田勇希訳『わかる! ニーチェ』(春秋社刊)目次

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