東アジア各地の社会問題を描く映画を社会科学・福祉研究者たちが解読する『映画で読み解く東アジア』
記事:明石書店
記事:明石書店
2020年にアカデミー賞作品賞、監督賞、脚本賞、国際長編映画賞の4部門受賞に輝いた韓国のポン・ジュンホ(=ポン・ジュノ)監督による『パラサイト 半地下の家族』は、韓国社会の分断と格差を描いた作品として日本でも大きな話題となった。映画では会社社長の家族(朴一家)が居住する邸宅を舞台に、その対極とも言える半地下に暮らす主人公の家族(金一家)との格差を浮き彫りにしながら、さらに社長の朴氏家族のもう1つの家族が邸宅の地下に寄生するという重層的な空間構成や、階層的な対比が鮮明に表現された。社会の格差が生んだ家族の欲望が、豊かな階層への寄生からそのうち生活全体を乗っ取ってしまおうとする歪んだ夢へと展開する中でストーリーは急展開し、クライマックスを迎える。
ヴァルター・ベンヤミン(1995)のいう「複製技術時代の芸術」としての映画の一面を引用するまでもなく、映画は社会の「複製」であり、その「加工」でもある。今では現実の複製だけでは物足りず、現実に存在しないものまでを制作し、大量に生産できる時代を迎えていることも特筆すべき事実である。要するに映画は、現実社会の複製、もしくはそのリアルな映写でもある。もう1つの大きな特徴としては、人の営みの記録、つまり「ドキュメンテーション」という点ではなかろうか。人間が世に生を受けて暮らしてきた経験や軌跡、葛藤や愛の物語を、映画は1つの表現の手段として、記録として、あるいは闘争として見せている。
映画は資本主義における市場価値を勘案しながら様々な手法を試み、その中から社会の「複製」、かつ「投影」するものとして人間生活を映し出していく。そこで、今回本書の著者たちは共同研究の現場(フィールド)で、このような映画をテキスト─もしくは媒介─としてそれを読み取り分断や格差に対する分析を行い、課題に立ち向かっていくための想像力を動員してみることにした。
今回の共同作業では、各自が興味を持つ東アジアのフィールドを描いた映画を選定し、それについて共同鑑賞の機会を設けた後、持ち回りで報告し議論を深めることとした。2022年6月25日から2023年2月25日までに7回にわたる共同研究会を実施した。本書はそのプロセスの軌跡をまとめたものである。
本書の著者たちの基本的な関心は、東アジアの格差や貧困、社会的不利、社会開発に集中しているため、日本をはじめ韓国、台湾、中国(香港を含む)の北東アジアの都市部を対象とすることにした。各々の地域で繰り広げられる人びとの生活での葛藤、挫折、回復の過程が本書の主軸である。具体的には、居住、雇用、社会保障、健康、市民権等を取り巻く子ども・若者、高齢者、エスニシティ、ジェンダー・LGBTQ等それぞれの社会の貧困や排除、差別、格差、そして分断にかかわる映画を各著者が選んで紹介した。
本書は4部構成とし、まず第1部では、「居住と開発」とカテゴリーされる映画が選ばれている。第1章と第2章は都市の発展と開発に振り回される都市貧困層の住まいや生活空間を取り巻く闘いが描かれた映画が選ばれている。どちらも韓国の映画で今もなお大きな影響を与えている朝鮮戦争やその後の復興過程、開発ドライブが猛スピードで進められる中、開発現場における住民の追い出しや、その過程での価値観の変容、若者の揺れ動く心の様子などが垣間見られる。第3章は中国映画を取り挙げ、前章の韓国と同じく都市化が進められる中、中国国民固有の伝統的価値観が揺れ動いている様子を自然豊かな映像とともに描いた作品が取り挙げられている。
第2部では「貧困と社会的排除」がテーマの映画が紹介されている。第4章では日本における東日本大震災という大きな災害経験を背景に、生活難に追いやられた人が社会保障から排除され孤立していく様子、そして現代社会における家族の変容や新たな家族像についても考えさせられる作品が紹介されている。第5章も社会保障制度を背景とした映画を取り挙げているが、中国が舞台となっている。その中でも出稼ぎ労働者の医療や健康、疾病を背景に中国の都市部や農村部の生活の様子が描かれている。そこでは、中国の周縁部で大きく問題となっている、親が出稼ぎに都市部に行った後取り残された「留守児童」と呼ばれる子どもたちの様子も見ることができる。これは日本でも関心を集めている「ヤングケアラー」の問題と通じるものがあり興味深い。
第3部は、社会的に高い関心を集めつつも今もなお解決の糸口が見出されていないジェンダーやLGBTQに関連した社会的なイシューを扱った作品が紹介されている。第6章は日本社会における女性の生き方を対象に、日本の近代化と家父長制社会を生き抜いた女性たちの経験に着目した作品が取り挙げられている。そして第7章では台湾における性の多様性や受容について、特に台湾社会が大きく動き出す1987年の戒厳令の解除後の社会と現代の対比を中心に検討していく。第8章は、韓国に焦点を移し移住者の生活空間や成長を描いた作品が紹介されている。東アジアのどの国にも共通して見られるようになった移民問題に関連し、作品では韓国社会における受け入れとその過程での当事者の葛藤や挫折、愛と希望等にかんする現実が淡々と描かれている。
第4部では、「社会的弱者と差別」をテーマにした作品を取り挙げ、3つの章に分けて紹介する。まず第9章は、これまで何度も文学作品や映画化の素材にもなっている、現代の日本社会に根強く残る「部落差別」を取り挙げた作品が紹介されている。2022年にはTOHOシネマズをはじめとする大きな映画館でもリメイク版の『破戒』が上映されたほか、ミニシアターでは長編ドキュメンタリー映画『私のはなし 部落のはなし』が上映され話題を呼んだ。第10章では台湾に舞台を変え、台湾における根深い差別問題の典型として今でも多くの課題が露呈されている台湾の先住民をはじめとするマイノリティの問題を取り挙げた作品を紹介する。そして第11章では、ここ数年中国からの締めが強くなる中「逃亡犯条例」や「香港国家安全維持法」の制定などにより、民主主義が根こそぎに破壊されてしまった香港の現状を捉えたドキュメンタリー作品が紹介されている。
本書は東アジア各地の分断と格差、それをもたらす開発や資本による搾取、政治的な圧力とそれに立ち向かう市民の涙と汗と闘いと愛の物語が描かれた作品が集められている。取り挙げた映画の本数だけで26本に及んでいる。本書を手に取った読者は、本書を手引きにそれらの映画の世界に飛び込んでみてはどうだろうか。その中から見て取れる東アジアの社会と歴史、人びとの暮らし、そしてその時代を歩んできた人びとの連帯の経験と未来に向けた希望の物語に共感し理解する機会になることを切に願っている。