パスカル生誕400年を記念する「科学論集」の決定版 幻の「メナール版全集」から誕生
記事:白水社
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【COMMÉMORATION : UN TIMBRE POUR BLAISE PASCAL】
わが国における。パスカルの翻訳は、長く、豊かな歴史をもっている。すでにいまから80年前、大正の初めに、前田長太(越嶺)による『パンセ』の最初の抄訳、『パスカル感想録』が刊行された。ついで昭和13年に白水社から出た、由木康訳による『パンセ』の抄訳、『パスカル冥想録』は、戦中、戦後の多くの読者の心の糧となった。本全集の最年長の編集委員である私がパスカルにはじめて接し、つよい感銘を受けたのも、このすぐれた翻訳によってであった。その後、同じ訳者は昭和22年に、『パンセ』の最初の全訳を、同じく白水社から刊行する。そしてこの全訳『パンセ』の刊行の後も、何人かの訳者によって、それぞれ特色ある新訳が試みられて、現在市販のものだけでも、由木訳を含めて5種類〔1993年現在〕を数え、それぞれが版を重ねている。さらには『パスカル小品集』『プロヴァンシアル』『パスカル書簡集』『科学論文集』、また『パスカル著作集』(田辺保個人訳)などの名のもとに、パスカルのほとんどすべての作品、書簡がわが国に紹介され、そして昭和34年には、厳密な意味での「全集」ではないにしても、この時期のものとしては画期的な『パスカル全集』(3巻)が人文書院から刊行されたのである。しかしこの記念すベきわが国最初の『パスカル全集』も、35年を経た現在では、さすがに古色蒼然としてきた。メナール教授が本全集に寄せられた序文によっても明らかなように、翻訳の原典となった、パスカルのテクスト自体が、部分的に古くなってしまったし、いくつかの重要な作品などは、いまではその相貌まで一変してしまっている。またここ数十年のあいだに蓄積された、パスカルの生涯、その作品、その思想についてのめざましい研究の成果も、当然のことながら、そこには採り入れられていない。
昭和34年以後、現在までの3、40年は、パスカル研究の、まさにひとつの黄金時代であった。ジャン・メナールの『パスカルとロアネーズ兄妹』(1965年)にはじまり、アンリ・グイエの『ブレーズ・パスカル注釈』(1966年)および、これにつづく一連の研究、フィリップ・セリエの『パスカルと聖アウグスティヌス』(1970年)、エドゥワール・モロ=シールの『パスカルの形而上学』(1973年)、ルイ・マランによる『ディスクールの批判 ポール・ロワヤルの「論理学」と「パンセ」について』(1975年)、ピエール・マニャールによる、パスカルにおける『自然と歴史』(同年)、塩川徹也の『パスカルと奇蹟』(1977年)へとつづく鎗々たる業績は、すでに周知のことに属するが、さらに、ここ数年のあいだには、ジェラール・フェレロール(パスカルと「政治的なもの」)、アントニー・マッケンナ(1734年までの思想に対するパスカルの影響)から、ロラン・ティルワン(パスカルにおける「賭のモデル」)、ヴァンサン・カロー(パスカルと哲学)、ドミニック・デコット(パスカルにおける「論証」)にいたるまで、若手によるすぐれた学位論文が踵を接して出版され、最後に、その掉尾を飾る極めつきの大作として、やがて『パンセ』研究を一新するであろうポル・エルンストの待望の書、『「パンセ」の地質学と地層学』が刊行されようとしている……。このように、ざっと思い巡らすだけで、十指では足りないほどの好著が、立ちどころに浮かんできて、そのすべてが、パスカルの生涯と思想にさまざまな面から新しい光を当て、新しい分野を切り拓いた研究なのであった。そしてこのパスカル研究の黄金時代に君臨するのが、ここ数十年のパスカル研究を指導してきたパリ・ソルボンヌ大学名誉教授、ジャン・メナール教授の長年の研究を集大成し、他の研究者たちの豊かな成果をも充分に採り入れた、メナール版『パスカル全集』であるということができるだろう。今回ここに新しいパスカル翻訳全集を刊行しようとする最大の理由は、またその最大のメリットは、この画期的なメナール版『パスカル全集』に依拠しようとする点にある。
1964年から刊行が開始されたメナール版『パスカル全集』は7巻からなり、まず第1巻(1964年)がパスカルの原稿、写本の「伝承」についての精緻な研究と「一般資料」を収めたのち、第2巻(1970年)、第3巻(1991年)、第4巻(1992年)の3巻は、『パンセ』と『プロヴァンシアル』を除く、パスカルのすべての作品と関連文書を年代順に集大成する。つづく第5巻は『プロヴァンシアル』と関連文書、第6巻は『パンセ』に充てられ、最後の第7巻には、パスカル死後のパスカル関係諸文書が収録される予定である。このメナール版全集においては、現在までに刊行された最初の4巻だけを見ても、まず第一に、厳密な校訂の結果、従来の諸版に散見する数多くの誤りが正されて、現段階では最も確実なテクストが提示されたばかりでなく、たとえば『恩寵文書』のような、いくつかの重要な作品は、新解釈によって、文字どおり面目を一新した。またメナール版『パンセ』が、まったく新しい相貌をもって、われわれの前に姿をあらわす日も、そう遠くはないであろう。つぎにメナール版全集は、パスカル自身の作品のみならず、パスカル理解のために必要な、夥しい数のパスカル関連文書を収録しており、さらには、それぞれの作品や関連文書の前には、研究の現段階を踏まえたうえで、独自の見解や解釈を示すすぐれた[解題]が付けられて、そのなかには、たとえば『恩寵文書』の[解題]のように、160頁を超え、優に1冊の研究書の観を呈しているものさえある。その他、『メモリアル』や、『ド・サシ神父との対話』『要約イエス・キリストの生涯』『幾何学的精神について』などに付けられた長大な[解題]も、同様に、懇切周到で、豊かな創見に溢れたものだ。ヴァリアントの記述の完璧なこと、注記のなかにも新発見が多数見出されることはもちろんである。このようにメナール版全集は、そのテクストの正確さ、その解釈の斬新さ、周到さ、その収録文書の質と量などなど、どの点をとっても、これまで『パスカル全集』の定本と評価されてきたブランシュヴィック版全集を大きく超える画期的な全集であってこれが完成の暁には、20世紀の豊かなパスカル研究の成果を総合して、これをつぎの世紀へと贈る、まさに記念碑的な業績として、長く読み継がれ参照されつづけることは疑いない。今回刊行される新しいパスカル翻訳全集は、この決定版『パスカル全集』の刊行と時を同じくして、これと平行して進み、パスカルの作品と関連文書を、現在パスカル研究の第一線で活躍する訳者の初訳、新訳によって6巻にまとめ、わが国読者の真のパスカル理解のために欠かすことのできない、最も新しく最も確実な基礎を提供しようとするものである。その特色と編集方針をさらに具体的に列挙すると、以下のとおりである。
最後に、この一文を了えるにあたり、本全集のためにすばらしい序文を書いて、われわれの仕事を励ましてくださったメナール先生に対し、本全集の編者、訳者とともに、心から感謝を捧げたい。
1993年 秋 ※
【メナール版『パスカル全集』日本語版「まえがき」より】
※幻となったメナール版『パスカル全集』日本語版については、こちらのページをご参照ください。
【BLAISE PASCAL (1623-1662) ou la raison désabusée – Une vie, une œuvre [1992]】