計算機と物理学について考える方法 『パスカル科学論集』決定版
記事:白水社
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【La machine à calculer de Pascal, 1642 | Primo】
本書は、フランスの思想家ブレーズ・パスカルが残した科学的業績のうち、計算機および物理学に関する著述のすべてを収録するとともに、パスカル以外の執筆者による関連文書から、特に重要な作品を選んで訳出したものである。そのなかのいくつかは、日本語による初めての紹介となる。
パスカルはわが国において、多くの読者に恵まれ、また深く研究されてきた作家である。主著である『パンセ』は、由木康氏による初の全訳『パスカル瞑想録』(1947年)以来、翻訳の数は十指に余ると思われるし、主要作品を網羅した著作集、全集の刊行も、これまでに3度試みられている。
パスカル研究を長く牽引してきたジャン・メナール氏によれば、「『パスカル全集』のフランス語版が、最もよく読まれ、最もよく理解され、最もよく解釈され、必要な場合には最もよく批判されたのは、フランスではなく、日本においてであった」という(白水社版『パスカル全集』第1巻、「序文」)。この研究者の層の厚さが、盛んな翻訳を支えてきた。
日本におけるパスカルの研究と翻訳は、『パンセ』や『プロヴァンシアル』などの代表作にとどまらず、科学的作品にも及んでいる。まず戦後まもなく、白水社から『パスカル科学論文集』2巻本が刊行された。訳者は松浪信三郎、安井源治のお二人で、戦時下の困難な条件のもと、優れたお仕事が準備されたことに深い敬意を覚えずにはいられない。上巻(1946年)には5篇の物理学論文と、松浪氏の解説が収められたが、計算機関連文書は、まだ翻訳の対象になっていない。下巻(1948年)は「数学篇」と銘打たれ、9篇の論文を収めている。1953年には、白水社版上巻の内容に多くの実験図を加えたものが、同じ『科学論文集』のタイトルで岩波文庫から出た。訳者としては松浪氏の名前だけが掲げられている。
さらに、1959年、人文書院から画期的な『パスカル全集』全3巻が刊行され、科学論文はその第1巻に収録された。松浪氏訳による物理学論文に加え、新たに安井源治氏訳「計算器」の項目が加わり、『大法官閣下にたてまつる献辞』と『報告』(本書の『手引』)の2文書が収められた。数学論文も収録されたが、訳者は原亨吉氏に交代した。(本書に欠けている数学論文集については、この人文書院版全集の原氏訳か、同じ内容を収めたちくま学芸文庫版『パスカル 数学論文集』(2014年)にあたっていただきたい。)
本書は、パスカルの科学論文の翻訳を収めたものとしては、4番目の書物にあたる。先行する3種の翻訳に多くを学んでいることは言うまでもない。一方で、本書の特色としては、パスカル自身の関連文書をすべて収録するとともに、これと深く関係するパスカル以外の人物の手になる作品も数多く加えたこと、読者の理解を助けるための詳しい注を付したこと、時代背景や科学論文のもつ思想的意味を論ずる長文の解説を付したこと、などがあげられよう。
本書は本来、同じ白水社から刊行中であった『メナール版 パスカル全集』を構成する一巻として計画されながら、余儀ない事情により、長く出版の機会をもつにいたらなかったものである。このたび、早くから整っていた計算機と物理学に関する部分を切り離し、独立の単行本として刊行する運びとなった。長年の希望が実現することは、筆者にとってこの上ない喜びであるが、第二部の翻訳と解説の担当者であり、パスカルの物理学に関する第一人者、筆者にとっては恩師にあたる赤木昭三先生が2013年に他界され、ともにこの日を迎えることが叶わなかったのは残念でならない。
こうして、図らずも筆者は、第二部のために残された訳文ならびに解題と解説を、最終的に校閲する責任を負うことになった。もちろんその原稿はすべて完成稿としていったんは活字に組まれたものであり、筆者が決定を下すべき局面は、主として独立の書籍とするために必要な編集上の作業に限られていた。ただし、残された校正刷りに対して、若干の変更を加える場合がなかったわけではない。
その第1は、パスカルの死後に出版された『流体の平衡についての論文』における、欄外余白の記述の扱い、第2は、遺作2論文の本文中に挿入した実験図の処理である。いずれの場合も、読者が通読するにあたりいっそう便利な処置を講じたつもりである。校閲者としては、こうした処置が適切であったこと、思わぬ誤りが生じていないことを、願うばかりである。
【『パスカル科学論集 計算機と物理学』所収「あとがき」(永瀬春男)より】