アメリカ初の女性兵士たちの戦争:『ハロー・ガールズ』を読む(弓削尚子さん)
記事:明石書店
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英語で電話をかけるとき、「ハロー」と相手に呼びかける。「ガールズ」とは女の子たちを意味する。「何、これ?」と思わせるキャッチーなタイトルだ。副題にある「女性兵士」という言葉がさらに読み手の関心をひく。
第一次世界大戦勃発から3年目を迎える1917年、ウッドロウ・ウィルソン大統領はドイツ帝国との国交を断絶した。アメリカの参戦である。ハロー・ガールズとは、そのとき陸軍通信隊員に選ばれた女性たちのことである。男性兵士は、「歩兵doughboy」や「通信隊員signal corps boys」のように「ボーイ」と呼ばれ、そこには連帯感や思いやり、仲間意識が込められていたという。ガールズという呼称も「褒め言葉」であり、女性通信隊員を軽んじるニュアンスはなかったという。なぜなら、彼女たち抜きで、この戦争を戦うことはありえなかったからだ。
戦争は、ただ電話のために女性兵士が必要とされるという、前代未聞だが避け難い事態を引き起こした。(43頁)
ハロー・ガールズは、主戦場のフランスに渡り、電話交換業務によってアメリカ兵200万人と共に連合軍の戦勝に寄与した。電話は「戦争において最も重要な指揮の道具」であった。ドイツ機による襲来の知らせや砲兵による攻撃の正確な時間の指示など、2600万件を超す通話が彼女たちによって接続された。当初、戦地では男性歩兵がこの任務にあたっていたが、質量ともに圧倒的なスキルをもつ女性交換手に取って代わられた。礼儀正しい応対、情報の的確な聞き取り、交換台のジャックやソケットのスピーディーな操作、忍耐強く従順な態度から、電話交換は「女の仕事」とされていた。
フランス軍との通信のために、女性通信隊員にはフランス語能力が求められたが、第一期の定員100人に、7600人を超す女性たちが志願した。フランス系移民に加えて、大卒の高学歴の女性も少なくなかった。一方、陸軍部内では女性を戦地に配置することの反対も根強く、彼女たちの処遇をどうするのか、軍務上・法務上の地位を決めかねていた。
1918年春、軍服を身に着けたハロー・ガールズは、ドイツ軍潜水艦による無制約攻撃の脅威にさらされながら大西洋を渡航した。フランス上陸後は、砲撃の中で電話交換業務を行い、一部は将軍と共に、砲弾が降る最前線で交換台に付きっきりになった。彼女たちの職場には、ヘルメットとガスマスクが常備され、撃墜されたドイツ機の金属片が目の前に落ちてくる恐怖を味わった者もいた。何千人もの兵士の命を左右しかねない通話を一秒でも早く正確につなげるという使命を背負い、ときに20時間以上の激務に耐え、任務をまっとうした。
1918年11月、ドイツ軍が降伏し休戦条約が結ばれると、「軍服を着た女性たちはどこに行ってもほぼ常に敬礼で迎えられ、疲弊した兵士たちの歓声を浴びた」。彼女たちは軍隊の一員であり、その軍功を誰もが評価した。しかし、陸軍は、ハロー・ガールズを“兵士”とは認めなかった。彼女たちは契約によって雇用された民間人とされ、除隊証明書は発行されず、退役軍人としての支給金も恩典も与えられなかった。
女性兵士が陸軍によって正式に認知されたのは、第二次世界大戦のさなか、議会が陸軍女性部隊設置を決定した1942年である。しかし、彼女たちの先駆者であるハロー・ガールズは、その後も退役軍人の地位を認められず、アメリカ政府と陸軍を相手に、半世紀以上も闘うことになる。軍人、政治家、弁護士、ウーマンリブの活動家は彼女たちを支援した。陸軍がハロー・ガールズを兵士として認めて除隊証明書を発行したのは、1970年代末のことであった。「20世紀の長い闘い」を牽引したマール・イーガンは91歳になっており、多くの仲間は亡くなっていた。
ハロー・ガールズに対する陸軍のこの煮え切らない態度は何であったのだろう。なぜそこまで頑なに女性兵士を認めなかったのだろう。これは、アメリカ陸軍に限った話ではない。ハロー・ガールズの軍隊上の処遇の揺れは、兵士とジェンダーをめぐる根本的な疑念の表れではないか、本書はそう語りかけているように思う。
兵士とはだれか、「産む性」は「殺す性」になり得るのか。女性兵士を認めようとしないこのような風潮は、軍隊における男女共同参画が謳われる21世紀においても、過ぎ去った過去のものではない。
武器を取り、国を守る者だけが、国の政治に参加する権利を持つ。このような観点から、女性の戦争協力と女性参政権獲得については、これまで多くの女性史研究が積み重ねられてきた。
本書はこれに対して、ハロー・ガールズを生み出した男性たちの視点から、アメリカにおける女性参政権成立の経緯に迫る。これがおもしろい。
私たちは、女性参政権実現のためにデモ行進をし、汗を流し、大きなうねりをつくり出した組織や団体について、多くのことを知っている。それとは対照的に、どのように、そしてなぜ男性たちが考えを変えるに至ったのかについては、あまりよく知られていない――女性に参政権を与える法的権限を持っていたのは男性であり、男性の考えを変えさせることこそがきわめて重要であったにもかかわらず。(21頁)
女性に参政権を認めることは、従来のジェンダー規範を覆すことであり、男性にとってそれは、自らの既得権を脅かされることになる。「ジェンダー役割が書き換えられることへの恐怖」が男性側にはあった。ジェンダー史研究にとって必須の「男らしさ」という分析概念が本書では活かされている。
当初、ウィルソン大統領は、女性参政権には否定的であった。ところが、ちょうどハロー・ガールズが戦地フランスで任務につくころ、彼は「転向」し、女性参政権承認のための根回しを開始する。すでに女性参政権を認めている国は数か国におよび、国内でも州によってすでに承認されていた。民主主義国家のリーダーとしての面目を保つためにも、彼が熱望した国際連盟構想を実現させるためにも、女性参政権承認へと舵を切る必要があった。女性たちはきっと国際平和のための彼のアイディアに支持票を投じてくれるにちがいない。
「勝利なき平和を呼びかける男が出現し、国防の責任を担う女が出てきた」と著者は表現する。暴力=男性、非暴力=女性というジェンダー規範の転覆である。ハロー・ガールズの上官であるジョン・パーシング将軍は、「この戦争は女性によって戦われている。苦難に耐え、われわれに勇気を示したのは女性たちである。女性こそ、民主主義の実現を後押しした立役者として称賛されるのにふさわしい」と述べ、女性参政権支持派の議員は議会で彼の言葉を引き合いに出した。
一方、反対派は、「投票は女性らしくない」「参政権の拡大は黒人の政治参加という脅威を招く」と主張する。最終的にアメリカで女性参政権が法制化されたのは1920年のことである。肝心の国際連盟については、成立はしたものの、アメリカの参加は「数えきれないほどの涙に溶けて消えた」。
本書は、ノンフィクションの歴史小説といった趣で、読み始めると一気に引き込まれる。著者は、大学で教鞭をとる歴史家でありながらベストセラー作家、さらにはドキュメンタリー映画製作者の顔ももつ。本書に登場する人びとは「揺れ動く感情や意見を持つ複雑な生き物」として命を宿しており、彼らが身を置いた風景もリアルに浮かび上がる。実際、本書をもとにドキュメンタリー映画が製作され、ミュージカル作品も作られたという。そんなジェンダー史研究書など、めったにない。
たとえば、交換手のリーダーとなった25歳のグレース・バンカーの人となりを描くのに、著者は彼女の経歴に触れるだけにとどまらない。大学のアマチュア演劇で男役を演じたことに着目し、その演技に対する大学新聞の評価までひもとく。そこから推察される彼女の「厳めしく冷静な公務員の役割」と「楽しいことが大好きな一面」を併せ持つ性格が、名門大学の学位取得とともに彼女を「将校にふさわしい人物にした」と解釈する。
女性兵士に反対する小柄な陸軍長官ニュートン・ベイカーの人物描写も印象に残る。彼は、来客の際、身長を高く見せるため、椅子の上に片足を曲げてその上に尻をのせて座ったという。些末的な何げないしぐさを取り上げ、戦争・大きな身体・男性兵士という確固たるイメージにこだわるベイカーを描く。彼は女性の入隊を認める法案を拒絶した。「男らしさを守る必要性を感じていたのかもしれない」と著者は解釈する。
政府の公文書史料や新聞・雑誌の活字史料を分析するだけではこうはいかない。ハロー・ガールズの日記や手紙、将軍らの回想録に加え、写真の分析も際立っている。殊勲賞を授与された軍服姿のグレース・バンカーの写真は、たしかに彼女が軍功を顕彰された兵士である姿を伝えている。バンカーら前線に赴いたハロー・ガールズは、いまにも崩壊しそうな兵舎に寝床を与えられ、食事の際には「行儀作法は不問にされ、女性たちは男性と同じ食べ方を身につけた」。前線では、洗濯もままならず、ブラウスが汚れたら裏返しにして着続けた。長時間勤務で心身疲弊し、「肌はひび割れ、頬はこけた。いまだかつてなく、彼女たちは兵士になった気分がした」。本書は、こうした女性たちの身体感覚や心の機微にまで踏み込む。
本書は、日本とドイツの電話交換手のジェンダー史研究で知られる石井香江が監修をつとめ、重厚な解説を寄せている。本書の論点を巧みに整理し、「ハロー・ガールズ群像」として、本書に登場した数々の女性通信兵の出自や活躍をまとめているのもありがたい。「戦勝国のハロー・ガールズの事例」には、「戦争そのものへの批判的な自己省察が欠けている」という指摘は重要であろう。ハロー・ガールズは、戦後、自らの兵士としての地位認知を求める一方、戦争をどのように振り返り、何を考えていたのだろうか。戦争・軍隊の歴史研究の根底には、戦争そのものへの批判があるべきだろう。今後のジェンダー史研究の深化が求められる。