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「フランス現代思想」以後を読む ――渡名喜庸哲著『現代フランス哲学』書評(評者:宇野重規)

記事:筑摩書房

フーコー、ドゥルーズ、デリダに続く、強靭な思想の広がりを一望する。
フーコー、ドゥルーズ、デリダに続く、強靭な思想の広がりを一望する。

フーコー、ドゥルーズ、デリダ以降の現代フランス哲学

 『現代フランス哲学』というタイトルを読んで、何を想像するだろうか。あるいは世代によって違いがあるかもしれない。フランス哲学といえば、サルトルの実存主義を思う人もいるだろう。多いのはレヴィストロースの構造主義から、フーコー・デリダ・ドゥルーズの三人を中心とするポスト構造主義までの、いわゆる「フランス現代思想」ではなかろうか。日本においても、これまで多くの優れた解説書が出版されてきた。

 しかしながら、そこで当然に生じる疑問があるのではないか。現代フランス思想とは、これらの思想的潮流に尽きるのだろうか。あるいは、これら「現代思想」のさらに後の展開はないのだろうか。評者もまた、これらの質問を受けることがしばしばあったが、特に「フランス現代思想」後の「現代思想」については、なかなか大きな見通しを示すことができなかった。これまでの類書においても、フーコー・デリダ・ドゥルーズ以降の思想家について、若干の思想家の名前が挙げられることはあっても、いささか「付け足し」的な印象を否めなかった。

一人の著者による新書として、画期的な業績

 本書の最大の特徴があるとすれば、まずは取り上げているテーマ、思想家の網羅性であろう。なるほど、構造主義からポスト構造主義への転換についても、手際良い整理と解説が示されていて有益である。とはいえ、本書においてここまでは、あくまで導入部にとどまる。評者にとって興味深いのは「転換点としての八〇年代」という本書の第Ⅱ部であるが、それ以外にも科学・技術哲学、ジェンダー/フェミニズム、エコロジー、労働思想、さらにフランス政治哲学史が取り上げられている。

 論じられている思想家のリストについても、邦語によるフランス哲学の概説書としては、おそらくもっとも網羅的と言えるのではなかろうか。そのいずれについても、大学での講義を元にしたという本書は、極めてコンパクトでわかりやすい説明がなされている。一人の著者による新書としては、画期的な業績であることは間違いない。

最も読み応えがある、一九八〇年代論。さらに、社会、政治、宗教と諸思想を分析

 ちなみに、かつて『政治哲学へ――現代フランスとの対話』という本を書き、特に現代フランスの政治哲学の転換を論じた評者にとって、最も読み応えがあったのは、第II部の一九八〇年代論である。そもそも現在、フランス現代思想が「ポストモダン」の括りで論じられるようになったのは八〇年代である。しかしながら、現実にはフランスにおいて新自由主義の影響が拡大したのもこの時代であった。フーコー自身、このような時代を背景に、それ以前の研究から大きな転回を示し、いわゆる「生権力」論を展開する。

 さらにフーコーの問題意識を発展させる中で、「社会的なもの」(ドンズロ、エヴァルドなど)をめぐる研究が大きく花開くことになる。労働の思想で取り上げられるシュピオやメーダの紹介を含め、本書のまさに中核となるのがこの部分と言えるだろう。そこに評者としてはもっとも関心のある「政治的なもの」(ルフォール、ロザンヴァロン、ナンシー、バリバールなど)、さらに「宗教的なもの」(ゴーシェ、ルジャンドルなど)が加わる。これらの思想については、現在の日本でも個別的にはともかく、包括的な研究や分析はほとんどなされていない。その意味でも、本書の持つ意義は明らかである。

渡名喜庸哲『現代フランス哲学』(ちくま新書)書影
渡名喜庸哲『現代フランス哲学』(ちくま新書)書影

 ところで、評者は、ボーヴォワールやクリステヴァなど多くの傑出したフェミニズムの思想家・理論家を輩出したフランスにおいて、本当に女性の地位が高いのかという疑問をかねてより持っていた。例えば本書でも指摘されるように、一九六五年まで女性は夫の許可なしに就労も銀行口座開設も認められていなかったし、一九九〇年代まで女性議員比率は一〇%ほどで欧州のほぼ最下位であった。このような状況がどのように変わったのか。このあたりも日本の読者にとって示唆的であろう。

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