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没後100年を迎えるレーニン その思想と生涯を俯瞰する

記事:平凡社

1920年5月5日、モスクワのスヴェルドロフ広場でポーランド-ソビエト戦争に向かう兵士たちに向けて演説をするレーニン
1920年5月5日、モスクワのスヴェルドロフ広場でポーランド-ソビエト戦争に向かう兵士たちに向けて演説をするレーニン

平凡社ライブラリー『レーニン・セレクション』 ウラジーミル・レーニン著・和田春樹編訳
平凡社ライブラリー『レーニン・セレクション』 ウラジーミル・レーニン著・和田春樹編訳

なぜいま、レーニンなのか

 本書は、1977年10月、「世界の思想家」(平凡社)シリーズの1冊として刊行された『世界の思想家 23レーニン』を改訂したものである。1977年は、ロシア革命の60周年にあたり、共産党国家ソ連は世界文明の一方の柱、軍事的超大国として健在であり、レーニンはソ連社会主義国家の創設者、世界共産主義運動の創始者としてあがめられていた。

 もとより、1956年のスターリン批判とハンガリー事件以来、ソ連社会の現実に批判的に向き合ってきた私としてはレーニンを「一個の生きた矛盾として、変化の相の中でとらえる」という姿勢をつらぬいて、レーニンの生涯をえがき、その思想のアンソロジーを編纂したつもりである。私の結論は中国辛亥革命の指導者、孫文がのこした言葉からとった「未完の革命」の象徴としてレーニンをみるところに表現されていた。

 レーニンをみる私の姿勢は今日にいたるも、かわっていない。しかし、それから10年後にソ連でペレストロイカ革命がはじまり、1991年にはソ連共産党が崩壊し、ソ連社会主義国家が存在を終えるという大変革がおこったのである。ここに終わった1917年のロシア革命がひらいた歴史の一時代が終わった以上、その時代についてのわれわれの歴史像が修正されざるをえない以上、レーニンの生涯と思想についての認識も変わらざるを得ない。

 私はペレストロイカの中で歴史の再検討をすすめ、あたらしい歴史像の構築の営みをつづけた。最初の作品は1992年の『歴史としての社会主義』(岩波新書)である。その歩みはおそく、2016年に『スターリン批判 1953―56年』(作品社)、2018年に『ロシア革命 ペトログラード1917年2月』(作品社)をだしえたにすぎない。変化した歴史像の中にレーニンの生涯と思想を位置づけなおすことも十分にはできていないながら、もとめに応じて、2017年に『レーニン 二十世紀共産主義運動の父』(山川出版社)を刊行した。

 本書は、2017年に刊行した『レーニン』に続く仕事である。レーニンの社会主義革命論をさらに考え直し、歴史の中に位置づけなおした。もはやレーニンは「未完の革命」ではない。レーニンの社会主義革命論の中にあるスターリン主義国家をみちびく負の要素に目をむけなければならない。レーニン最後の闘争は、自分の引いたレールの上を進む列車から飛び降りようとする人の苦悶であった。

 1927年に日本の文学者芥川龍之介はレーニンについて詩を書いた。

 誰よりも民衆を愛した君は
 誰よりも民衆を軽蔑した君だ。

 レーニンを研究する者はこの文学者の単純な問いになお答えなければならない。(本書「序章」より一部抜粋、本記事用に改変)

ペテルブルク労働者階級解放闘争同盟の仲間とともに。前列右から2人目がレーニン。1897年2月撮影
ペテルブルク労働者階級解放闘争同盟の仲間とともに。前列右から2人目がレーニン。1897年2月撮影

祭りとしての革命

 革命は歴史の機関車である、とマルクスはいった。革命は、抑圧され、搾取された人々の祝祭である。革命のときほど、人民大衆が新しい社会制度の積極的創造者として立ち現われることのできるときはない。そういうときには、人民は、漸進的進歩という狭い、町人的な尺度からみれば、奇蹟をもやってのけることができる。だが、そういうときには、革命党の指導者も自らの課題をより広く、より大胆に提起することが必要であり、そのスローガンが大衆の革命的自主活動よりつねに先をすすんで、その灯台の役割を果たすようにし、われわれの民主主義と社会主義の理想、その偉大さと魅力のすべてを示し、完全、無条件、決定的勝利へのもっとも近い、もっともまっすぐな道を示すことが必要である。革命を恐れ、まっすぐな道を恐れるがゆえに、迂回路、回り道、妥協の道をでっち上げるのは『オスヴォボジヂェーニエ』〔自由主義者の機関紙〕のブルジョワジーの日和見主義者たちにまかせよう。もしも、われわれが力ずくでそのような道をたどらされるのであれば、われわれは、小さな、日常的な工作においても、自らの責務を果たすことはできる。しかし、まずは容赦なき闘争によって、道の選択の問題を解決させよう。もしも大衆の祭りのエネルギーと革命的熱狂を、まっすぐな、決然たる道を目ざす、容赦なき、献身的闘争のために生かさなければ、われわれはまぎれもなき革命の裏切者になるであろう。 (『二つの戦術』)

七月事件後に潜行したレーニンが使った労働者イヴァーノフの名で偽造された工場入構証。1917年7月29日撮影
七月事件後に潜行したレーニンが使った労働者イヴァーノフの名で偽造された工場入構証。1917年7月29日撮影

階級的意識への道

 階級的政治意識は、外からのみ、つまり経済闘争の外から、労働者と雇主の関係の圏外からのみ、労働者にもたらされうる。この知〔意〕識をくみとることのできる唯一の分野は、国家と政府に対するすべての階級と階層の関係という分野、すべての階級の相互関係の分野である。だから、労働者に政治的知〔意〕識をもたらすためには何をなすべきかという問に対しては、「経済主義」に傾いている実践家をふくめて、実践家が大部分の場合にそれで満足している答──「労働者のところに行け」という答を出すだけではだめなのだ。労働者に政治的知〔意〕識をもたらすためには、社会民主主義者は、住民のすべての階級の中に入っていかなければならない。自分の軍勢の部隊をあらゆる方面に派遣しなければならない。 (『なにをなすべきか』)

戦争のひらいたもの

 ヨーロッパ戦争は最大の歴史的危機、新しい時代のはじまりを意味している。あらゆる恐慌と同じく、この戦争は、深くひそんでいた諸矛盾を鋭くし、表面に露呈させ、一切の偽善的ヴェールをはぎとった。一切のしきたりを投げすて、腐った、ないしは、腐りはてた権威を破壊した。 (「死んだ排外主義と生きている社会主義」1914年12月)

 客観的には、いま平和のスローガンは誰の手にのることになるのか、ということが問題である。いずれにしても、それは、革命的プロレタリアートの思想の宣伝ではない! 資本主義の崩壊を促進するためにこの戦争を利用するという思想ではない!(「シリャプニコフあての手紙」1914年11月14日付)

 帝国主義はヨーロッパ文化の運命をカードに賭けた。もしも一連の革命の勝利がなければ、この戦争のあとには、じきに新たな戦争がいくどとなくつづくであろう。(「社会主義インタナショナルの現状と任務」)

モスクワの「赤の広場」にあるレーニン廟。ソ連崩壊後、解体すべきだとの声もたびたび挙がったが、レーニンの遺体は今もなお永久保存されている
モスクワの「赤の広場」にあるレーニン廟。ソ連崩壊後、解体すべきだとの声もたびたび挙がったが、レーニンの遺体は今もなお永久保存されている

『レーニン・セレクション』目次

思想と生涯 社会主義革命のレーニン
 一 革命家の形成
 二 成熟と試練
 三 戦争から革命へ
 四 社会主義内戦の道
 五 悩める統治者
Ⅰ 革命家の人間学
 一 原点
 二 方法
 三 人間
Ⅱ スチヒーヤと意識
 一 党と大衆
 二 革命独裁・革命政府
 三 農民観・農業綱領
Ⅲ 戦争・帝国主義・革命
 一 世界大戦
 二 帝国主義認識
 三 新しい革命論
Ⅳ 社会主義革命の道
 一 一九一七年革命
 二 社会主義的内乱とプロレタリア独裁
 三 内戦の終わりと新経済政策へ
 四 のこされた言葉

[構成=平凡社編集部]

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