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「“ナチス擁護論”に自信を持って反論」 大賞受賞の小野寺さん・田野さん 「紀伊國屋じんぶん大賞2024」贈賞式

記事:じんぶん堂企画室

「紀伊國屋じんぶん大賞2024」の大賞を受賞した小野寺拓也さん(左)と田野大輔さん
「紀伊國屋じんぶん大賞2024」の大賞を受賞した小野寺拓也さん(左)と田野大輔さん

 今回で14回目となる「紀伊國屋じんぶん大賞2024 読者と選ぶ人文書ベスト30」は、2022年11月から23年11月に刊行された人文書を対象として、読者のアンケートをもとに書店員らがベスト30を選定。23年12月に受賞作が発表されました。

 大賞を受賞した『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』は東京外国語大准教授の小野寺拓也さんと甲南大教授の田野大輔さんの共著。この本はネットなどで繰り返される「ナチスは良いこともした」という言説について歴史学の視点から検証。ナチスの政策を歴史的な文脈や背景に目を配って検討することで、「ナチス肯定論」に潜む危うさを浮き彫りにしていきます。

 贈賞式のスピーチに登壇した小野寺さんは「多くの読者の方々からの支持によって(大賞を)頂けたことを大変嬉しく思っています」、田野さんは「歴史書、それも他国の歴史に関する書が受賞するのは極めて異例で光栄なこと」などと述べました。

包摂と排除のメカニズムに鋭い視線を

小野寺拓也さん
小野寺拓也さん

【小野寺拓也さんの受賞スピーチ】

 この度は「紀伊國屋じんぶん大賞2024」を多くの読者の方々からの支持によって頂けたことを大変嬉しく思っております。またこの賞はもともとツイッター、現Xで生まれた賞だともうかがっております。ツイッターで生まれ、ツイッターで育てられたこの本が「紀伊國屋じんぶん大賞2024」をいただいたということにいささか運命的なものを感じております。

 さて先日雑誌「サンデー毎日」にて作家の高橋源一郎さんが次のように書かれていました。「『事実』を指摘するのもけっこう。『意見』を言うこともまことに大切。だが、いちばん大切なのはしっかり、その真ん中を埋めることだ」。これこそまさに本書で私が一番主張したいポイントでした。歴史について語る際には何らかの事実に基づいていなければいけない。だから源泉徴収はナチスの発明だとか、ヒューゴ・ボスがナチスの制服をデザインしていたという事実でないことを根拠に意見を述べるべきではない。この点についてはほとんどの方々が同意してくださると思います。

 ですが本書が指摘したのは解釈の重要性です。この本でいう解釈には二つの意味が込められています。一つはその時代の全体像や文脈、もう一つは歴史研究者が積み重ねてきた研究の蓄積です。そうした解釈のうちナチズムの本質を説明する際に本書が掲示している解釈が民族共同体論です。健康で人種的に問題がなく、政府に従順なドイツ人に対する包摂と、民族的、社会的、生物学的、そしてとりわけ人種的に共同体異分子とみなされた人々に対する排除、これがいかに密接に関係していたのか。一つ一つの事実のレベルでは一見良いことに見える要素が共同体の敵とされていた人々に対する排除、迫害、殺戮など、現代社会において悪いこととされている要素とどれほど密接に結びついていたのか。それらを経済政策、労働者保護政策、家族政策、環境保護政策、健康政策という「ナチスは良いこともした論」で頻繁に取り上げられる5大テーマを例に具体的に検証したのが本書です。

 これに対して「そんなふうに見ていったら良いことをしている政府なんかほとんどなくなってしまうのではないか」という意見をしばしばいただきます。基本的にその通りだと思います。包摂と排除のメカニズムはナチ体制だけでなく、あらゆるナショナリズムの基本原理です。一見良いことに見える政策は全体像から俯瞰した時、どのような意味を持つのか。マイノリティーに対する排除を単なる例外として見なして良いのか。その排除がホロコーストへと行きついてしまったナチスという極端ではありますけども、そうした実例をきっかけに私たちの社会に数多く存在する包摂と排除のメカニズムについての皆さんの視線がより鋭いものとなるのであれば、本書は十二分にその役割を果たしたのだと思います。本日は本当にありがとうございました。

社会の基盤を守るための雪かきにも似た仕事

田野大輔さん
田野大輔さん

【田野大輔さんの受賞スピーチ】

 この度は「紀伊國屋じんぶん大賞2024」の大賞に選んで頂き、どうもありがとうございます。歴史書、それも他国の歴史に関する書が本賞を受賞するというのは極めて異例で、光栄なことだと思っています。他方でこれはナチスは良いこともしたという主張がはびこる近年の日本の現状に対し、多くの方々が危機感を抱いておられるということの表れだと真摯に受け止めています。

 ヒトラーはアウトバーンを建設して失業者を一掃したとか、労働者にフォルクスワーゲンを提供して生活を向上させたとか、そういった本書で取り上げたナチス擁護論は間違った事実に基づいているか、断片的な事実を誇張しているかのいずれかで、専門家の間では否定されている見方です。

 一見良いこともしたというふうに見えるような政策も、ドイツ民族を優先する思想のもとに実施されたもので、マイノリティーの排除や戦争、略奪といった犯罪的な目的と結びついていました。良いこともしたという主張は、そうした全体的な文脈を踏まえることなく、個々の政策を抜き出し、一面的な評価を加えたものにすぎません。

 それではなぜこのような主張に飛びつく人がこれほど多いのでしょうか。何よりも重要な動機と考えられるのはヒトラーやナチスを絶対悪とするポリコレ的な価値観への反発です。「良いこともした」と主張して、ナチス=悪という見方を相対化すれば、これに制約されることなく、自由にものを言うことが可能になりますし、そうした見方にとらわれているとされる、いわゆる「ポリコレ勢力」に対して知的優位に立つことができるからです。

 ですが、本日もう1点指摘しておきたいのは、自分の感情に合わせて都合よく歴史を語ろうとする姿勢です。さきほどもちょっと触れられておりましたけれども、源泉徴収はナチスの発明だとか、ヒューゴ・ボスがナチスの制服をデザインしたとか、そういった事実に反する主張は税金を天引きされることに対する不満ですとか、あるいは「ナチスの制服かっこいい」という気持ちが先にあって、それに合わせて事実が歪曲されているわけです。

 人それぞれの立場から過去を見ようとするというふうなことはある程度は避けられないものですけれども、だからといって好きなように過去の歴史を記述してよいというわけではありません。著しく妥当性を欠いた主張に対しては、専門家がきちんと反論しておかなければなりません。さもないと社会を成り立たせている基本的な価値観まで損なわれてしまいます。私が本書を執筆した最大の理由はそうした危機感にありました。

 本書の出版後、「歴史修正主義と闘う武器を与えてもらった」という非常にありがたい感想をいただきました。巷にはびこるナチス擁護論に自信を持って反論する手段を提供すること。それが本書を執筆した私の最大の狙いでしたので、まさに意を得たりという思いです。 

 社会の基盤を守るための雪かきにも似た仕事でしたが、そうした努力がこれほど多くの方々に支持され、このような大きな賞まで頂けたことを、とても嬉しく、また心強く思っています。本日はどうもありがとうございました。

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